「間違えちゃったかな、来るところ」。青森山田高で受けた衝撃【室屋成のルーツ探訪/前編】

「間違えちゃったかな、来るところ」。青森山田高で受けた衝撃【室屋成のルーツ探訪/前編】

日本代表にも名を連ねる室屋。プロになるまでどんなキャリアを辿ってきたのか。金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)



「雪は凄いし、先輩たちは怖い。監督にはなんとも言えないオーラがある。最高学年には柴崎(岳)選手がいるし……。間違えちゃったかな、来るところ」

 青森山田高に進学し、超名門のサッカー部の練習に参加した時、室屋成は「とんでもないところに来てしまった」と直感的にそう思った。

 1994年4月5日に大阪府の泉南郡熊取町に生まれた室屋は、実を言えば中学までサッカーに没頭していたわけではなかった。地元のゼッセル熊取FCに入団したのも「拓実がいたから」だという。「拓実」とは、そう、現日本代表でリバプールに在籍している南野拓実のことである。

「拓実のお兄ちゃんとうちの兄貴が同じサッカークラブに入っていたんですよ。母親同士もめちゃくちゃ仲良しで、(練習の)送り迎えの時は僕と拓実もついて行ってふたりで遊んでいました。しばらくしてから拓実もサッカーを始めたので、『じゃあ、僕も』という感じでしたね」

 幼馴染の南野曰く、小学時代の室屋は「鬼ごっこをしていたイメージがめっちゃ強い」。なにより楽しかったのは友達と遊ぶこと。この頃はまだプロのサッカー選手になるという夢など抱いてなかった。そもそも、自分にそんな才能があるとは考えもしなかった。
 
 室屋少年は「なんでもやりたい子」(本人談)で、実際、スイミングスクールや習字教室に通った。良く言えば好奇心旺盛、悪く言えば飽き性で、いずれにしても長続きしなかった。学習塾もすぐに行かなくなったそうだが、サッカーだけは例外だった。もっとも、サッカーへの純粋な興味よりも、「チームに仲の良い友だちがいたから」だった。最大の楽しみは言うまでもなく、練習後の鬼ごっこ。追う、追われる、そんな動作を繰り返すことで自然と脚力は鍛えられたという。

 ゼッセル熊取FC時代のポジションは、主にFWかトップ下だった。90年代後半から2000年代前半にかけてイタリアのセリエAが日本で流行っていた背景もあり、憧れの選手は「バティ」ことガブリエル・バティストゥータ(元アルゼンチン代表FW)だった。

「他のみんなは(ブラジル代表の)ロナウド選手やロナウジーニョ選手が好きでしたけど、僕は『ミーハーな選手に行かへん』と。それでバティを好きになりました。あの長髪はもちろん、豪快なシュートが格好良かった。本当に大好きで、アルゼンチンのユニホームを買ってもらいました」

 サッカーの才能があることは少しずつ自覚し始めていた。生まれつき運動神経が良く、体力もあったのでチームのなかでも目立つ存在だった。しかし──。思わぬ挫折を味わうことになる。なんと、セレッソ大阪Jrユースのセレクションで不合格になってしまうのである。
 

「かなりショックでした。ずっしりきたというか、それでやる気を失ってしまったところはあります」

 だから、中学時代はサッカーに集中できなかった。南野がセレッソ大阪Jrユースでスキルアップに精進する一方、室屋は地元の友だちと遊んでばかりいた。サッカーへの情熱を失ってしまったからだろうか、ゼッセル熊取FCJrFCJrユースでは守備の仕事を疎かにする傾向があり、それがきっかけで前線のポジションからボランチにコンバートされた。

「ディフェンスを全然やらなかったら、コーチに『ボランチをやれ』と言われて。あの頃は明らかに守備をさぼっていました」

それでも、サッカーが嫌いになったわけではなかった。ゼッセル熊取FCJrユースはお世辞にも強豪クラブと言えなかったが、室屋自身は大阪選抜に選ばれるなど“個”としての実績は残していた。そして、これが明るい未来への扉を開くきっかけにもなった。

「中学3年生の時、青森山田高が大阪でキャンプをしていたんです。そこで練習参加する機会に恵まれて、たまたま黒田(剛)監督に声をかけてもらえました。『サッカー推薦で高校行けたらいいな』という想いは多少なりともあったので、『これやな』と、いや、『行くしかない?』と即決しました」

 ただ、高校生活が始まると──。

 「やばいぞ、俺」

 室屋は少なからず焦っていた。

「雪は凄いし、先輩たちは怖い。監督にはなんとも言えないオーラがある。最高学年には柴崎(岳)選手がいたし……。間違えちゃったかな、来るところ」

 サッカー推薦で青森山田高に進学した当初は弱気な一面を覗かせた。ただ、室屋は小学生時代に挫折した頃の甘ちゃん坊やではなかった。サッカー推薦で来た以上、それに尽力してくれた人たちに迷惑をかけられない、なにより自分のために「ここで終わるわけにはいかない」と決意を新たにしたのだ。

「入学した頃はCチームだったんです。でも、このままで終わるのは絶対に嫌やと思って。とにかく頑張りました。もう、気持ちだけで戦いました。高校からサイドハーフをやっていたので、仕掛けまくって、攻撃しまくって、目立ってやろうと。そうしたらBチーム、Aチームと上がっていって公式戦で使ってもらえるようになりました」
 
 ただ、まだプロになるという明確な目標は持てていなかった。

「当時の柴崎選手は雲の上の存在という感じでした。努力の量も半端なかったし、こういう人がプロになるんだなと。それに比べて自分はまだまだ。未熟でしたよね」

 そんな室屋に大きな転機が訪れたのは、「高校1年の最後(11年3月)」。この時に参加したU−16日本代表のキャンプが後の飛躍への足掛かりになった。

<中編に続く。文中敬称略>

取材・文:白鳥和洋(サッカーダイジェスト編集部)

※『サッカーダイジェスト』2019年8月22日号より転載。一部加筆・修正。
 

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