元サッカー少年の挑戦「サッカーを諦めた心残りを消して、夢のある競輪で師匠を追い抜く!」

元サッカー少年の挑戦「サッカーを諦めた心残りを消して、夢のある競輪で師匠を追い抜く!」

西田優大(にしだ・ゆうだい)。滋賀県、比叡山高校サッカー部出身。24歳。身長:174.5センチ。写真:田中研治 



 高校3年の夏、インターハイでの敗戦を最後に小学校から続けてきたサッカーに区切りをつけた。

 選手権までやり切れなかった――。そんな後悔から自転車を始め、一度はプロチームに所属するも競輪への思いを強め、今年の春から養成所へ。

 懸命にいまを生きる24歳が思い描く、将来の夢。
――サッカー少年だったそうですね。

「小学校2年生のときに、大津市にある滋賀小学校で始めました。1つ上の仲の良かった先輩が先に始めていたので、2年生になったら僕もやると決めていたんです」

――なんていうチームですか?

「滋賀スポーツ少年団です。当時はFWをやっていましたが、みんなでワイワイ、とにかく楽しくボールを蹴っているようなチームでした。成績は、もう全然。県大会に出たことは一度もありません」

――中学校時代は?

「京都サンガとパートナーシップ契約を結んでいる、FC.SETA2002SHIGAというチームでやってました。京都U-15 SETA滋賀と呼ばれることもありましたね。県大会で優勝もしたので、チームは強かったと思います。僕自身は中学で一度ボランチをやって、その流れでサイドバックに。どんどん後ろに下がっていきました(笑)。クラブユースの関西大会で、ガンバ大阪にボコボコにされたのが最高成績です。3年生になって試合にも出ていましたが、そこまで上手い選手じゃなかった。当時のコーチが、僕を過大評価してくれていたんだと思います」

――高校はサッカー推薦ですか?

「はい。滋賀県は草津東や野洲、最近では近江が強くて、比叡山高校は昨年度のインターハイに初出場したくらい。県内2番手の選手が集まっているようなチームでした」

――3年間やり切った感じですか?

「いや……夏のインターハイ予選で負けて引退しました。僕たちが2年生のときに監督が代わって、なんか合わないなぁと思って、『インターハイが終わったら辞めようか』って何人かと話していたんです。夏に引退したときは『ようやく辞められた』と思ったんですが、いま振り返るとなんで辞めたんかなって思います。合わないからといって、最初から監督に反発するような心の持ち方は良くなかったな、と。いまなら分かるんですけどね」

――卒業後は関西大学へ進学されますが、大学で自転車部に入った理由は?

「やっぱり、高校のときに選手権までやり切った仲間がいたなか、途中で辞めた心残りがあったんですよね。部活に入ろう、大学から始めてもついていけるものってなったとき、自転車競技は大学から始める人が多いと聞いたんです。あと、ちょうど『弱虫ペダル』を読んでいたので、楽しそう、行くしかないって感じでした」
 

――いきなり始めて、どれくらいで走れるようになりましたか?

「最初は、めちゃくちゃ恐かったです。始めて1週間、いきなりバンクでポイントレースをやったんですけど、そのときは真横にコケました。周りの人たちからも「お前は全然センスがない」と言われたくらいで(笑)」

――センスは関係あるんですか?

「いや、僕は他のスポーツに比べると関係なく、練習したぶんだけ成果が出るスポーツだと思っています。なので、2、3か月しっかり練習したら、みんなと一緒に走れるくらいのレベルにはなりました。自転車部はロードレースとトラックレースの2種類があって、僕はレースをするならロードレースのほうが好きでしたが、練習が本当に嫌いで、バンクを走る短距離系の練習が好きでした。室内でウェイトトレーニングをしたり、機械の自転車を漕ぐ、10秒のもがきをしたりとか」

――室内よりも、景色が見える外のほうが良くないですか?

「ロードレースの練習は、景色なんて目に入らないくらいキツいです(笑)」

――団体競技のサッカーと違って、個人競技の自転車にはどんな楽しさがありますか?

「これは僕の性格かもしれないですが、団体競技は自分のミスで人に迷惑をかけることもあるじゃないですか。それが嫌なんですよね。PKを外してチームが負けるなんて、もう耐えられません。一方で個人競技は、すべて自分なんです。手を抜けば自分に跳ね返ってくるし、頑張れば成果も上がる。僕は大会で勝った経験があまりないですけど、勝てば自分がやってきたことの正しさが証明されるとも思います」

――大学卒業後、一度ロードレースチームに所属したそうですね。

「広島で活動している、ヴィクトワール広島にお世話になりました。プロチームですが、ほとんどの人がバイトをしながらレースに参加している感じです。そこで1年活動して、でも、やっぱり競輪がいい。養成所に入って競輪選手になると思い直して、昨年の3月にチームを離れて師匠の下で練習を始めて、昨年度の養成所入所試験に合格しました」

――競輪の世界で聞く師匠との関係は、どうやって築くのですか?

「ほとんどの候補生が現役の競輪選手に弟子入りして、その方や同じグループのメンバーと一緒にバンクで練習してきたはずです。たとえつながりがなくても、JKAや競輪場に電話して『競輪選手になりたい』と言えば、師匠を探してくれるんですよ」

――競輪選手を目指した理由は?

「まずは自転車に乗るのが好きだし、それでお金を稼げるなら一番じゃないですか。上を見ると何億と稼いでいる選手がいるので、そこにも夢があるなって、魅力を感じました」

――入所して1か月と少し、養成所生活はどうですか?

「決められたルールのなかでの集団生活は厳しい面もあります。だけど、競輪選手になると覚悟を決めて来たので頑張れますし、自転車の練習はやっぱり楽しい。入る前は不味いと聞いていたご飯もめちゃめちゃ美味しくて、話が違うなって。一人暮らしをしていた頃の食事と比べたら栄養面など全然違うので、恵まれていると感じています」

――今後の目標を教えてください。

「一番近いところでは、第1回の記録会でゴールデンキャップ(スピード、持久力が特に優れている候補生が被る金色の帽子。20万円の報奨金も出る)を逃したので、第2回では絶対に獲りたいと思います。卒業まで2回ゴールデンキャップを獲って、その先、デビューしたあとは師匠(吉本哲郎・84期)の地元・広島の記念レースがあるんですが、そこでグループ全員で走ることが目標です。そのためにも早くS級選手になって、師匠と一緒に記念レースを走って優勝できたらいいですね」

――最後に後輩たちへアドバイスを。

「競輪は、まだまだサッカーや野球に比べてメジャーとは言えないスポーツです。ただ、僕のようにサッカーを諦めた選手でもプロに辿り着ける可能性があり、選手寿命も長い。収入面も野球やサッカーに負けていないと思います。いまはサッカーに打ち込んでいると思いますが、引退後、競輪選手という道もあることを、心の隅に留めておいてください」

取材・文 粕川哲男

関連記事(外部サイト)

  • 記事にコメントを書いてみませんか?