FC東京に残る「J2降格の傷」。当時、石川が吐き捨てたひと言が…

FC東京に残る「J2降格の傷」。当時、石川が吐き捨てたひと言が…

試合後に涙を拭う徳永の姿は忘れられない。写真:サッカーダイジェスト



 2010年12月4日、最終節の京都サンガF.C.との一戦。キックオフ直後、取材ノートに走り書きしたのは、「立ち上がり、選手に硬さ」のメモだった。

 その年のFC東京は開幕前から怪我人を多く抱え、得点力不足にも悩まされた。夏の移籍市場で長友佑都がセリエAのチェゼーナに期限付き移籍すると、泥沼の9戦未勝利が続いて残留争いに巻き込まれてしまう。大黒将志らを獲得して得点力アップを図り、シーズン途中の監督交代を決断したものの、最後まで袋小路を抜け出すことはできなかった。

 第32節終了時点で、FC東京と降格圏の16位ヴィッセル神戸との勝点差は3。得失点差は10離れていたため、第33節のモンテディオ山形戦で勝利すれば、残留を大きく引き寄せることができた。

 しかし、迎えたホーム最終戦で、東京は引いて守る山形の守備に大苦戦。それでも、後半29分に平山相太がゴールをこじ開けて待望の先制点を手にした。

「このまま逃げ切れれば……」

 そう脳裏に浮かんだ試合終了まで残り5分、左サイドからFC東京のゴール前にクロスが放り込まれる。それを途中出場の田代有三に頭で決められ、同点に追いつかれてしまう。土壇場で勝利に見放されるシーズンを象徴するようなゲーム内容。今思えば、ここがターニングポイントだった。
 
 一方で、神戸は清水エスパルスに1−0で勝利し、最終節を残して勝点差は1に詰まった。それでも最終節に勝てば残留が決まる。優位な状況だったが、「勝たなければいけない」という重圧は選手の間に広がっていた。

 追い詰められたFC東京は、西京極で前半34分に失点すると、そこから重圧に押しつぶされて瓦解した。今野泰幸は「選手同士では落ち着こうと声を掛け合っていた」と言うが、攻撃は最前線の平山に目掛けたロングボールに終始。間延びしたチームはセカンドボールを拾われ、終了間際には追加点まで許してしまう。すでに降格が決まっていた京都に為す術なく完敗。試合終了の笛がなると、ピッチの選手たちはベンチを振り返った。大熊清監督の判断で、神戸の試合経過を知らされていなかったからだ。

 だが、ベンチ脇で泣き崩れている控え選手を見て、すべてを察知した。今野は「まさか」と言葉を失い、当時のキャプテンだった徳永悠平はその場で泣き崩れた。
 

 A代表経験者を多く揃え、シーズン開幕前には優勝候補の一角として名前も挙がっていた。どこで歯車は狂ったのか――。試合後の囲み取材で、その質問に明確な答を用意できた選手などいなかった。

 誰もが傷を負った。後に、徳永は「オレ、あの試合のあとの記憶ないんですよ」と言った。彼の涙を拭うあの姿は忘れられない。塩田仁史は、この日のことをこう口にしていた。

「遡れば、(2000年に)J1に昇格させた選手や、当時から応援してくれているサポーターもいる。そして、周りには、ずっとクラブを支えてくれた人たちもいる。そういう人たちの思いが積み重なって、今のFC東京がある。降格した原因、理由はたくさんあったと思う。でも、問題は僕たちにあったし、選手の力が至らなかった。10年以上の歴史に関わったすべての人に申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
 
 そして、石川直宏は、この年を象徴するようなフレーズを残している。10年シーズン最後の公式戦となった鹿島アントラーズとの天皇杯準決勝に敗れた直後、「このチームはぬるい」と吐き捨てたのだ。

 J2降格を美化することはできない。あの無情な笛の音も忘れることはできない。あの場に立ち会った誰もが心に深い傷を負った。身をザクザクと削られる思いだっただろう。ただ、これも紡ぐ歴史の1ページで、終わりなどない。その痛みを知って、克己心を養い、反骨心を胸に立ち上がった選手たちがいた。この敗者たちにも、喜びの花は咲く。それを僕は知っている。

文●馬場康平(フリーライター)
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