「柏から世界へ」。シンボルワードに定着するきっかけになった”大舞台”

「柏から世界へ」。シンボルワードに定着するきっかけになった”大舞台”

「柏から世界へ」の横断幕は、今もなお掲げられている。写真:滝川敏之



 柏から世界へ――。
 
 チャントのフレーズとして、試合前に掲示されるビッグフラッグにも刻まれたこの言葉は、今やクラブの”シンボルワード”と化している。

 しかし、以前の柏は“世界”とはまったくの無縁だった。西野朗監督時代(1998年1月〜2001年7月)にナビスコカップ優勝(99年)とJ1セカンドステージ2位(2000年)と好成績こそ収めたものの、02年以降は成績が安定せず、毎シーズンのように残留争いを繰り返していた。05年と09年にはJ2降格を味わうなど、世界はおろか国内の戦いでも阿鼻叫喚という有様だった。

 11年、ネルシーニョ監督によって再建された柏は、昇格後即J1優勝という前人未到の快挙を成し遂げ、開催国枠でクラブ世界一を決定するクラブワールドカップに出場した。

 クラブワールドカップは非常にタイトな日程で行なわれる。柏がリーグ優勝を決めたJ1最終節の12月3日からクラブワールドカップ開幕まで準備期間はわずか4日。さらに開幕以降は中2日の日程で試合が組まれている。実際に柏は8日の開幕戦から18日の3位決定戦まで11日間で4試合を戦った。大会期間中、ネルシーニョ監督はタイトな日程を強いられることは強者の宿命という意を込めて、選手たちに「これが強いチームだ」という言葉を投げかけている。

 ほんの数年前まで国内リーグの残留争いが定位置だったチームが、各大陸チャンピオンと相まみえ、次々と撃破していく姿はとにかく爽快だった。準決勝でネイマール擁するサントスに1-3で敗れ、実力の差をまざまざと見せつけられたものの、この大会を通じて世界基準を体感したことによって、選手の意識は大きく跳ね上がった。サントス戦に出場した選手たちは、試合後にこうした言葉を発していた。

「この大舞台で、こういう相手に対して身体と身体をぶつけあって感じたことはあるし、それをチームとしても個人としても経験できたことはものすごく大きい。このクラスが、僕らが目指す道だなというのを感じた試合だった」(北嶋秀朗)

「これからのレイソルを背負っていく若い選手にとっては、輝かしい将来のためにとても大きく貴重な経験になった」(ジョルジ・ワグネル)

「ネイマールのような世界的な選手と戦えたことは良い経験になった。とにかく幸せな時間だった。この経験をこれからに活かしていきたい」(酒井宏樹)

 国際大会で学び得ることの大きさを実感した選手たちからは、いつしか「アジア・チャンピオンズリーグで優勝して、またあの大会に出場したい」という声が聞かれるようになっていった。強いチームであることの意義を、選手の誰もが感じていた。

 12年のJ1最終節、柏は勝てばACL出場という位置にいたにもかかわらず、鹿島に敗れて6位でシーズンを終えた。かつての柏ならば「リーグ戦6位」は好成績と捉えていただろうが、大谷秀和が口にした「6位では誰も満足していない」という言葉は、以前との決定的な違いである。その悔しさと「またあの世界で戦いたい」という強い思いを選手が抱いていたからこそ、彼らは同年の天皇杯で優勝を成し遂げ、クラブワールドカップに出場(ACL優勝チームに付与される)するために、ACL出場権を自力で手繰り寄せたのだ。

 また、トップチームのタイトル獲得と国際大会の出場は、アカデミーの選手たちにも多大な影響を及ぼしていた。当時柏U-15に所属していた古賀太陽は、トップチームがクラブワールドカップやACLで躍動する姿を羨望の眼差しで見つめ、同時に「レイソルは世界で戦うクラブなんだ」と認識したという。柏の将来を担う多くの子どもたちの潜在意識に“世界”という言葉が刻まれた。

 選手をはじめ、クラブに関わる多くの人の目を世界へと向けさせた11年のクラブワールドカップ出場。それはサポーターも例外ではない。この大会でサポーターから発せられた “柏から世界へ”というフレーズは、その後のACLを通じて、柏が世界を目指すクラブのシンボルワードに定着し、今ではその歌声が当たり前のようにスタジアムに響き渡っている。

取材・文●鈴木 潤(フリーライター)

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