「キーマンは鈴木啓太だった」中村憲剛が中村俊輔、遠藤保仁と組んだオシムJを回想。南アW杯GS不出場も、決勝Tでは…

「キーマンは鈴木啓太だった」中村憲剛が中村俊輔、遠藤保仁と組んだオシムJを回想。南アW杯GS不出場も、決勝Tでは…

松井のYoutubeチャンネルで中村氏が自らの日本代表での経験を語った。(C)SOCCER DIGEST



 Y.S.C.C.横浜所属の元日本代表MF松井大輔が8月13日、自身のYouTubeチャンネルで最新コンテンツを公開。川崎フロンターレのバンディエラで元日本代表MFの中村憲剛氏が出演し、自身の日本代表での経験を振り返っている。

 2003年に川崎フロンターレに入団し、1年目から出場機会に恵まれた中村氏は、2006年には故イビチャ・オシム氏が監督を務めていた日本代表に初招集される。当時は、鈴木啓太氏とボランチを組み、1列前のサイドハーフが遠藤保仁(現ジュビロ磐田)と中村俊輔(現・横浜FC)という陣容だった。

 中村氏も「後にも先にも、その3人を組ませたのはオシムさんだけ」「言葉を交わさなくてもサッカーできた。めちゃくちゃ面白かった」と振り返った。また、鈴木氏は3人が空けたスペースを埋める役割を担っていたという。松井氏が「啓太はすごいがんばっていた」と指摘すると、中村氏は「啓太がキーマンだったと思う」と答え、鈴木氏が3人に走ることを要求していたと明かした。
 
 オシム氏が病に倒れ、岡田武史氏が代表監督となり迎えた2010年の南アフリカ・ワールドカップ。大会前の結果が思わしくなく守備的な戦術に変更したこともあり、中村氏はグループステージで出番はなかった。

 それでも、決勝トーナメントでは出場機会があると考えていた。「勝たなきゃいけないから、絶対ギアチェンジをしなきゃいけないと思っていた」「自分が来るって勝手に思い込んでいて」と理由を挙げた。

 その通り、パラグアイ戦(●0−0、PK3−5)で途中出場した中村氏は、初出場ながら集中力が高く高揚感は無かった。「とにかく得点に絡むことしか考えていないから、もう完全に“絵”は描けていた。自分がやるべきことは分かっていた」と回想する。

 勝利には結びつかなかったが、人生最大級の大舞台でも中村氏は自分の役割を全うすることだけを考えていた。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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