「痺れた」「正直、頭に来た」恩師が忘れられない"ふたつの思い出”【室屋成のルーツ探訪/中編】

「痺れた」「正直、頭に来た」恩師が忘れられない"ふたつの思い出”【室屋成のルーツ探訪/中編】

選手としても、人間としても大きく成長できた明大時代。プロになるためのベースがここで築かれた。写真:FC東京



 青森山田高に進学した室屋に転機が訪れたのは、高校1年の最後(11年3月)。この時に参加したU−16日本代表のキャンプが後の飛躍への足掛かりになった。

「『えっ、俺、(代表活動に)行くの?』って感じでした。どうやら黒田監督が推薦してくれたみたいです。『室屋っていう選手がちょいちょい活躍していますよ』って」

 当時、U−16日本代表のコーチを務めていたのが菊原士郎だ。現役時代は「天才」と謳われ、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)の黄金期を支えたMFでもある。その菊原がどういうわけか室屋の実力を高く評価していたという。

「士郎さんのプッシュもあって、2011年のU−17ワールドカップに出場できました(4試合に出て日本のベスト8入りに貢献)。ただ、大会後に士郎さんから『お前のプレーを見ないまま代表に呼んだ』と言われました。どうも『室屋成』という名前を気に入ってくれたようで、それだけで呼んでくれたみたいです。本当かどうかは分かりませんが、いずれにしてもU−17ワールドカップに参戦できたのは大きかったです」

 室屋の才能を開花させた功労者のひとりが、当時のU−17日本代表監督の吉武博文だ。

「吉武監督がU−17代表の試合で僕をサイドバック(以下SB)で使ってくれて。凄い楽しかったです。『結構守備できるじゃん、俺』って気づかされる部分もあって。元々攻撃は得意だったし、体力にも自信がある。なにより走力が求められるポジションは正直、やりやすかったです」

 そこから室屋はSBとして本格的に目覚める。青森山田高でもそのポジションで不動の地位を確立。高校選手権優勝こそ成し遂げられなかったが、高校時代の3年間において“サイドバックとの出合い”は何物にも代え難い財産となった。

「1対1の局面でスライディングタックルを決めたり、本当に楽しかったです。高校時代は対人で負ける気がしませんでした。『仕掛けてくるなら来いよ』という感じで。サッカーを心から楽しむようになったのは、サイドバックに転向してからです」

 “プロへ”という意識が芽生え始めていたのもこの頃だ。それでも室屋は、大学進学により強いこだわりを持っていた。

「父親と母親に『大学で学んでほしい』とも言われていたので、高卒でプロに行くという選択肢はあまり考えていませんでした。東京の大学への憧れも少なからずあったので、サッカー推薦で明治大に行く決断をしました」
 
 プロになるための準備期間──。室屋は大学生活をそう捉えていた。サッカーが上手ければいいだけではダメ、人間力も磨かないとJリーグの舞台には立てない。漠然ながらそんな思いを抱いていたのである。当時の明治大・体育会サッカー部の監督である神川明彦も次のように話す。

「文字通りギラギラしていた。ここを足掛かりにJリーグに行くんだっていう気合いが全身から漲っていました。だから、室屋という素材を壊さないよう、持ち味を消さないよう、彼の望む世界に導いてやるのが私に与えられた命題でした」

 神川が室屋の才能に着目したのは、同大学の総監督だった井澤千秋(18年9月に死去。享年69歳)に「(青森山田高に)良い選手がいるぞ、サイドバックで、室屋っていうのが」と言われたからだった。そして神川は、12年12月31日の青森山田×野洲戦(高校選手権の1回戦)で室屋が躍動する姿をスタジアムで見て、確信する。「あれがうちのサッカー部に入るかもしれないのか、良い選手だな」と。ただ、同時に悪癖も見抜いていた。

「ユニホームを引っ張る反則については厳しく注意しました。『何をやっているんだ!!』と。明らかに故意的なファウルですからね。私も井澤さんも反則をしてでも止めろという教育はしていません。抜かれて失点したらそこまでの実力ということを室屋に伝えましたが、納得できなかったのか、彼は反抗的な表情をしていましたけどね(笑)。他にも相手を無駄に挑発したり、後ろからタックルしたり、ダーティーなプレーが目に付いたので、こっ酷く怒りました。天性のスピードがあるのになぜ抜かれるのか、足りない何かを見つけなさいと。その原因追及こそ大事で、反省もせずユニホームを引っ張るようでは成長など見込めないということを言いました」

 これは期待の表れでもある。「選手のハートに火をつけて闘争心を引き出すタイプ」と自らいう神川は、あえて室屋に厳しく接した。才能は本物、しかし天狗になってもらっては困る、そうした愛情があったからこそでもある。

「良い選手なのは間違いない。ただ、そういうことを彼が1年の時には言いませんでした。大学で磨くべきはなにより人間性です。技術、戦術云々よりも、ひとりの人間としてどう振る舞えばいいかを教えるほうが重要でした。大学を卒業したら社会人ですから。社会に出たらなにも言い訳できない。まずはそれを理解させたうえで、プロの話をしようかと考えていました」

