プレーオフ選抜の中村憲剛ヘッドコーチは即席チームをいかにして短期間で“勝てるチーム”にしたのか? 選手たちに伝えた言葉は…

プレーオフ選抜の中村憲剛ヘッドコーチは即席チームをいかにして短期間で“勝てるチーム”にしたのか? 選手たちに伝えた言葉は…

デンソーカップチャレンジ茨城大会でプレーオフ選抜のヘッドコーチを務めた中村氏。写真:安藤隆人



 関西選抜の優勝で幕を閉じたデンソーカップチャレンジ茨城大会。今大会の注目度をグッと引き上げた人物がいた。プレーオフ選抜のヘッドコーチとして名を連ねた中村憲剛氏だ。

 この人選は大会開幕ギリギリまでシークレットだった。2月25日、デンソーカップチャレンジ・プレーオフが終了した直後に、優勝した東北選抜以外のチームから選ばれた選手たちが集結し、プレーオフ選抜が組まれ、そこでコーチに就任すると発表された。

「もう驚きでした。ずっとテレビで見て憧れていた人に指導してもらえるなんて、こんな光栄なことはないと思いました」と横浜内定のDF吉田真那斗が口にしたように、思わぬサプライズだった。

 その一方で当の中村氏はずっと頭を悩ませていた。

「今までも年代別日本代表にロールモデルコーチという形でゴリさん(森山佳郎監督)のチームに呼ばれたこともありましたが、今回のようないきなり集まったチームで試合をしましょうという状況はありませんでした。メンバー同士もほぼ初めましてに近い状態で、正直、この話をもらった時からずっと何がこのチームの芯になるのかと考えていました」
 
 チーム結成からわずか2日後に本大会がスタートする。どうやって1つのチームとして5日間の連戦を乗り切り、かつ、勝てるチームにするべきか。

 もちろん指揮を取るのは百戦錬磨の名将であり、中央大時代の恩師でもある佐藤健監督。ただ、その指揮官からチームの構築と組み立ての面を託されたからには、持てる力をフルにチームにぶつけないといけない。そう考えたときに、中村氏の頭の中にふと浮かんだのが自分の経験則であった。

「少し自分のことに当てはめてみました。僕がA代表に頻繁に呼ばれていた時に、親善試合が続いて、集まって、練習を少しして、試合をして帰って、を繰り返した時期があったんです。その時に自分が何を考えていたのか、何を言われたのか、記憶を辿っていったんです」

 そのなかで当時の岡田武史監督が選手たちに放った言葉がよみがえった。

「いいか、ここ(A代表)は自分のチームだぞ。俺のチームでも、お前らのチームでもない。一人ひとりのチーム。みんなでチームなのだから、常に『自分ごと』として行動をしろ」

 当時の中村氏の心に深く刻まれた言葉が蘇り、コーチとしてプレーオフ選抜に対して何をすべきかの道筋が見えた。
 

 選手たちはお互いを知らない。Jリーグ内定者もいれば、そうではない選手もいる。バラバラな立場、環境の選手たちが集められて、すぐにハイレベルな戦いに身を投じるためには、いかに彼らに『当事者意識』を持たせられるか。他人事、誰かがやってくれるだろうではなく、いかに自分ごととしてこのチームを捉えられるか。それがチームの芯になると確信した中村氏は、チーム顔合わせの時に次のように選手たちに話をした。

「今回、この21人が1つのチーム。自分がその中の1人であって、勝つか負けるかの鍵を握っているのは君達自身。俺はここで優勝をしたいから、本気でやるぞ」

 この言葉に込められた想いを自身でこう解説する。

「お互いを知らない、何なら僕もみんなを知らない。だからこそ、ここにいる人間が言い訳をしてはいけないんです。なぜここに選ばれているかというと、自分の武器があるから。そもそもこのチームの成り立ちの経緯がプレーオフで負けてきたわけですよ。負けた後に呼ばれて、大阪からここに入っている。悔しい思いもあるけど、それでも呼ばれたのだからやらないわけにはいかないよねと。

 Jリーグの内定をもらっていない選手にとって、この大会は人生変えられるくらいのチャンス。逆に内定をもらっている選手は『やっぱり内定もらえる選手だよね』というのを見せないといけない。頑張らない理由が誰にもないんです」
 
 中村氏はパスやトラップなどの技術のレッスン、そして全体をコンパクトにしてボールの動きをスムーズにさせるアドバイスなど、理論的な指導を着実にしながらも、その都度、経験則に基づいた生きた言葉を盛り込むことで、選手たちの目の色は見違えるように増し、狙い通り、チームにしっかりとした芯が通っていった。

 初戦の東海選抜戦こそ0-2で落としたが、第2戦の関東選抜A戦では攻撃陣が爆発して5-2の大勝、第3戦の日本高校選抜戦も5-3と乱打戦を制し、グループリーグを2位で突破。進んだ3位決定戦でもプレーオフ王者の東北選抜に3-0で快勝し、見事に3位でフィニッシュした。

「もう痺れましたね。みんながゴールや勝利に対して喜ぶし、声かけも含めて一体感を持ってやってくれた。みんな他人事じゃなくて『自分ごと』として参加してくれているからこそだよね。もっとクールだったらこうはならない。あともう1週間、活動すればもっといいチームになるんじゃないかと思うくらいのチームです。僕にとっても大きな学びの機会になりました」

 指導者として着実な経験を積んでいる中村氏。最後にこの経験を踏まえて、これからのビジョンについて聞いてみた。

「指導者だからといってふんぞりかえるわけではないですし、やるのは指導者ではなく選手なので、いかに選手たちが自分と関わって、これを知った、学んだとプラスになるような存在になることができるか。それに僕は野心があって動くのではなく、預かった選手たちを良い選手にして勝ちたい。それだけなんです。自分が監督をやるために彼らを使うのではなく、彼らといることで自分の理想とするものが浮き上がってくるんじゃないかなと。

 そのなかでアプローチだったり、悩み事も日々変わったりするので、それに経験則を合わせながら対応していく。みんなに自分という指導者を作ってもらっている感覚でコツコツやっていきたいと思います」

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)

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