小江戸川越のサッカーチームから生まれた、コエドによるまちづくりの新たな取り組み【日本サッカー・マイノリティリポート】
2023年07月15日 16時54分サッカーダイジェストWeb

株式会社weclip/共同代表・代表取締役の横田泰成。「2万7000人全員がコエドスポーツで身体を動かし楽しんでいる」。そんな未来を描く。写真:手嶋真彦
小江戸として知られる埼玉県川越市の社会人サッカーチームから派生した株式会社が、まちづくりに繋がる新たな取り組みを進めている。子どもたちの「協育」が大人たちの「共育」を豊かにし、大人たちの「共育」が子どもたちの「協育」を豊かにするという“コエド”の仕組みとは?
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伝統的な蔵造りの町並みが、外国人を含めた大勢の観光客で賑わっている。大型連休を控えた4月下旬の日曜日のお昼時。ここ埼玉県川越市に生まれ育った横田泰成が、前方を指さし、教えてくれた。
「あそこに見えるのが“時の鐘”という川越のシンボルです」
1893年の大火事で一度は燃え落ち、翌年に再建された時の鐘は、江戸時代の初期から川越に暮らす人々に欠かせない「時」を告げてきた。
古い町並みが現存し、かつての江戸の趣を感じさせる小都市を「小江戸」と称するが、その代表的な都市川越で、横田は社会人サッカーチームの仲間たちと、新たな「時」の訪れを告げるような取り組みを始めている。
小学生と園児が、毎月無料でスポーツスクールや運動クラスに参加できる、その名も「コエドスポーツ」だ。種目は基礎運動から走り方、キッズかけっこ、サッカー、野球、柔道、体操、ダンス、チアダンス、モダンバレエまでバラエティに富み、それぞれ専門家が指導する。
費用は初期登録料の1000円だけで、更新料はかからず、月会費も無料。コエドスポーツは「co-ed Sports」のカタカナ表記で、co-edはcooperative education、すなわち「協育」を意味しているそうだ。
2022年4月に4人の仲間と共にコエドスポーツを立ち上げた横田は、最初の1年で得られた手応えを糧にしながら、会員数をどう増やしていこうか模索する。新たなこの取り組みを足掛かりにして、彼らはどのような未来を創り出そうとしているのだろうか。
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コエドスポーツを運営する「株式会社weclip(ウィクリップ)」は、川高(かわたか)蹴球会という社会人サッカーチームから派生し、2021年3月に設立された。コアメンバーは横田を含めた5人で、いずれも別に本業を持つ。
副業というかたちでこの株式会社を立ち上げたのは、5人が在籍している川高蹴球会が、大袈裟に言えば“存亡の危機”を迎えたことと無関係ではない。
2000年創立の川高蹴球会は当初の川越市2部リーグから、市1部、埼玉県3部、県2部と昇格し、2015年までの10年間は県2部で戦った。ところが16年は県3部に降格し、18年には市1部に落ちてしまう。
戦績を落とし、先発メンバー11人を揃えるのも一苦労という曲がり角を迎えたのは、たまたまではない。横田などチームの創立メンバーや初期から在籍してきた仲間たちが、いずれも30代前半から半ばという年齢となり、結婚して、父親となり、家庭や仕事と社会人サッカーを両立できなくなるメンバーが増えたのだ。
「どうすれば、このチームで、サッカーを続けていけるのか――」
後にウィクリップを設立する横田たちのその議論はコロナ禍で加速し、膨らみ、やがて子育ての問題へと突き当たる。
「核家族が増えて、一人っ子も多く、親が共働きという子どもたちも少なくありません。地域との繋がりも減っています」
そう語る横田と4人の仲間たちはいずれも子を持つ親として、あるいは教職者として(1人は小学校教諭)、そうした現実から目を背けるわけにはいかなかった。
