【孤高のサムライ戦記|小林祐希】「今は江原でやり切る」韓国の地に爪痕を残し、次のチャンスを自ら切り開く

【孤高のサムライ戦記|小林祐希】「今は江原でやり切る」韓国の地に爪痕を残し、次のチャンスを自ら切り開く

今年から韓国のK1江原でプレー。チームは下位に沈むなか、1部残留のために全力を注ぐ覚悟だ。写真:本人提供



 日本を離れ、海外に活躍の場を求めて戦い抜く――己の信念を貫き、独自のキャリアを刻むサムライの生き様をディープに掘り下げる。韓国の江原FCで小林祐希は、助っ人外国人としての責任を強く感じながら、チームの残留のために悪戦苦闘の日々を送る。その先にある次のチャンスを見据えて――。

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 2022年カタール・ワールドカップ(W杯)まで半年を切った。この夢舞台を本気で目ざしていた男がいた。2019年の6月シリーズを最後に、日本代表から遠ざかっている小林祐希である。

「今の代表のメンツと所属クラブを見れば、自分にはムリだと思います。仕方ない。でも僕は現役を続けている限り、日本代表とワールドカップ出場を目ざしますよ」と本人は今も野心を燃やし続けている。

 当時、小林はオランダ1部のヘーレンフェーンで3シーズン目の戦いを終えたところだった。よりレベルの高い新天地を追い求めていたが、2019年夏に赴いたのはベルギー1部のワースラント・ベフェレン。戦術やコンセプトの明確なチームではあったが、ステップアップを目論んでいた本人にとっては不完全燃焼感を拭い切れなかったようだ。

「ベルギーで1年プレーした後、再び移籍を考えました。日本やアジアという選択肢もあったけど、心が動いたのはカタール。年俸等の条件が破格に良かったからです。

 日本だとそういう考えはピンとこないかもしれないけど、たくさんお金があってサッカーが楽しければ家族も幸せになれる。ブラジル人選手なんかはそう思って日本まで出稼ぎに来るんです。セレソンも稼ぎを優先するケースは少なくない。僕もお金を優先した。後悔はしていません」と小林はキッパリ言う。

 コロナ禍の2020年9月にカタール1部のアル・ホールに移籍した小林は、2年後のW杯に向けて急ピッチで開発の進むドーハのウエストベイに居住。45キロ離れたアル・ホールに通う生活を始めた。
 
 ドイツ人監督が指揮を執る同クラブはパス回し主体のスタイルを志向。小林も攻撃の軸に据えられ、やりがいを感じながらプレーできたという。

「監督にスタメンを相談されるほど信頼され、楽しくサッカーができたのは確かです。ただ、レベルは正直、あまり高くなかった。カタール人やサウジアラビア人のチームメイトはそこそこでしたけど、アジアからの移民選手もいた。彼らの大半は技術的にも体格的にも日本の高校生くらいのレベルでした。

 アジア・チャンピオンズリーグに出るようなチームとはかなり差がありました。未知なる環境で人間的には成長したかもしれないけど、自分は選手として飛躍したかった。それが叶わなかったのは悔しかったですね」

 そう苦笑する小林は、わずか1シーズンでチームを去った。
 

 次なる移籍先は韓国のKリーグ2部のソウルイーランド。この選択もまた多くの人々を驚かせた。移籍金ゼロという条件のなか、自らの理想とするサッカーを追い求めるために赴いたクラブだった。

 しかしながら、現実は厳しかった。韓国はトップクラブとそれ以外の差が激しく、K2ともなればチーム戦術が明確でなく、個々の技術レベルもそこまで高くない。ボールを支配しながらゴールチャンスを作るといった小林の好むサッカーとは程遠い状況で、苦悩の日々を強いられたのだ。

「正直、失敗したなと思いました(苦笑)。それで年末には契約を切り、次の移籍先を探すことにしました。いったん日本に帰って欧州や中東などいろんなチームとコンタクトを取りました。年齢的にもどういう道がベストなのかを真剣に考えたんです。

 そんな時、K1の江原FCからオファーが届いた。監督がかつてJリーグで活躍した元韓国代表のチェ・ヨンスさんで『ぜひとも来てほしい』と直々に誘ってくれたんです。韓国の場合は社長やGMではなく、監督が決定権を持っていることが多い。イーランドでそのことが分かったので、監督が欲しがっているチームに行ったほうが出場機会が増えるし、意思疎通も図りやすい。そう判断して、再び韓国に戻る決断をしたんです」
 
 2022年1月。小林は日本海に面した海町・江陵(カンヌン)市へ赴き、新たなキャリアをスタートさせた。

 江原FCは2018年にK1に昇格したが、同年は12チーム中8位、19年は6位、20年は7位と下位での戦いを余儀なくされており、21年は11位で入れ替え戦に回る羽目になった。そのギリギリの戦いで太田ハナシチズンに勝って残留を果たしたものの、立て直しはそう簡単ではないと見られた。指揮官は技術と戦術眼、ゲームメイク力のある元日本代表の小林に再建請負人を託したのだろう。

 小林自身も、K2とは比較にならないほどレベルが高く、戦術的なサッカーができるという期待を抱いた。そしてプレシーズンを経て、開幕3試合目の3月1日の仁川ユナイテッド戦から出場。主にボランチでプレーするようになる。けれども、チームは思うように勝てず、今季もK2降格危機に直面している。
 

「K1というのは、A、B、Cランクに分けられると思います。Aランクはアジア・チャンピオンズリーグに出ている蔚山現代や全北現代などで、J1王者・川崎フロンターレと戦っても互角の戦いができる力があります。でもB、Cとランクが下がるとコンセプトのないチームが増えてくるんです。

 江原は5−3−2の基本布陣を取って『守ってカウンター』という方向性はあるんですけど、前からプレスをかけると言っても、誰がどのように行くのかという規律や約束事がそこまで細かくはない。攻撃にしてもビルドアップして誰がフリーになるのか、どこで点を取らせるのかといったことが明確になっていない部分もあるので、なかなか得点を奪えない。

 結局、ロングボールが頭の上を通過していく傾向が強まり、自分のような変化や工夫をつけていくタイプは生きなくなる。むしろ中盤で頑張る選手が求められるんで、僕もそうやって自分を変えながらチームに貢献していくしかないと今は割り切っています」

 そうした苦境に加え、チェ・ヨンス監督の練習がハードで、選手たちはコンディショニングに少なからず苦労している側面もあるようだ。
 
「難しいことはたくさんありますが、そういうなかで絶対に残留しなければいけない。自分は助っ人外国人として来ているんで、そのために全力を注ぐことが今の目標です。

 今思えば、2019年夏がサッカー人生の分かれ目になったのかな……。でも、これが今の自分のレベルだと思えば文句もないし、選んだ道に後悔もないです。ただ、1つ願いがあるとすれば、イメージを共有できる仲間と一緒にサッカーがしたいということですね。

 日本代表なんかはその代表例。みんな上手いし、戦術理解力があって、チームのために献身的にプレーしながらも、自分の良さを出す術を知っていますからね。そういうところを再び目ざせるように、今はとにかく江原でやり切るしかない。シーズン20〜30試合は出場してチームを残留させ、次のチャンスを自ら切り開くことに全力を注ぎます」

 江原FCで爪痕を残し、「小林祐希ここにあり」という事実を見せつけることで、新たなサッカー人生が開けてくる可能性は少なくない。30代での欧州再挑戦も見えてくるかもしれない。そういった希望を持ちつつ、小林は前だけを見て突き進む覚悟だ。

取材・文●元川悦子(フリーライター)

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