【連載・東京2020】立田悠悟/中編「劣等感を抱いていた中高時代。それでも這い上がれた理由」

【連載・東京2020】立田悠悟/中編「劣等感を抱いていた中高時代。それでも這い上がれた理由」

立田が紆余曲折のキャリアを振り返る。写真:山崎賢人(サッカーダイジェスト写真部)



 2020年7月に開催される東京五輪。本連載では、本大会での活躍が期待される注目株の生い立ちや夢舞台への想いに迫る。

 8回目は、190aを越える長身と身体を張った豪快なシュートブロックが光る立田悠悟が登場。

 清水区で生まれ育ち、そのまま清水のジュニアユース、ユースを経て2017年にトップチームに昇格。世代別代表にはU−17代表からいつも名を連ねてきた。しかし本人は決してエリートではないという。なぜ立田は世代屈指のCBに成長できたのか。

 中編では、ジュニアユース時代からユース昇格までを訊いていく。身体が急成長した中学時代だからこその苦悩も。そしてなかなかイメージどおりにいかない悔しさを感じていた。それでも挫けなかったエネルギーになったのは――。

前編はこちら
【連載・東京2020】立田悠悟/前編「『あいつらはみんな命懸けだった』サッカー観を変えた恩師の問いかけ」

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――ジュニアユース時代には、どんなことを学びましたか?
「まず体力がなくて全然走れなかったので、そこはずっと言われてました。それと、基礎のところは小学校から続いてジュニアユースでもずっと言われ続けてましたし、自分の中でもすごく大事にしていた部分。それもすごく学べたところです」

――身長は小さい頃から高かったんですか?
「小学校低学年の頃は大きかったんです。でも、そこからどんどん周りの人に追い越されていって、中学に上がる頃はそこまでではなかったです。エスパルスジュニアユースに入った時に、159aだったのは覚えています」

――159aですか。たしかに特別高かったわけではないですね。
「でも中学3年間でかなり伸びたんですよ。中3の時には184〜185aくらいあったはずなので、25aくらい伸びたってことですよね。自分でもよくこんなに伸びたなと思います。なんか恐ろしいくらいですよね(笑)。一番背が伸びていた時期は、練習できなかったこともありました。成長が急すぎてうまくコントロールできないんですよ。動きがバラバラというか、うまく合わない感覚があって……」

――どんな感覚ですか?
「なんだろう。うまく説明するのは難しいんですけど、目線の高さが変わるから、ボールが落ちてくる軌道が分からなくなるというか、走っていて自分のイメージと合わなかったりする部分があったんですよね」

――それは、すごい。フィジカル的には追い込めなかったのでは?
「それでも、持久力をつけることはできますから、とにかく走り込みをずっとやっていましたね。夏に遠征に行った時には、1日2試合あると全然走れなくてよく怒られていましたし。ジュニアユースで3年間お世話になった岩下(潤)監督から試合中に『悠悟、腕振れ!』って指示されたのは、すごく覚えています。腕を振って走れって。あれは強烈でした。もう、サッカーのプレーとはまったく関係ない部分ですよ。それくらい自分はサッカー以前の部分でやるべきことがあった。上手い選手との差があったわけですよ。すごく悔しかったけど、仕方ないと思っていた自分もいて……」

――思うように身体が動かなくて、練習も休まないといけないこともあって、ストレスは相当なものだったでしょう?
「そうですね。(他の選手に)追いつかないといけないのにって気持ちもありましたし……。中3の頃にも試合には出させてもらってましたが、自分の特徴はなんだったのか、今振り返っても自分でもよく覚えてないです」

――当時はどんなことを考えてプレーしていたんですか?
「小学校ではFWをやることが多くて、中1の頃はボランチをやったりもしましたが、中2、中3あたりで本格的にセンターバックをやるようになっていたんですよ。でも、僕のできることといったら、ヘディングとかロングフィードとか、声を出すとか、そのくらい。できることが本当に少なかった。だから、ただひたすら、自分の出来ることをやろうって」
 
――でも、その数少ないできることは、今は持ち味になっていますね。
「そこはユースに上がる前に岩下監督からも言われたんです。これからどうやって上を目指していくか考えたほうがいい、自分のできることをやっていくことが大事だと。それは今も肝に銘じているし、続けているつもりです」

――普段の印象と違ってサッカーになると、ものすごく負けん気が強くなるところも印象的です。そうした性格はいつ頃培われた?
「元々負けず嫌いではありました。小学校の頃から試合に入ると熱くなっていましたよ。小学校でFWをやったときに、3人ぐらいにマークをつかれて、僕は何もできなくて、悔しくて半べそかきながら相手に砂を投げつけたことがあります(笑)。当然、試合後には監督にこっぴどく叱られましたね。それからはもちろん、そんなことはしてないですが、それくらい負けず嫌いだったし、その想いは年々強くなってますね」