「昔は下校時に寄り道をして、近所のおじいさんおばあさんにお菓子をもらったり、おじさんおばさんに叱られたり、幼馴染のお兄ちゃんお姉ちゃんと遊んだり、自然にいろんな世代の人たちと触れ合う機会がありました。比較すると自分の子どもたちは、そうした異年齢との接点が極端に減っているように思います」
今年21歳の長男から6歳の三女まで4人の父親でもある横田の、それが実感だ。スポーツ庁の調査によると子どもたちの基礎運動能力は低下しており、別の調査によると高齢化に伴う運動器官の働きの低下を意味するロコモティブシンドロームも子どもたちの間で増えているという。
ユニセフが2020年に発表した報告書によると、「15歳を対象とする生活満足度」と「15~19歳の自殺率」を比較した「精神的幸福度」で、日本は調査対象38か国中下から2番目の37位だった。
「一人で過ごす時間が長かったり、すぐに頼れる人がいなかったり、将来なりたい職業を持てなかったり、そういう子どもたちが増えているようです」
コエドスポーツは、学校が終わった平日の夕方にもスクールやクラスを開いている。異なるスポーツや運動を気軽に体験できるので、基礎運動能力や身体操作性を幅広く伸ばせる、いわゆるマルチスポーツも選択できる。
月会費無料という仕組みを支えているのは、横田たちウィクリップの呼び掛けに応じた、川越市内や周辺でそれぞれスポーツスクールや運動クラスを運営している提携クラブの指導者たちだ。
スポーツや運動に親しむ子どもの母数が増えれば、無料のコエドスポーツから有料のスクールやクラスへ進み、特定のスポーツや運動を本格的に続ける子どもたちも増えていく。その受け皿となるウィクリップの提携クラブには、集客という悩みを低減できるメリットがある。そんな見立てである。
コエドスポーツの会員数は現状200名弱とまだまだ伸びしろが大きく、横田には確かな手応えもある。提携クラブへの呼び掛けや協賛企業への飛び込み営業を通して、コエドスポーツという仕組みや理念への強い共感が得られたからだ。当初の運営資金もスムーズに集まった。
人口約35万人の川越市には、概算で2万7000人の小学生と園児が暮らす。穏やかな表情で、横田が抱負を語る。
「目指しているのは、その2万7000人全員がコエドスポーツで身体を動かし楽しんでいる、そんな未来です」
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子どもたちの可能性を広げるのは、運動を含めたスポーツだけではない。横田たちは次の三つのカテゴリーそれぞれで、コエド(co-ed=協育)の仕組みを回していく構想を持っている。
「スポーツと学習と社会教育です」
学習のカテゴリーは、コエドスポーツの勉強版だ。たとえばリタイアした教職経験者が、放課後などに子どもたちの面倒を見る。一人っ子だったり、親が共働きだったり、シングルだったり、事情を抱える子どもたちを孤独にさせず、スポーツの基礎運動能力に相当する国語算数理科社会などの学力を伸ばしていく。
働く大人たちと触れ合う機会を設けるのが、社会教育だ。子どもたちが地域の職場を訪れ、どんな仕事に取り組んでいて、どんな働き甲斐を感じているかなど、見学したり、質問したりする。誇りを持って自分の仕事と向き合う大人たちとの出会いを通して、子どもたちの将来の夢が広がっていけばいい。
スポーツと学習と社会教育のそれぞれで、地域の大人たちが協力し、協同で地域の子どもたちを育てていく。それが協育を意味するコエド(co-ed)の本質だ。
協育の仕組みが回れば「子どもたちをハブにする」(横田)大人同士の接点も増えていく。大人同士の接点が増えれば、地域のネットワーク自体が広がり、密にもなっていくだろう。
