元高校教師からJクラブの社長に転身!群馬の奈良知彦が打って出た「人生最後の大勝負」

元高校教師からJクラブの社長に転身!群馬の奈良知彦が打って出た「人生最後の大勝負」

17年末から群馬の社長を務める奈良氏。昨季はJ2復帰に導いた。写真:伊藤寿学



 2017年12月27日、元前橋商高サッカー部監督・奈良知彦氏がザスパクサツ群馬の社長になることが発表され、就任会見が開かれた。

 会見の場には、同時期に群馬の監督へ就任した元市立船橋高サッカー部監督・布啓一郎氏。さらにはクラブの強化育成アドバイザーとなった前橋育英高サッカー部監督・山田耕介氏も同席した。

 奈良氏の社長就任は、驚きだった。

 前橋商サッカー部監督として27年間指導。1988、89年度には全国高校サッカー選手権で2年連続ベスト4入り。着任当時はまったくの無名だった商業高校を全国有数の名門へ押し上げた。04年の異動に伴い高校サッカーの現場から勇退したあとは、別の高校で教頭、校長を務め15年に定年退職を迎えていた。名将は群馬県高校サッカーに大きな功績を残して教育現場から身を引く。教員退職後、大学で授業を持つなどサッカーとは離れて過ごしていた。
 
 だが、群馬県のサッカー界に危機が訪れた。唯一のプロクラブであるザスパクサツ群馬が17年にJ2で低迷し、J3に降格したのだ。窮地に追い込まれたクラブの役員らが救いを求めたのが、群馬県のサッカー事情に精通し、育成年代で確かな実績を積んでいた奈良だった。

 当時のクラブは、成績低迷、財政難、信頼失墜という状況。社長というポジションはあまりにもリスクが大きい。まさに「火中の栗を拾う」作業。当然、家族には猛反対されたが、奈良はこの役を引き受けた。「私を育ててくれた群馬県のサッカーの危機に対して、何もしないわけはいかなかった。ザスパは県内唯一のJクラブ。群馬からJリーグの灯が消えてしまえば、子供たちの夢がかすんでしまう」

 奈良は、旧友の布に声をかけて監督に招聘すると、自らが社長となって荒波に立ち向かっていった。社長就任会見で掲げた言葉は「乾坤一擲(けんこんいってき)」。運を天に任せて大勝負をするという意味だ。「この挑戦は私にとって人生最後の大勝負です。皆さんの力をお貸しください」。さらに「笑顔」「団結」「J2復帰」の3つのビジョンを掲げてクラブ改革へ乗り出していった。奈良が社長を断っていたら、クラブは消滅していたかもしれない。
 

 元教員の奈良社長は「チャイム」「朝礼」「今日の言葉」など学校のしきたりを会社に取り入れて、経営改革を実践。奈良は「元商業高校の教員だったが、帳簿はまったく読めない。でもJリーグクラブの財産は社員。社員を成長させなければいけないという教育者の血が騒いだ」。会社の風通しは良くなり、それは地域の信頼回復につながった。

 J2復帰チャレンジの1年目となったJ3での18年シーズンは、5位に終わりJ2復帰を逃した。J3での2年目は、リーグからの救済金がなくなるなど大幅な予算削減を求められたなかで開幕を迎えたが、布監督との二人三脚によって昇格レースに食らいついていく。一時は負ければ終戦という状況にまで追い込まれたが、執念の戦いによって命をつなぐと、ついに昇格の可能性を残したまま最終節を迎える。

 最終節、敵地・福島ユナイテッドFC戦。2位の群馬は勝てば無条件で昇格を決められる。アウェーのスタンドを群馬サポーターが埋め尽くすシチュエーションで、選手たちは躍動。2−1で勝利を収めて、悲願のJ2復帰を成し遂げた。65歳の奈良社長は、布監督と抱擁を交わすと、選手たちの歓喜の輪に消えていった。

「この年齢になって、あのような大きな感動を味わえるとは思っていなかった。2年前に社長を引き受ける時は迷いもあったが、引き受けて本当に良かったと思った。サッカーに感謝です」
 
 2年でのJ2復帰を果たした群馬にとって、20年は新たなチャレンジの年となる。布監督が退任し松本山雅の監督になったため、群馬はかつて選手兼監督としてチームをJFL昇格に導いたクラブレジェンドの奥野僚右氏に指揮権を預けて、原点回帰でJ2の舞台へ挑む。

 Jリーグがコロナ禍によって中断している4月下旬、クラブは、前橋育英の山田監督が学校に籍を残したまま、群馬の会長に非常勤取締役として就任することを発表した。奈良社長の人生最後の大勝負は、多くの仲間を呼び寄せ、クラブの潮流を激変させた。

奈良社長の功績は、「乾坤一擲」という言葉とともにクラブ史に刻まれる。

取材・文●伊藤寿学(フリーライター)
 

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