【番記者コラム】ジェフを変えたオシムのサッカー哲学。改革は就任前から始まっていた

【番記者コラム】ジェフを変えたオシムのサッカー哲学。改革は就任前から始まっていた

独自のサッカー哲学で千葉を指導したオシム監督。多くの注目を浴びた。(C)SOCCER DIGEST



 昨季限りで現役を引退した佐藤勇人は、2019年10月17日の現役引退発表会見の質疑応答で、彼に、そして千葉というクラブに大きな変化をもたらした人物のことを「2メートルくらいの大きな人(笑)」と形容した。

 その大きな人とは、2003年に就任し、2006年6月中旬まで指揮を執ったイビチャ・オシム元監督のことだ。オシム監督についてはさまざまな記事が数多くあるが、この指揮官の就任以降はほとんどのことが千葉の選手やコーチングスタッフ、クラブスタッフ、そして番記者にとっても初体験で驚くものばかりだった。

 指導しながら選手個々のコンディションやトレーニングの内容の理解度をチェックし、選手に常に緊張感を持たせる意味合いもあって、その日のトレーニングが終わらなければ翌日のトレーニングスケジュールが決まらない。さらにオフの日がほとんどなく、オシム監督に任命されたキャプテンの阿部勇樹が選手代表でオフの日を求めて直訴すれば、「休むのは引退してからで十分だ」と返された。

 
 トレーニングの内容も多色のビブスを使用したルールが難しいものがある一方で、例えば全面サイズのピッチでの3対3などのゲーム形式のトレーニングでは「なぜ、助けに入ってやらないんだ」とピッチ外の選手に叫び、相手チームに勝つために選手が自己判断で、監督が決めたルールを破ることも求めるなど多彩だった。

 ボールを使ったトレーニングでも走力とスタミナが求められたが、実は走力といっても距離の長さやスピードが重要なのではなく、適切な位置に効率よく動くことが肝要だった。味方を活かすために必要不可欠な『無駄走り』ともいえる献身的な動きも『水を運ぶ』という言葉を使って重視され、なによりも常に頭を使うことを求められた。

「試合のほうが楽だ」と選手が異口同音に語ったトレーニングによって、賢く考えてスペースを作り、前の選手を追い越してスペースに飛び出して行くという『考えて走るサッカー』が千葉のスタイルとなった。

 ある試合でGKからシュートを打つ選手まで全員が動きながらダイレクトパスをつないだ攻撃があったが、ピッチ上の選手がイメージを共有し、それを体現できる状況判断力とプレーの選択、そして走力が身についていたからこそのシーンだった。

 選手が楽しそうに試合をする姿が多く見られた2003年、千葉はJリーグ開幕以降、初めてシーズンを通して優勝争いに加わり、2001年以来となるクラブ史上最高位の年間3位となった。そして2005年にはヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を制し、Jリーグで初のタイトルを獲得した。

 もっともリスクを冒すことを恐れず、攻守両面でアグレッシブに戦うというオシム監督のサッカー哲学を実践して結果を残した千葉は、その指揮官の就任で劇的に変化して強くなったと思われがちだが、実はそうではない。劇的な変化は確かにあったのだが、強くなるためのベースはその前から作られていた。

 2000年のシーズン終盤に就任したズデンコ・ベルデニック監督は、攻守で組織的に戦うことを改めて選手に植え付け、特に守備ではゾーンプレスを基本に、献身的にプレーすることを求めた。

 選手個々の能力を組織の規律の中で活かすように指導し、千葉は2001年のリーグ戦の第1ステージで2ステージ制ではクラブとして最高位の2位となり、年間順位は3位。そのベルデニック監督が名古屋の監督に就任したため、2004年に千葉を率いたジョゼフ・ベングロシュ監督はベルデニック監督よりも選手の自主性を求める指導で、年間順位は7位と振るわなかったが、規律と自主性の二面を経験して下地を作った選手たちは、オシム監督の指導をよく吸収した。

 また、オシム監督が選手はもちろん、クラブスタッフにも求めていたのが『勝者のメンタリティ』だった。オシム監督は当時の千葉のクラブの体質を、現状に満足して挑戦していないと評した。

 しかし、強化スタッフはJ1残留争いを繰り返すチームを変えるべく、『勝つこと』『優勝すること』を体験し、それにこだわれる選手の獲得に動いていた。その一例が2002年に加入した羽生直剛と2003年に加入した巻誠一郎で、ふたりは2001年ユニバーシアード北京大会で優勝したチームの一員だった。

 2001年には韓国代表のエースのチェ・ヨンス、読みの上手さと堅実なプレーが光るスロベニア代表のゼリコ・ミリノビッチを獲得し、攻守それぞれで核となる選手がチームに存在した。

 さらに、アカデミーからトップチームに昇格した阿部勇樹や佐藤勇人の成長もあり、オシム督就任時にタレントが揃いつつあったのも、好成績につながる要因となっていた。
 
 実際の指導はもちろんのこと、オシム監督が語る言葉はウィットに富みながらも哲学的で、サッカー界を超えて『オシム語録』として有名になった。選手たちは例えば「ハーフタイムに監督が言っていたことが後半にはそのとおりになる」と話し、オシム監督が発する言葉の重要性を理解していた。

 トレーニングの内容や試合における戦術などの指導とはまた別に『言葉』に力を持った指導者だったからこそ、千葉をあそこまで大きく変えることができたのだろう。

 相手の内心を見透かすような鋭い眼光が印象的だったオシム監督は、取材者にとっては質問にきちんと答えてくれるのか心配してしまうという意味で、非常に緊張する指導者だった。千葉というクラブだけでなく取材者までも鍛え、変化をもたらしたのは間違いない。

取材・文●赤沼圭子(フリーライター)

関連記事(外部サイト)