「故郷に病院がなくて7歳の時に父が死んだ…」リバプールの“10番”マネが過酷すぎる幼少期を告白!

「故郷に病院がなくて7歳の時に父が死んだ…」リバプールの“10番”マネが過酷すぎる幼少期を告白!

クロップ・リバプールの象徴ともなったマネ。彼が明かした幼少期のエピソードは衝撃的なものだった。 (C) Getty Images



 近年目覚ましい成長を遂げ、いまやアフリカ・サッカー界のスターの一人となったリバプールのサディオ・マネ。だが、その人生は決して平坦なものではなかったようだ。

 2014年の夏にレッドブル・ザルツブルクからサウサンプトンに入団したマネ。そこから飛躍的な成長を遂げると、その活躍ぶりがリバプールの指揮官だったユルゲン・クロップ監督の目に留まり、16年の夏にレッズ(リバプールの愛称)入り。以降4年間の公式戦161試合で77ゴール・34アシストと確かな戦績をマークしている。

 今やプレミアリーグ首位をひた走るリバプールに必要不可欠なタレントとなったマネ。だが、セネガルの田舎町バンバリで育った幼少期は、決して恵まれてはいなかったようだ。英紙『Guardian』によれば、「Rakuten TV」で公開されたドキュメンタリー内で、こう語っていたという。

「僕が7歳のころだ。サッカーをしていると、従兄弟が近づいてきて言った。『サディオ、君の父が亡くなった』と。すぐに『嘘だろ? ジョークじゃないのかい』と答えたよ。本当に信じられなかった。

 実は、父は亡くなる前の数週間にわたって病気に苦しんていた。セネガルの伝統的な薬を買ったりして、3〜4か月は落ち着いていたんだけど、病は再発した。その時に使った薬も効かなかったんだ……。でも、僕の故郷には病院がなくて、父は隣の村へと運ばれた。命を助けられるかどうかを確認したが、残念ながらそれは不可能だった」

 世界銀行の情報によれば、マネの故郷バンバリがあるセディウ州は70パーセントが貧困状態にあると報告されており、本人が明かす通り、まとも医療環境はない地域だ。

 それでも「その死は僕にとって大きな衝撃だったけど、幼心に『母親を助けるためにベストを尽くさなければならない』と感じた」というマネは逞しく少年時代を生き抜き、のちにプロ選手となって一大決心を下す。なんと故郷のバンバリに病院を建てたのだ。

 マネは建設への想いを次のようにコメントした。

「僕の村には病院がない。だから、姉も僕も自宅で生まれた。決してクリーンとは言えない環境だったと思う。本当に悲しい状況だったんだ。だから、人々に希望を与えるため、病院を作りたかった」

 さらに地域の少年たちの学習環境を整えるため、学校も建設したというマネ。自らのような経験をさせまいと故郷に貢献する行ないは、まさに英雄のそれである。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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