なでしこジャパン、3連敗のアメリカ遠征で“覚醒した45分”。東京五輪へのヒントは拾えたか?

なでしこジャパン、3連敗のアメリカ遠征で“覚醒した45分”。東京五輪へのヒントは拾えたか?

アメリカ戦で追撃のゴールを奪った岩渕。女王をあと一歩まで追い詰めたが…。写真:早草紀子



 東京オリンピックの前哨戦と言える「SheBelievesCup」(アメリカ)に参戦したなでしこジャパン。今大会の日本の失点は、最も集中しなければならない立ち上がりとゲーム終了までの10分間に多く生まれた。特に試合入りの失点は、ゲームプランを水泡に帰す。世界ランク1位のアメリカと対戦した最終戦でも、その悪癖が露呈した。

 7分にFK名手のミーガン・ラピノーに決められてしまう。鮮やかな放物線を描いたシュートは、絶妙なコースを通過してネットを揺らした。日本にとっては、ノーチャンスの見事なFKだった。問題はその20分後の失点だ。GK山下杏也加(日テレ・東京ヴェルディベレーザ)がなんということはない、攻撃の第一歩となる球出しをラピノーへ渡してしまう。そこからパスを受けたクリスティン・プレスにループを決められた。悪癖はとうとう最後の砦にまで及んでしまった。

 日本が覚醒したのは岩渕真奈(INAC神戸レオネッサ)がピッチに送り出された後半から。技術の高い岩渕がボールを持つことで必然的にDFは彼女を止めようと寄せに行く。そこを剥がしながらトップから右サイドへ動いた籾木結花(日テレ・東京ヴェルディベレーザ)やポストターゲットの菅澤優衣香(浦和レッズレディース)らとポジションを行き来しながら攻撃は活性化されていく。今大会はこのリズムが全くなかった。58分には杉田妃和、中島依美と回り、中央に折り返したところを岩渕がゴール。3人のINACラインで奪ったゴールは、アメリカにとって今大会初の、そして唯一の失点だった。

 残り7分という時間帯にセットプレーからトドメの3ゴール目を食らい、結果1-3というスコアで3連敗を喫して大会を終えた。結果としては惨憺たるものだが、最終戦に関しては初戦のスペイン戦と同スコアであっても、選手たちもなんとか自信をつなぎとめたという内容ではあった。

 とはいえ、最終ラインからビルドアップをする上でのリスク回避策は今大会を通して万全とは程遠く、高確率で失点につながっている。ビルドアップの位置を下げることにより生じるリスクへの意識が切り替わっておらず、曖昧なポジショニング、安易なバックパスがそのままピンチを呼び込む原因となっている。

「後ろからのビルドアップは絶対に必要」と高倉麻子監督は今大会でさらに意志を固めたようだ。ならば、最終ラインと中盤の間のスペースはもはや圧のない安全地帯ではない。その重要性を失点と引き換えに初戦でボランチが痛感し、第2戦ではディフェンスラインに浸透していった。そして最終戦ではGKのところでそれが出たわけだ。これでほぼ全員が代償を払ったことになる。もういいだろう。ここらで今一度リスクを再認識させる必要がある。
 

 アメリカ戦では攻撃面は一気に活性化されたが、これで前の2試合がチャラになるわけではない。シーズン前であるコンディションの問題はさておき、今大会ではチーム力の脆弱さが目についた。最終戦を前に、「意識を変えるだけでどこまで改善できるか分からないが、伝えていきたいと思う」とキャプテンの熊谷紗希は語っていた。結論からすれば、アメリカ戦ではある程度の改善は見られた。であれば、その段階に達してから初戦に臨むべきだろう。

 オリンピック本番まで強化試合が予定通り行なわれるのか――世界情勢が不透明な現状がある。「今できることを試す」のは初戦であり、その後はブラッシュアップさせる絶好の機会のはずである。最終戦でようやくスタート地点に立った今大会は、“積み上げ”と呼ぶには薄すぎる。

 ただし、収穫もある。杉田と三浦成美(日テレ・東京ヴェルディベレーザ)のボランチがようやく世界基準に必要な要素を拾い始めたこと、アメリカ戦の最終ラインにセンターバックを本職とするDF4枚を並べて、ビルドアップの得意な土光真代(日テレ・東京ヴェルディベレーザ)、三宅史織(INAC神戸レオネッサ)が守備意識を持ちつつサイドバックとして攻撃参加が可能だという新たな計算が立った。

 誰が出てもカラーが変わらないチームに――高倉監督の就任当初からのポリシーだが、メンバーが変わっても、変わらなくても、攻守にスイッチが入りにくいのが今のなでしこジャパン。そして今更ながら払拭できないひとつの疑念がある。高倉監督のもうひとつのポリシーである“枠にとらわれない自由なサッカー”を実は同じ矢印で捉えられていない選手も多くいるのではないか、ということだ。

 どんな強豪でも、自由に見えてチームをコントロールするためのロジックは必ずある。だが、日本の選手たちは「自由な発想を持たなければならない、枠にとらわれてはならない」と、自由という名の檻のなかでもがいているように見えてしまう時がある。それならばいっそのこと型(約束事)を決めて、そこからいくらでもはみ出せばいいと背中を押してやる方が意外と“自由”が効くのかもしれない。

 今大会では共通認識が欠けていたと多くの選手が口にした。その共通認識を高める“型”であれば足かせにはならないはず。初戦のようにピッチで手詰まりになった時に立ち返る場所になるのであれば、そうした用意も必要ではないだろうか。

取材・文●早草紀子

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