大怪我を経て“5年目”を迎えた桐蔭横浜大CB鍋田純志。サッカーに全てを捧げ『新しい自分』を見つける1年に

大怪我を経て“5年目”を迎えた桐蔭横浜大CB鍋田純志。サッカーに全てを捧げ『新しい自分』を見つける1年に

5年目の背番号は30になった。写真:安藤隆人



 関東大学サッカーの強豪・桐蔭横浜大。その中で昨年はキャプテンマークを巻き、4番を背負っていたCB鍋田純志は今年、30番を背負ってピッチに立っている。

「覚悟を持ってプレーしています」

 鋭い顔つきでこう口にしたのには理由がある。昨年、鍋田は4年生だった。3年の時から不動のレギュラーとしてプレーし、最上級生となってキャプテンに任命された。目標であったプロ入りに向けて、桐蔭横浜大での有終の美を飾るべく、迎えた新シーズンに大きなアクシデントが襲い掛かった。

 昨年2月、鍋田はカターレ富山のキャンプに参加していた。そして最初のトレーニングマッチとなったカマタマーレ讃岐戦に出場すると、ボールを奪おうと伸ばした足に相手が引っかかると、バランスを崩した相手の身体ごと彼の右膝にのし掛かった。

「グリッ」。鈍い音が膝からした。軽い怪我ではないことはすぐに分かった。病院で診察を受けると、右膝前十字靭帯断裂。全治半年の大怪我を負い、3月には手術を行なった。

「プロになるために具体的に動き出した時だったので、本当にショックだった」

 最高のアピールの場になるはずだったデンソーカップチャレンジ熊谷大会も出場できず、リーグ開幕もスタンドから見守った。プロ入りへの道のりが一気に険しくなっていく焦りと、キャプテンとしてチームの先頭に立たないといけないはずの自分が、全く貢献できない歯痒さ。様々な思いが渦巻いたが、それでも復帰に向けて、自分を信じて必死にリハビリに励んだ。
 
 そして10月、ついに鍋田はピッチに戻ってきた。彼に絶大な信頼を寄せる安武亨監督はすぐにCBとして試合に起用し、昨年1年間で急成長を遂げた中野就斗(サンフレッチェ広島内定)とコンビを組ませた。

 ここからプロに向けての巻き返しと、これまでチームを引っ張ってくれた仲間たちへの恩返しをしようと鍋田のモチベーションは高かった。

 しかし、何かがおかしい。

 得意としていたヘディングで競り勝てないシーンが多く、かつ鋭い寄せからのボール奪取も思うように発揮できない。

「3年生の時に自分が当たり前にやっていたプレーが全然分からない。自分であるはずなのに、自分じゃない感覚だった」

 よくアスリートでは大怪我を負った後に、精神的にも肉体的にも怪我をする前の自分のプレーができない、感覚が戻らないという症状に陥る。いわゆるイップスと呼ばれるものだ。鍋田も例外ではなかった。

「7か月もサッカーができないことが初めての経験でしたし、前十字靭帯断裂は膝の腱が修復するのではなく、他の箇所の腱を切り取って繋げて修復する形なので、自分の膝ではないというか、人工の膝のような感覚が全体に違和感を与えていたんです。それに加えて、復帰してすぐの再発が多いと聞いていたので、再発への恐怖が先立って思い切りプレーできない自分がいた。『できていたはずなのに、できなくなった』というショックが大きかった」
 

 心の中では焦りと絶望感を覚えながらも、鍋田はキャプテンマークを巻いて毅然とした態度でプレーし、仲間たちを鼓舞し続けた。しかし、現実は厳しかった。復帰後、J2とJ3の3クラブに練習参加したが、全て不合格。年明けの1月には「ラストチャンス」とJ3のクラブのキャンプに参加するが、これも不合格。ついに卒業まであと1か月というところで、2022年シーズンのプロ入りの夢はほぼ断たれてしまった。

 だが、ショックに打ちひしがれる鍋田の姿を見た安武監督が、彼を慮って「もう1年、うちでやらないか? 卒業延期制度を活用すれば可能だぞ」と提案してくれたことで、新たな選択肢が生まれた。

 卒業延期制度とは、卒業に必要な全ての単位を取得済みで、卒業論文も出していれば、もう1年間は大学に籍を残すことができ、半期でも卒業可能な制度だ。当時、鍋田は地域リーグでのプレーを模索しており、即答はできなかったが、安武監督の心配りに対する感謝の気持ちが、大卒プロにこだわる気持ちに火をつけた。

