「ここまで苦労して現役を続ける意味があるのか…」サンティ・カソルラは“選手生命絶望の危機”からなぜ復活できたのか?【インタビュー】

「ここまで苦労して現役を続ける意味があるのか…」サンティ・カソルラは“選手生命絶望の危機”からなぜ復活できたのか?【インタビュー】

一時は歩行すら困難な状態から見事に復活したカソルラ。(C) Getty Images



 スペイン代表はEURO2008ユーロ、2012年ワールドカップ、EURO2012と前人未踏のメジャー大会3連覇を成し遂げ、長きにわたり世界のフットボールシーンを席巻した。この躍進を支えた小さなテクニシャンたちのなかで、サンティ・カソルラは最後の生き残りだ。ちらほらと白髪が見え隠れする頭髪に歳月の経過を感じさせるが、トレードマークの笑顔は健在で、ベテランとなった今もチームのムードメーカー的な存在であり続けている。

 2018年夏のビジャレアル移籍を境に復調した彼は、昨年5月に3年半ぶりの代表招集を受けた。一時は選手生命を危ぶまれるどころか、再び自由に動せるようになるのも困難もしれないと診断された、右足のアキレス腱を8センチも失うという大怪我から2年近いリハビリを乗り越えてのサプライズ復帰だった――。その彼が、この復活劇について語ってくれた。

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――現在の怪我の状態はどう?

「毎日ベッドでアキレス腱の患部のマッサージをしてもらっている。フィジオからは痛みが再発しないように、日々の生活から気を付けて行動しなければならないと忠告されていてね。ただ痛みはないんだ。自然に左足に負担をかけてしまうから、他のところには痛みが出るけどね。ただ筋肉痛みたいなものだし、プレーをする上では何の支障もない」

――リハビリ中、代表に復帰できると想像していた。自分でもまさかという思いはあるんじゃない?

「まったく想像していなかったよ。まあ、考えていなかったことが次から次に起こってはいるけれど、代表復帰はその中でもっとも遠いところにあった。再びプレーできるだけでも万々歳なのに。いまはフットボールがとにかく楽しい。でも同時に自分の立場や責任というものを感じ始めているところだ」

――(18年夏に)ビジャレアルへの復帰が実現したのは、フェルナンド・ロイグ会長と元同僚のマルコス・セナと会食の場を持ったことがきっかけだったんだよね。

「当時はビトリアとサラマンカの2つの街でリハビリをしていて、ビジャレアルがちょうどメンディソローツァ(ビトリアをホームタウンにするアラベスの本拠地)で試合をすることになった。それで現地で試合を観戦しようと考えて、セナとフェルナンドに連絡すると、夕食に招待してくれてね。その時怪我の状態を聞かれて、どんなことでも助けになるし、いつでも扉は開けて待っているという声をかけてもらったんだ。

 ふたりにもクラブにも感謝の気持ちしかないよ。それから頻繁に連絡を取り合うようになって、トップチームで練習する機会を与えてもらうことになった。コンディションを見た上で契約するかどうか判断しようという双方にとって何の責任も発生しない形でね」
 

――それで復帰の運びになったわけだけど、契約内容は、固定給プラス出場試合に応じて支給されるという出来高制だった。不満はなかったの?

「まったく。大怪我で2年近くブランクがあったし、僕のような高齢の選手のために博打を打つことはできないからね。最初からそういった内容の契約になるだろうことは覚悟していた。要は僕自身が再びフットボールができるところを証明すればよかったわけだしね」

――でも最初は、ボールを蹴るだけでも十分だと思われていたんでしょ。

「初日の練習を迎える前は、まだまだコンディションは元に戻っていないだろうというのが周囲の見方だった。なかには怪我の後遺症が残っていて、足を半分引きずっているような状態をイメージしていた人もいたようだ。ただずっと個人でしっかり練習を積んでいて、僕自身はかなり手応えがあった。だから普段通りのプレーをしただけで、周囲の驚きが伝わってきた。僕にとってもクラブにとってもそうやってゼロからスタートだったのが良かった」

――怪我の回復が長引いて、その中でいろいろな医者に診てもらって引退を勧められたことも少なくなかったそうだね。最後には自分を信じるしかなかった?

