【W杯アジア予選を突破した日】初出場を決めたマレーシアの夜と岡田監督からのお礼の封筒

【W杯アジア予選を突破した日】初出場を決めたマレーシアの夜と岡田監督からのお礼の封筒

マレーシアのジョホールバルでW杯初出場を決めた日本代表。最後は岡野が決めた。(C) Getty Images



 過去6度のワールドカップに出場した日本代表は、これまで5度のアジア予選を突破してきた。本稿ではそれぞれの最終予選突破を果たした試合にスポットを当て、そこにまつわる舞台裏エピソードや関係者たちの想いに迫る。

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 フランス・ワールドカップ・アジア最終予選。B組の日本は、韓国に次いで2位となり、イランとのアジア第3代表決定戦に臨むことになった。

 1997年11月16日、マレーシアのジョホールバルで試合が開催されることになるのだが、この試合に向けて日本代表の岡田武史監督はトレーナーの並木麿去光ら先発隊を現地に送り、決戦への準備を着々と進めていた。

 ジョホールバルに先に入った並木は、まずラーキンスタジアムのチェックに行った。

 そこは半年前にワールドユースの準々決勝でガーナと試合をしていたので、よく覚えていた。ただ、その時はロッカールームが狭く、マッサージ用の簡易ベッドなどを置く場所に苦労し、選手もリラックスできるスペースがなかった。もうひとつホーム用のロッカーを確認して見てみると2倍の広さがあった。試合では日本は狭いロッカーの予定になっており、仕事的にも、またワールドユースで負けた同じロッカーでは勝負運もどうかと思った。幸いイランはまだ到着していなかったので、マレーシアのサッカー協会に「ロッカールームを替えてもうおう」と話をしに行った。

「たまたまそのスタジアムにマレーシア協会理事のヤップがいたんです。それで『替えてもらってもいいか』って聞いたら『日本チームのためならいいよ』って言ってくれたんですよ。広いロッカーになり、よりいい環境で気持よく試合に挑めるじゃないですか。小さなことだけど、そういうことも大事かなって思っていました」

 並木らスタッフはアリ・ダエイ、アジジ、マハダビキアら強烈な攻撃陣を持つイランは相当に強いという話を聞いていた。一方でダエイは足首の状態が悪いという情報も入っていた。試合前日、日本の練習時間と同じ時にスタジアムに姿を見せたイランは42時間もの長時間の移動の影響もあって、コンディションが整わず、「かなり疲れている」と選手もスタッフも感じていたという。

 そして、それが試合で現実になる。
 

 延長後半終了間際に岡野雅行がゴールデンゴールを決めた時、並木は岡田監督とほぼ同時にピッチに飛び出した。ワールドカップ出場を決めたら最初にピッチに飛び出そうとエキップの麻生英雄と約束していたが、興奮してひとりで飛び出した。だが、抱きつこうと思っていた岡野のところに行くまでに、1人の選手にものすごいスピードで抜かれた。それがカズだった。

 ロッカーに戻り、落ち着くと岡田監督とトイレに行った。すると岡田監督に「ナズー、タバコくれ」と言われ、トイレの中で一服した。岡田監督は紫煙をくゆらせながら美味しそうに吸っていた。半端ないプレッシャーの中で戦い、苦しんだ気持ちが解放され、煙になって消えていくようだった。

 ロッカールームには小倉純二専務理事、そして大仁邦彌技術委員長がニコニコしながら訪れた。選手たちは最終予選突破のボーナスを求め、「1000万円、1000万円」というコールで盛り上がった。並木も一緒になって、ボーナスコールをしていたが、大仁技術委員長に「おまえはないよ」と苦笑して言われたという。

 その日から1週間後、並木たち日本代表チームのスタッフは御殿場の時之栖に集合し、慰労会を行なった。レストランで食事をした後、敷地内にあるパオというモンゴル式のテントがカラオケルームになっており、そこに移動した。すると岡田さんだけちょっと席を外し、遅れて戻ってきた。レストランの客全員にサインをしたら飲食代が無料になるとのとことで30分ほどサインをしてきたのだという。そうして、飲んで、歌って酔いが回ってきた時、岡田監督は「ちょっと、1回待ってくれ」と声をかけた。

 カラオケを止めると岡田監督は、こうみんなに語りかけたという。
「これまで、みんなに何のお礼もしていないので挨拶させてくれ。ワールドカップまで監督を続けるかどうか正式に決まっていないけど、ここまでこれたのはみんなのおかげなのでありがとう。協会から俺だけボーナスもらってしまったんで、嫁と相談したらみんなと分けた方がいいよってことで、お礼の意味を込めて渡したいと思います」

 岡田監督はセカンドバッグから人数分の封筒を取り出し、小野剛コーチやマリオGKコーチら一人ひとりに手渡していった。並木たちの順になると少し雑になり、笑いながらブーメランのようにして投げてきた。

「投げられるぐらいなんで、うすって思っていたですよ(笑)。でも、部屋に戻って開けてみたらピン札で、たしか20万円ぐらい入っていた。その時、十数名いたんで、岡田さん、大金をセカンドバッグに入れてもってきたんですよ。ほんと、岡田さんの気持ちが、すごく嬉しかったですね」

 岡田監督には明確なスタイルがあったという。

 前任者の加茂周監督は親分気質でスタッフに、他のスタッフの調子を聞いていた。だが、岡田監督は、直接スタッフ本人に話を聞き、各自の状態を把握しつつ、選手についてなどいろんな情報を得ていた。

「試合前は世界に入ってしまうんで、話かけられないけど、普段はできるだけみんなと話をするという監督でしたね。そうして全員に目配りしていたんです」
 
 そんな監督だからこそ、苦しくとも最後にチームはひとつになり、ワールドカップへの扉を押し開くことができたのだろう。

 そして、封筒のお礼は、フランス行きの約束手形にもなったのである。

文●佐藤 俊(スポーツライター)

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