「もう1年やらせてください」

 キャプテンマークは中野に託し、5年目の大学サッカーに挑むことを決めた。開幕戦から中野と不動のCBコンビを組み、桐蔭横浜大の屋台骨を支え続けた。チームは今、前期を終えて6勝3敗1分の3位と、悲願の初優勝も狙える位置につけている。
 
 この間、鍋田は葛藤を抱えながらも、必死で前に突き進んでいた。彼はこう本音を口にする。

「シーズン最初は本当に難しいことばかりでした。他の同級生がJリーグに進んだり、就職して社会人になっているのに、僕はまだ大学生としてサッカーをやっていていいのかと疑問に思ってしまうこともありました。しかも周りは後輩たちしかいない状況なので、接し方も難しく感じました」

 何度も心が折れそうになった。プレー面でも復帰直後に比べると良くはなってきているが、得意のヘッドが怪我前のクオリティにはまだ到達しておらず、周りに迷惑をかけることもある。自分の存在価値に自問自答することもあったが、それでも自分を起用してくれる安武監督、支えてくれる後輩たちへの感謝の気持ちが自分の目標から目を背けないようにしてくれた。

「就斗は本当に頼もしいし、信頼できる存在ですし、水野颯太や寺沼星文はテンション高く僕をいじってくれる。何より安武監督の思いに応えたい。本当に僕は周りに恵まれています。だからこそ、僕は絶対に目標を見失ってはいけない。もちろん、たまに同期と会ったり、Jリーグの試合で(先輩の橘田)健人(川崎フロンターレ)さんや同年代の選手が活躍しているのを見ると、『羨ましいな』とか、『俺、何やってるんだろう』と思ってしまうことも正直あります。けど、もう自分で決めた道なので、真っ直ぐに歩きたいと思っています」
 
 今、鍋田が意識しているのは『新しい自分』を見つけることにある。怪我をする前の自分に無理に戻そうとするのではなく、怪我をしたあとの自分に素直に向き合って、やるべきことをしっかりとこなし、かつ自分が今まで武器としてこなかったところを磨く。

 その一つがビルドアップだ。3年生の時は中盤の橘田や神垣陸(レノファ山口)などのパスセンスのある選手たちにすぐにボールを預けていた。だが、今年は積極的にボールを受けて運び出してから、サイドやFWに効果的なパスを入れたり、ボランチとのパス交換から展開したりと、ボールを持った時の引き出しを増やした。

「去年キャプテンの経験を生かしてではないですが、試合中に緩いと思ったら言います」と語ったように、中野と2人で常にチームを鼓舞する声をかけ続け、チームを引き締めている。

「膝の違和感と怖さはなくなったので、あとは自分の感覚を取り戻していきたい。ヘディングに関してはまだ50%くらいしか戻っていませんが、ここは焦らずに取り組んでいきたい」

 いまだプロからのオファーはなく、後輩たちに先を越されている状態だが、前述した通り着実に前には進んでいる。

「1年伸ばしたということは、サッカーにしがみつくという思いでやっている。だからこそ、もう1分、1秒も時間は無駄にできません」
 
 そう語る鍋田にはもう1つ、頑張らなければいけない理由がある。それは彼の母校である水橋高が生徒数の減少が原因で昨年度をもって閉校となってしまったのだ。

「僕が高3の時に、2021年度をもっての廃校が決まったと聞いた時、1年からずっと全国に出られていなかったので、何が何でも全国に出場して水橋の名前をもう一度世に知らしめたかったんです。

 でも、それも叶わずに本当に悔しかったし、もし僕がいた3年間で1つでも全国大会出場という結果を残していたら、廃校という決定は下らなかったかもしれないし、決定が覆ったかもしれないと、今でも責任を感じていますし、悔しい。

 だからこそ、もう一度、水橋の名前を世に出すためにも、プロになる夢だけは絶対に捨てたらいけないと思っています。それが廃校によって富山東高校に転任した上田裕次監督や全ての水橋高生への恩返しにもなると思っていますから」

 燃え盛るプロへの想い。鍋田が抱える葛藤は、逆に前へと進むエネルギーとなっている。自分を応援してくれる全ての人たちのために、大学生活5年目はサッカーに全てを捧げる。

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)

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