【W杯アジア予選を突破した日】ドイツ行きを決めた“無観客試合” 選手たちはなぜ素直に喜べなかったのか?

【W杯アジア予選を突破した日】ドイツ行きを決めた“無観客試合” 選手たちはなぜ素直に喜べなかったのか?

北朝鮮とのアウェー戦は、中立地のタイで無観客試合として行なわれた。写真:サッカーダイジェスト写真部



 過去6度のワールドカップに出場した日本代表は、これまで5度のアジア予選を突破してきた。本稿ではそれぞれの最終予選突破を果たした試合にスポットを当て、そこにまつわる舞台裏エピソードや関係者たちの想いに迫る。(文●佐藤 俊/スポーツライター)

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 過去、ワールドカップアジア最終予選を突破した試合で、もっとも異質で感情移入するのが難しかったのが、2005年6月8日のドイツ・ワールドカップ・アジア最終予選の北朝鮮戦だ。柳沢敦らのゴールで2−0とリードし、淡々と終わった試合内容もあるが、このスタジアムには本来あるべきサポーターの野太い声もファンの熱気もなかったのである。

 なぜなら、無観客試合だったからだ。

 こうなったのは、05年3月30日、北朝鮮のホームで開催されたアジア最終予選のイラン戦で審判の判定に激怒した北朝鮮の観客がピッチにモノを投げ込むなど、暴徒化したからだ。それを問題視したFIFAが北朝鮮国内での開催権をはく奪し、第三国での無観客試合とする制裁を決めた。その結果、タイ・バンコクのスパチャラサイ国立競技場での試合が決定したのである。

 異質で感情移入が難しかったと前述したが、それにはいくつかの理由があった。

 もちろん無観客というシチュエーションの影響は大きい。その時代も今も変わらず、雷神の如く響き渡るサポーターの声援は、選手の背中を押し、代表の試合を盛り上げるには欠かせないものだ。彼らはこの時もスタンドの外で声を枯らして応援していたが、彼ら不在の試合は気が抜けたシンハビールのように味気なかった。

 また、メインスタンド側には300人の日本の報道陣と50名の北朝鮮の関係者が座っていたが、それはスポーツの試合観戦というよりもコンベンションセンターで催し物を見ている感じだった。アジアサッカー連盟から「ユニホームを着て応援しないこと」という御達しが出ていたが、北朝鮮側の応援が過熱すると関係者が注意し、スタンドから数名が消えると一層、静かになった。試合はまるで練習試合のようだったが、公式戦であるべきものがない状態を見慣れていない自分たちにとっては違和感しかなかったし、選手もやりづらさを感じていたという。

 ただし、ワールドカップ出場が決まったのに、もうひとつ盛り上がりに欠けたのは、空っぽのスタンドのように選手の気持ちには心から喜べないものがあったからだ。

 ジーコは、中田英寿と中村俊輔のふたりを軸に、海外組の選手を重宝してチーム作りを始めた。国内組は、海外組がいない時の代用、常にサブ的な位置づけだった。長い時間、国内組で合宿を組んで調整しても、いざ試合になると2、3日前に合流した海外組の選手を起用するなど、その間には明確な一線が引かれていたのである。

「今までの合宿でやってきたのは何だったのか?」
「国内組だって十分できるのに、なぜチャンスを与えてくれないのか?」

 そんな声がチームに吹き上がっていた。

 実際、ドイツ・ワールドカップ・アジア1次予選、アウェーのシンガポール戦では2、3日前に合流した海外組を起用したが暑さで動けなくなり、危うく敗戦もあり得るかというところまで追い込まれた。選手たちには見えていた課題だが、試合に出ている選手は文句を言わない。それからもその問題の解決には至らず、そのままやり過ごしてきたのだ。

 北朝鮮に勝ってワールドカップ出場を決めた時も状況は何も変わっていなかった。そのせいかミックスゾーンでの選手の声も歓喜というよりは冷静で表情は淡々としていた。

「とりあえず、突破できたんでよかったかな」

 そんな声がほとんどだったのだ。

 ワールドカップ初出場から8年、まだ3回目の本大会出場を決めたばかりなのに、もう出て当たり前と思えるように意識が変わったのかと思ったが、実はそうではなかった。最終予選は突破できたけど、このままでいいのか。本当に自分はワールドカップに行けるのか。行っても果たして試合に出るチャンスがあるのか。今のチームで世界に勝てるのか。そんな疑心暗鬼のマインドが多くの選手を支配していたのである。

 この時の選手間の温度差や不安は、ドイツ・ワールドカップ本番で現実となる。

 ジーコは、目に見えていた問題を積極的に解決しようとはせず、自分好みのスター選手を集めたオールスターチームにこだわった。そして、ドイツ・ワールドカップメンバーの選考もその方針を貫いたのだった。

 02年ワールドカップ日韓大会でなぜ日本がベスト16まで進出できたのか。

 トルシエは、日本代表監督に就任する際、日本の選手やマインドについて知らなかった。だが、日本を知り、日本人を学び、どんなチームを作れば日本代表にとって最善なのかを考えた。ワールドカップの時には23名中、4、5名は試合に出られない。それでもチームのために一生懸命にやれる選手を入れようと考えたトルシエは、中山雅史と秋田豊をメンバーに入れて、見事にチームをまとめてみせた。

 ちなみに、その時のフランス代表が対照的で、スター選手ばかり集めた影響でチームが崩壊し、グループリーグ敗退を喫している。そうしてはいけないという見本を4年前にフランスは見せ、日本はこうあるべきという姿を見せた。

 ジーコは、Jリーグ夜明け前に来日し、日本を誰よりもよく知る外国人だった。

 だが、トルシエのように本質的なところまで理解できていただろうか。過去のワールドカップにおける強豪国の失敗例から、何かを学んできただろうか。チーム作りの手法や指導などを見ていると、どちらも否としか思えなかった。

 何も言わない、何も動かない指揮官に選手は半ば失望していた。

 本大会では「ジーコを男にしよう」「チームのために」ではなく、選手は自分が試合に出ることだけを考えていた。実際、選手たちの多くがそうした気持ちであったことは、初戦のオーストラリア戦で逆転負けをした後の彼らの言動と、その後の結果が証明している。

 北朝鮮戦に勝利した後、ワールドカップ出場を決めて喜ぶジーコと淡々とした選手の表情のコントラストはファンがいない無機質なスタジアムにあって、より鮮明に映った。無観客試合は、それまで見え隠れしていたチームの本当の姿を改めて浮き彫りにしてくれたのである。

文●佐藤 俊(スポーツライター)

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