多様な価値観に触れ合う機会が増えれば、大人たちの学びに繋がる。横田たちはそうした成長のあり方を「共育」と表現する。「共育」が子どもたちの「協育」を豊かにし、「協育」が大人たちの「共育」を豊かにする。
「未来を担う子どもたちも、見守る大人たちも成長して、地域がさらに活性化していく。そんな世界観を実際にこの川越につくっていけたらと思います」
そう語る横田には、家族と過ごせる憩いの場ができている。20歳の頃に創立メンバーとなった川高蹴球会だ。
「絶対楽しいから一緒に行こうと、最初は頑張って(妻を)連れ出しました」
今年43歳の横田は大学在学中に学生結婚し、21歳で父親となる。大学卒業後は一般企業に就職し、仕事の都合で川高蹴球会を一時期離れもしたが、復帰後は妻とまだ幼かった長男を試合や練習に連れていくようになる。サッカーと“一家団欒”を両立させたいとの思いからだ。
それから20年の月日が経とうとしているが、横田の家族は今でも試合や練習に普通に参加する。離れて暮らす長男は川越の実家に帰ってくれば、川高蹴球会の練習にまじってボールを蹴る。今年18歳の長女にはこう聞かれる。
「今週、何時から?」
時間が合えば、長女も顔を出す。
横田家の4人の子どもたちが幼い頃は、川高蹴球会の仲間たちが良き遊び相手になってくれた。
「自分の子どもたちが、いろんな人と出会えてコミュニケーションを取っているのは、やっぱり良いなと思いました」
妻は妻で多少なりとも日常から離れて、リフレッシュできているようだった。他愛ない世間話などで楽しそうに過ごしている妻の横顔が、横田にも輝いて見えた。
横田よりもはるかに社交的だという横田の妻は、そのコミュニティで盛り上げ役にもなり、家族ぐるみの付き合いでは横田の知らないところで子育てなどの悩み事の相談相手にもなっているらしい。
そんな積み重ねを体感してきたからこそ、協育と共育は、横田にとっては机上の空論などではない。創立24年目の川高蹴球会で、サッカーを介して人と人とが繋がってきた温もりが、横田の心のなかに残っているからだ。
川高蹴球会が過渡期を迎えた数年前、横田はチームから離れていく仲間たちを、悔しさを感じながら見送った。家庭との両立が叶えば、今でも一緒にワイワイやっていたかもしれない。
いろんな人がいるのと同じで、どの家族も横田の家族と同じでないことはわかっているが、それゆえに横田はこう思う。どんな家族にも居場所がある、そんな環境を、川高蹴球会にも、川越という地域にもつくっていきたい、と。
「川越がモデルケースになって、だったら他のエリアでも試してみようと、そんな話になれば、すごく面白いと思います」
実際に横田たちは、すでに東京都世田谷区でも、川越と同じようなコエドの仕組み作りを進めているという。
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人と人との接点が増えつづけ、豊かな協育や共育が可能となる土台を、横田たちは「ライフプラットフォーム」と呼ぶ。
「生活に関する情報を集められて、悩みも気軽に相談できる。自分の可能性を広げていくヒントがもらえて、やりたいことを実現できる。そういうライフプラットフォームの上で、街自体がどんどん賑やかになっていく。そんなイメージです」
孤独を感じる時間が増えていたり、頼りにできる人が近くにいなかったりで、視野や可能性を狭めているのは、子どもたちだけではないだろう。横田たちの言うライフプラットフォームとは、世代を問わずに暮らしやすく、生きやすい環境をつくっていく土台そのものだ。
川高蹴球会の曲がり角から始まった横田たちの議論は、コエドスポーツなどの教育(協育、共育)の取り組みに繋がり、ライフプラットフォームというウィクリップのミッションにも繋がった。
議論を深めていくなかで、どうせやるなら、川高蹴球会が長年お世話になっている川越という地域を活性化する取り組みにできないかという話になる。そこで浮かび上がったのが、次の疑問だ。
地域を活性化するとは?