 

 神川の頭の中にはひとつのプランがあった。在学中に室屋をプロに行かせるという計画が。だから、彼が2年生になるタイミングで、神川は声をかけた。

「『ここまで学校の単位はしっかり取れているが、そもそも在学中にプロになるイメージはあるのか』と訊いたら、室屋は『なりたいです』と。(明治大学出身の)長友(佑都/現ガラタサライ)に続いていかないといけないレベルの選手だったので、『そうだよな』と返しました。ただ、指定校推薦で入ってきた長友と違って、室屋はスポーツ推薦。そこがひとつのハードルでしたが(スポーツ推薦の場合、4年間のサッカー部在籍が入学条件のひとつ)、『君が望むなら俺は学校に掛け合う』と。説得材料になり得るのが単位数だったので、そこは『しっかり頼む』と室屋に言ったのを覚えています」

 プロ転向の話はあとで述べるとして、神川には忘れられない思い出がふたつある。ひとつは13年6月9日のアミノバイタルカップ決勝、明治大が慶應大を3−0で下した試合での室屋のパフォーマンスだ。

「慶應大の左サイドは当時3年生の武藤(嘉紀/現ニューカッスル)。中央大を7−5で下した準決勝ではハットトリックを決めるなど、まあ凄かった。彼を抑えないと勝てないので、決勝の前に室屋を呼んでこう言ったんです。『お前の対面は武藤だぞ、絶対に抑えろと。彼さえ封じ込めれば勝てるから』と。そうしたら気合いのこもった声で『はい?』と返してくれて、試合前からすでにゾーンに入っている感じでした」

 その試合、室屋は武藤に仕事らしい仕事をさせなかった。結果は3−0で明治の勝利。優勝決定後、慶應大の須田芳正監督から「今日の室屋は素晴らしかった」と称賛された神川は自然と笑顔になった。

「痺れましたね。そして改めて確信しました、凄い選手だって。相手が大きければ大きいほど燃える。基本的にびびらないんですよ。緊張という言葉は室屋に当てはまらない。本当によくやってくれました」

 もうひとつの思い出が、同年7月の出来事。天皇杯の東京都予選で東京ヴェルディユースと当たった時のことだ。

「その試合で室屋をスタメンから外したんです。当時は小川大貴(現ジュビロ磐田)、橋諒(現・松本山雅FC)も含め3人でサイドバックを回していましたが、ユニバーシアードから戻ってきたばかりの小川を『それでもキャプテンだから』という理由でスタメン起用しました。で、負けたんですよ、0−1で。勝ち負けに関わらず、僕は試合後にスタッフやベンチメンバーとも『お疲れ様』という気持ちを込めて必ず握手をするんですが、室屋はそれを拒否するような感じで私から目を逸らして……」

 正直、神川は頭に来ていた。しかし、態度に出すわけにはいかない。とはいえ、このまま放置するのもよくないから、その日の最後のミーティングで神川は選手たちに言った。

「今日は残念だったけど、切り替えよう。ただ、ひとつだけ許せないことがあった。さっきみんなと握手した時、ひとりだけ私から目を逸らす選手がいた。おそらくその選手はなぜ使ってくれないんだとか、そういう想いがあったのかもしれないけど、態度に出すのはおかしい」

 何事も他人のせいにするような真似だけはしてほしくない。まずは自分自身にベクトルを向け、先発できるだけの力がなかったと反省すべきと、そういうメッセージを室屋に送ったのである。
 
 その半年後、神川は室屋の成長を目の当たりにすることになる。

 14年3月に開催されたデンソーカップ宮崎大会で全日本大学選抜の監督だった神川は、東海北信越選抜チームとの1回戦で室屋をスタメンから外した。コンディションの良し悪しで判断した結果、湯澤聖人(現アビスパ福岡)を右SBで先発させたのだ。

 しかし、その湯澤が後半途中に足をつってしまう。ちょっとしたアクシデントに見舞われた神川は、すぐさま室屋をピッチに送り込んだ。すると──。

「半端ないプレーを見せてくれました。びっくりしましたよ。ボールを奪うし、オーバーラップを仕掛けるし、自陣にすぐ戻るし。感動しちゃいましたよ」

 試合後、神川は室屋に単刀直入に訊いた。「今日は凄かったけど、どうした?」と。返答は以下のとおりだった。

「スタメンから外れてめちゃくちゃ悔しかったです。でも、そこでふて腐れても意味がないので、監督がどんな指示を出しているのかをなるべく近くで聞こうと思いました。自分が出た時に何をすべきか、それをずっと考えつつ整理していました」

 神川が次の試合から室屋をレギュラーにしたのは言うまでもない。そして神川は、この時思うのだ。

「もはや大学レベルの選手ではない。プロでも十分に通用する」

<後編に続く。文中敬称略>

※『サッカーダイジェスト』2019年8月22日号より転載。一部加筆・修正。

【PHOTO】サポーターが創り出す圧巻の光景で選手を後押し!Jリーグコレオグラフィー特集!

関連記事(外部サイト)