「2年という長い歳月の中で、様々な葛藤があった。回復の希望が見えずに、僕自身もサジを投げようと思ったことも一度や二度ではなかった。ただ同時にもう一度フットボールができるところをみんなに見せたいという気持ちは、常に持ち続けていた。

 無謀と言われることのほうが多かったけど、むしろそうした声が発奮材料になったんだ。それに努力を続けたのは僕だけではなかった。妻や子供たちの苦労に報いるためにも、何としても復帰を果たしたかったんだ」
 
――子供たちの存在が大きな励みになったようだね。

「娘はそこまでではないんだけれど、息子は超がつくほどのフットボールマニアでね。『どうして試合に出られないの』、『どこが悪いの』とよく質問攻めにあってね。当8歳だった息子にすべてを説明するわけにもいかず、よく状況が飲み込めていない様子だった。息子にもう一度ピッチで活躍する姿を見せたいという願いは、僕にとってはとても大きなモチベーションだった。もちろん今の僕を見て心から喜んでくれている」
 

――もっとも辛かったことは?

「毎週リハビリのため家を空けて、子供たちと離れ離れになることだった。当時は月曜から金曜まで泊まり込みでリハビリをして、週末にアストゥリアスの自宅に戻るという生活が続いていてね。月曜の朝に出かける時はとくにキツかった。しかも子供たちが、それをルーティーンのように受け止めてくれていることがなおさら複雑だった。息子からは『また行ってしまうの。これで金曜まで会えなくなるね』と毎週のように声をかけられてね。

 ここまでの苦労をかけさせてまで、現役を続ける価値があるのかどうか心が揺らいだ瞬間でもあった。ただそうした状態が続くのはせいぜい1、2時間で、いったん現地に到着し、リハビリに取り組み始めると、気持ちは完全に切り替えることができていた」
 
――サンティの復帰は、ともすればスペイン代表の世代交代がスムーズに進んでいないことの裏返しのようにも映るけど。

「それは僕の口からは何ともいえないな。もちろん年齢はハンデになり得る。所属クラブでいくらいいプレーを見せても、ある程度年齢がいっている選手は呼ばれる可能性は低くなる。実際、若手は若手でしっかりチームに貢献しているし、世代交代も着実に進められている。ただ肝心のタイトルという結果が伴わなかった。僕たちの世代が成し遂げた功績が、後に続く選手たちにとってプレッシャーになっている部分は否定できないだろうね」

――黄金時代を気付いた頃のスペインは、サンティをはじめ小兵のテクニシャンが揃っていた。現代表でプレーしていて。当時と違った感覚はある?

「もちろんそれはあるよ。選手たちの特徴も個々のプレースタイルも異なるしね。当時は(ダビド・)シルバ、(アンドレス・)イニエスタ、シャビ、シャビ・アロンソといった選手が中盤を支えていた。それが現代表ではまた特徴の異なったファビアン(・ルイス)という選手が君臨し始めている。もちろん彼は彼で素晴らしい選手だし、それはサウール(・ニゲス)も同様だ。それでプレースタイルが変わるのは当然で、それが良いか悪いかという問題ではない。それにフィジカルが強い選手が増えたとはいっても、マイボールを重視するという根本的なフィロソフィーは不変のままだ」
 
――最近、選手たちや監督の間で、この8年間ほどでフットボールは変わったという声をよく耳にする。昨今では(ユルゲン・)クロップ監督率いるリバプールに代表されるトランジションを重視するスタイルがトレンドになっているとね。

「それは僕も感じるよ。フィジカルを重視する意識が高まって、各チームの力が拮抗した。以前はテクニックで違いを見せられていたところが、そこにフィジカル的な要素も相手に対抗できるレベルにまで持っていかないと、勝負できない時代になっている」

――サンティ自身は、そうしたフットボールの変化にどのように対応しているの?

「僕自身も変わろうと努力している。とくに個人レベルでも、チームレベルでも試合の流れを読む能力を磨くことに努めてきた。年齢も重ねて、年々フィジカルで勝負するのは厳しくなっている。そこでモノをいうのが経験に裏打ちされたインテリジェンスなのさ」
 
――(ビセンテ・)デル・ボスケ監督時代にはシャビの後継者と目されていた時期もあった。(アーセン・)ヴェンゲル監督時代のアーセナルでも、すでにセントラルMFとしてプレーしていたね。

「若い頃はサイドやトップ下が本職だったからね。セントラルMFには少しずつ慣れてきて今がある。頻繁にボールに絡むことができるし、いまの僕にぴったりの役割だと思っている」

――左右両足を遜色なく扱えることもプラスに働いたんじゃない?

「そうだね。サイドラインを背負ってプレーする状況では中に切れ込むという一方向に動くしか選択肢がない。それがセンターだと左右の二方向に増えるからね」

インタビュアー・文●ラディスラオ・ハビエル・モニーノ(エル・パイス紙)
翻訳●下村正幸

※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙の記事を翻訳配信しています。

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