30歳で早すぎる引退…ウィルシャーという素晴らしい逸材の記憶をここに【英国人記者コラム】

30歳で早すぎる引退…ウィルシャーという素晴らしい逸材の記憶をここに【英国人記者コラム】

持ち味を存分に発揮して、その名を世界に轟かせた記念碑的な試合が、10-11シーズンのCLバルサ戦(写真)だ。 (C)Getty Images



 少し前になるが、ジャック・ウィルシャーが現役を引退した。30歳。早すぎる終わりだった。
 
 ウィルシャーという素晴らしいプレーヤーの記憶を、ここに残しておきたい。
 
 1992年生まれのウィルシャーは、次代を担うタレントとして大きな注目と期待を集めた逸材だった。同時期に頭角を現わした同い年のネイマール、マリオ・ゲッツェと並び称されたりもした。
 
 ロンドン出身でアーセナルのユースアカデミーで育ち、16歳でプロデビューを果たした。アーセン・ヴェンゲル監督の時代の08年9月だ。16歳256日でのデビューはリーグ戦におけるアーセナルの最年少記録で、セスク・ファブレガスの17歳103日を更新した。
 
 際立っていたのは、左足のテクニックとクリエイティビティー。それでいて闘争本能を剥き出しに相手に挑みかかる英国的な美徳も兼ね備えていた。
 
 そうした持ち味を存分に発揮して、その名を世界に轟かせた記念碑的な試合がある。10-11シーズンのチャンピオンズリーグ、ラウンド・オブ16のバルセロナ戦だ。
 
 ペップ・グアルディオラ率いる最強バルサを相手に、シャビ、アンドレス・イニエスタ、セルヒオ・ブスケッツを向こうに回し、プレスをかわしてボールをキープし、力強いドリブル、華麗なパスワークでゲームを支配した。ホームの第1レグを2-1で取りながら、アウェーの第2レグを1-3で落としてチームは敗れたものの、特別な才能を強烈に印象づけたのだった。
 
 忘れられないゴールは、13-14シーズンのノーリッジ戦でのそれだ。自陣からのビルドアップで左に展開して攻め上がり、最後はオリビエ・ジルーとのワンツーから浮き球のリターンパスを右足のダイレクトで合わせてネットを揺らした。
 
 ただ、この試合とこのゴールのほかにキャリアを象徴するようなハイライトシーンは残せなかった。現役生活は怪我との闘いの連続だった。足首、膝、肩、股関節とどこかに絶えず故障を抱え、才能が約束する高みへとは辿り着けなかった。その意味でも悔いが残る引退だ。
 
 ボールを持つと、相手をぎりぎりまで引きつけてパスを出し、ドリブルでかわしていく。守備の局面では、濃厚に宿す英国的なメンタリティーがハードワークに駆り立て、身体を張らせる。怪我の多さは才能があるがゆえの、ハートが強いがゆえの、いわば名誉の代償だったのだ。古くはポール・ガスコインがそうだった。いまではジャック・グリーリッシュが似たタイプだろう。
 

 少年のような純粋さでフットボールを愛していたと思う。ナイトクラブやホテルのプールサイドでの喫煙をパパラッチに撮られ、悪童のイメージを付けられたりもしたが、フットボールに真摯に向き合う良きチームメイトであり、真面目な生徒だった。
 
 アーセナルがプレシーズンツアーで日本を訪れた13年の夏を思い出す。スポンサーのイベントで中高生を指導したときの心から楽しそうな姿を、いまでもはっきりと覚えている。その後のインタビューでは、知識の豊富さに驚かされた。まるで選手名鑑を隅から隅まで読み込んだ少年のように、他のチームや選手のことをよく知っていた。
 
 インタビューで夢を聞いた。「アーセナルでプレミアリーグ優勝、イングランド代表でワールドカップ制覇」がその答だった。「難しいだろうけど」とも添えたその言葉通り、どちらも叶えられずにユニホームを脱いだのが心残りだろう。
 
 ただ、これで終わりではない。その夢には、別の形で挑むことになった。引退発表からほどなくして、愛する古巣アーセナルのU-18チームの監督就任が決まった。これからは指導者として、選手として叶えられなかった夢を追うのだ。
 
文●スティーブ・マッケンジー(サッカーダイジェスト・ヨーロッパ)
 
Steve MACKENZIE
スティーブ・マッケンジー/1968年6月7日、ロンドン生まれ。ウェストハムとサウサンプトンのユースでプレー経験がある。とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からのサポーターだ。スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝した。現在はエディターとして幅広く活動。05年には『サッカーダイジェスト』の英語版を英国で手掛け出版した。
 
※『ワールドサッカーダイジェスト』2022年8月4日号より転載
 

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