――それをプロのピッチでもしっかりと表現してますね。
「まあ……でも僕はメンタルが強くないので、たまに気持ちが表情に出ちゃうんですよね。だからたまには泣いたり(苦笑)。ただ、そういう気持ちがないと次はないし、負けん気があること自体は良いことだと思っています」

――ユースに昇格してからは、どんなことを意識していましたか?
「意識というか、ただ辛かった想いが大きかったです。そもそもユースに上がれる自信がなかったし、実際に上がれたのも本当にギリギリの評価だったと思うんですよ。だからイメージ通りにはいかないだろうなと予想していましたし、本当にその通りでした。試合には出られないし、練習でもまったく通用しないし。正直練習に行きたくない時期もありました」

――焦りもあった?
「自信はなかったし、何もできないという感じでしたからね。(望月)陸とか(梅村)豪(現・立正大)は早くからAチームの試合にも出ていたので、余計に俺は何をやっているんだろうって」

――でも、そこで挫けなかった。
「今もそうですけど、舞台は変わっても自分の前には常に先を行っている人がいるんですよ。その人に負けたくない、頑張って食らいついてやるって、そういう反骨心みたいなものは、昔からずっと持ち続けています」
 
――それがエネルギーにもなっていると?
「そうかもしれないですね。最初はついていくだけだったのが、どんどん『負けたくない』『追い越したい』に変わっていくんです。僕としては、そういう感情が自然に出てきただけですけど、大事なことでしょうね」

――「もう無理だ、手が届かない」と思って諦めてしまう選手も少なくない。そう思わなかったのはなぜ?
「優れているものが少なかったからこそ、じゃあどうしたら勝てるのかって考えてやれていたからかもしれませんね。自分でもなんとか勝てるはずだって、どこかそんな強気な想いではいたので、諦めることはなかったです。ユースに入った当初も、全然通用しなかったけど、まだまだ時間はあると思ってやり続けてきた。だから2年、3年と上がるにつれて、周りに追いつけるようになったのかなと」
 

――聞いたところによると、高校生になってからも背が伸びていたとか。
「はい。高校に入ってからは徐々にですね。実はプロに入ってからも少し伸びましたよ」

――そうなると中学時代より身体を鍛えることもできたんですね。
「そうですね。かなりフィジカルトレーニングは増えて、特に高1の時はガンガン走っていました。その時の平岡(宏章)コーチが超恐い人で、サボるなんてまったくできなかった。まあ今も怖いんですけど。でも言ってくれるだけ有難いなと思います。何も言われなくなったら終わりですから」(注:平岡コーチは2014年=立田の1年時の夏からユース監督に)

――ユースでAチームの試合に出始めたのは、いつ頃からですか?
「1年生の最後のJユースカップでベンチに入れてもらって、2年の頭からプレミアリーグに出始めることができました。最初は何もできなかったですが、先輩の力を借りながら。特に一緒にセンターバックを組んだ村松航太くん(現・順天堂大/北九州に加入内定)の存在はすごく大きかったですね。それと試合に出してくれた平岡さんには本当に感謝しています。その時点では自分より優れた選手がたくさんいたのに、将来性という面も含めて使ってくれていたと思うので」
 
――2年生の頃はすごく成長した時期でしたね。
「やっぱり試合に出て高校のレベルを体験できたのは大かった。すごく濃い1年になりましたし、自信も深まりました」

――ユース時代には、村松選手からすごく多くのことを学んだと言ってましたね。
「自分は好きなことだけやっていて、隣にいた航太くんが全部尻ぬぐいをしてくれている感じでした(笑)。『後ろは見るから、お前は自分でいけ』って言ってくれていたおかげで、僕は思い切ってやれましたね。カバーリングの部分とか航太くんを見て学んだことは多かったです」

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 1月13日にお届けする後編では、高校2年生からプロ入りしてからの苦悩や葛藤、そして東京五輪への想いもなどを明かしてくれた。

PROFILE
立田悠悟/たつた・ゆうご/1998年6月21日生まれ、静岡県出身。191a・81`。入江SSS―清水クラブSS―清水Jrユース―清水ユース―清水。清水ユース出身の長身センターバック。2017年12月の森保ジャパン発足時からコンスタントにメンバー入りし、2018年のアジア大会では準優勝に貢献した。2019年5月のコパ・アメリカではA代表デビューも果たしている。

取材・文●前島芳雄(スポーツライター)
 

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