5人の意見はやがて一致する。活性化している地域の人たちは、みんな幸せなのではないか――。
「幸せのかたちって、人それぞれ違うよね。でも、やりたいことを自分で選択できれば、たぶん誰もが幸せを感じられるよね。だとすれば、みんなが幸せを体現できる環境をつくっていくことが大事だよね。そんな話をしていたと思います」
weclipという社名は「We create our life platform for a brighter future」を略したものだ。もっと明るい未来へ、私たちは私たちのライフプラットフォームを創造する。横田たちが掲げた看板には、そんな願いと決意が込められている。
◇
取材当日、横田は埼玉県立川越高校サッカー部の部員たちにまじり、その校庭でボールを蹴っていた。川高蹴球会はその名のとおり、川越高サッカー部のOBで結成した社会人チームだ。現在は最年長の47歳から、43歳の横田や、今春川越高を卒業したばかりの若者まで年齢層は幅広く、川越高OB以外の選手もいる。
「毎年いろんな人が入ってくるので、これは面白いと思うようになりました」
この日のように高校生たちと合同練習する週末もあるそうだ。広々とした同じ校庭では野球部も活動している。映画やTVドラマ「ウォーターボーイズ」のモデルにもなった男子校ですと、筆者に付き合い、隣で合同練習を見ていた横田が教えてくれる。
川越高の高校生がOBの先輩に進路相談をする。川高蹴球会の大学生が社会人のOBに就活の話を聞く。社会人のOB同士はビジネスの情報を交換し合う。もっともっとそういう機会が増えていけばと、横田は願っている。
川高蹴球会が生まれたのは、悔しさからだ。川越高は2015年のノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章も卒業生という進学校ながら、横田が3年生の年はサッカー部が全国選手権の埼玉県予選で大健闘する。
その年のインターハイ県予選で3位に入った高校からも勝利を収めたが、続く最後の試合は、悔しさが尾を引くような幕切れだった。
「この試合に勝てばベスト16進出という試合で、延長戦のラストワンプレーで同点にされたんです。PK戦で負けました」
全国レベルの強敵とも互角に渡り合えるほどサッカー部が強くなっていたのは、横田が1年生の年に川越高に赴任した諸田純一という顧問の先生のおかげだった。
「温厚で、黙って練習を見ているタイプの先生でした。ああしろ、こうしろと指示するのではなく、ヒントをくれる。サッカー部の部員たちが、自分で考えながらプレーできるようにです」
ひょっとして、スラムダンクの安西先生を彷彿とさせるタイプの?
「ああ! そうかもしれないです。ユーモアもすごくあって」
川高蹴球会がチームのモットーとしているのは、「やってて楽しく、見てて楽しく、なおかつ勝てるサッカー」だ。これはまさしく川越高サッカー部の顧問だった諸田が志向し、横田たちが体現しようと試みていたサッカーに他ならない。
きっと川高蹴球会が生まれた根底にある悔しさ以上の理由は「部活動のサッカーが楽しかったから。サッカーが大好きだったから」ではないだろうか。
そう考えると、川高蹴球会から派生したウィクリップのルーツは、諸田という指導者にも求められるのではないか? そう問い掛けると、横田は強く頷(うなず)いた。
「本当に、そのとおりだと思います」
ある意味で、これは教訓めいた話でもあるのだろう。指導者の大人が子どもたちに与える影響は大きいからだ。
「それで言うと――」
横田がすかさず反応する。
「自分がサッカーを続けてきた最初のルーツは、小学校時代のコーチの先生かもしれません。水村富美子先生です」
横田の記憶では、水村はハンドボールの世界では有力な選手だったが、サッカー自体の競技経験はなかったはずだ。
「諸田先生も水村先生も自由にやらせてくれました。型にはめようとするのではなく。だから楽しかったんだと思います」
横田は今でも、水村先生からいただいた手紙を大切に仕舞っている。その文面は、こう結ばれている。「これからも何事にもチャレンジ精神を持って頑張って下さい。横の笑顔は最高!」。
横田は優しいその笑顔を携えながら、小江戸川越という大好きな地元に恩返ししていくためにも、ウィクリップの仲間たちとコエド(co-ed)の挑戦をひたむきに続けていくに違いない。(文中敬称略)
取材・文●手嶋真彦(スポーツライター)
※サッカーダイジェスト2023年6月8日号から転載
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