「自分のこと以上に悔しい」市船OBペナルティが熱血&爆笑トーク! 後輩部員89人に向けて語ったこととは?

「自分のこと以上に悔しい」市船OBペナルティが熱血&爆笑トーク! 後輩部員89人に向けて語ったこととは?

市立船橋のOBであるペナルティの二人。ヒデさん(左)とワッキー(右)さんが現役部員に対して想いを語った。※写真はリモートミーティング中のスクリーンショット。



 高校サッカーの名門・市立船橋。インターハイ優勝9回、選手権優勝5回を誇り、2014年以降は高円宮杯プレミアリーグEASTで戦い続けるなど、常にユース年代のトップシーンを牽引する強豪校だ。

 しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、学校のある千葉県は早々に緊急事態宣言が出され、今もなお解除されていない。休校が続き、部活動も停止している中、少しでも選手たちにプラスになるようにと、これまで渡辺広大(ザスパクサツ群馬)、椎橋慧也(ベガルタ仙台)、杉岡大暉(鹿島アントラーズ)、金子大毅(湘南ベルマーレ)など同校OBのJリーガーが、サッカー部のリモートミーティングに参加をして熱い話をしてきた。

 今回は市船サッカー部のOBであり、人気お笑い芸人のペナルティのヒデ(中川秀樹)さんとワッキー(脇田寧人)さんがこのリモートミーティングに参加。1〜3年生まで89人の選手と、波多秀吾監督をはじめスタッフの前で熱いトークを繰り広げた。


 ミーティングはまずワッキーさんの同期であり、市船サッカー部後援会副会長の村田貴顕氏がファシリテーターとしてスタート。ヒデさんがMCとなって、ワッキーさんとの掛け合いで始まった。その中で、話がインターハイに及ぶと、2人の部員に寄り添うような深い言葉が投げかけられた。

 ヒデさんは市船サッカー部において2度目の全国制覇となる1988年度のインターハイ優勝(87年と2連覇)経験者。その話題を振られると、ヒデさんは「・・・ん〜そうですね、優勝しましたけど、同じくらい、いやそれ以上に皆さんは力を持っていると考えると・・・。本当に自分のこと以上に悔しいですね」とインターハイが中止となった選手たちの心情を気遣った。

「皆さんはもっと計り知れない悔しさというか、辛さというか、物凄い葛藤の中で何を頼りにすればいいのかと思うほど、部活動というものに懸けていたと思います。結構僕の代のプロになった選手たちといろいろ連絡をとって話したのですが、やっぱり高校サッカーに関わったOB、OGたち、みんな『何かをしてあげたい』という気持ちは持っているし、それを伝えたくて今回の依頼をいただいて、こうして監督さんはじめ皆さんとお会いすることができています」(ヒデさん)。

 そこから話題はインターハイ中止の伝え方に移っていた。この決定があった時はちょうど休校期間に入っていたため、波多監督から直接伝えることはできず、選手全員に伝達するアプリを通じて文章で伝えたという。

「素直で前向きな選手が多いので、こういう状況になっても1か月単位でフィジカルコーチが渡すメニューをしっかりとこなしていますし、各選手が自分のやれることを一生懸命取り組んでくれています。ただ、サッカーは今のところ選手権の可能性はあるので、気持ちを切り替えて前に進もうとしていますが、他の部ではインターハイがなくなったことでそのまま部活が終わってしまった3年生もいますので、それぞれ救済措置があることを願っています」

 波多監督が現状をこう語ると、それを受けてヒデさんはDF石田侑資キャプテンに話を振り、現在の心境を聞き出した。

「インターハイはアピールする場としては重要だったので、中止が決まった時は残念な気持ちはありましたが、選手権とプレミアがあることを信じてやろうと切り替えることが出来ました」

 この発言を受け、ワッキーさんが「キャプテンとしてチームをまとめることで大変なことはありましたか?」と聞くと、「大変と思うことはありません。むしろ楽しいです。正直な選手が多いし、サッカーがめちゃくちゃ好きな選手が多いです」と返答。「石田キャプテンが一番サッカーが好きそうだよ」と振られると、「めちゃくちゃ好きです!」と発言し、雰囲気を和ませた。

 また、続け様にワッキーさんが波多監督に「なぜ石田さんをキャプテンにしたのか?」と聞くと、「リーダーシップがありますし、嫌われ役にもなれるし、率先して動くことができる。去年のレギュラーでもあるのですが、上級生に対しても遠慮せずに物事をはっきりと言える選手だったので間違いないと思いました」と、指揮官は絶大な信頼を口にした。

 そして話はペナルティの2人の大学時代の話に及んだ。2人は市船を卒業後、専修大に進学し、サッカー部に入部。まずは入学の経緯、入学後の話題で盛り上がった。
 

ヒデ:僕が大学3年の時、ワッキーが2年の時にJリーグが開幕したので、高校卒業時はJリーグがなかった時代で、大学に進学する選手がほとんどでした。一方でずっと小学校から一緒にやっていた名良橋くんのように限られた人間がJリーグの前身である日本リーグに行くような時代でした。

ワッキー:小3からサッカーをやっていましたが、ずっと膝が痛くて、大学になってからいろんなお医者さんを回ったのですが、『もう無理じゃないかな』とドクターストップがかかってしまったんです。なので、私は専修大の寮を夜逃げしてしまったんです。一応4年間はサッカー部に在籍をしていたのですが、卒業することが出来ず中退となりました。一応、市船と専修大のパイプを汚して中退したわけではないということを伝えておきます(笑)。

ヒデ:1年生早々に、寮に全てひらがなの置き手紙で『さがさないでください』と残していなくなったんです。

ワッキー:結果、誰も探さなかった(笑)。

ヒデ:ご本人の意思を尊重して私は一回も探しませんでした(笑)。

ワッキー:探しなさい! そこから2、3年は大学生ではあったのですが、プータローのような生活をするんです。それでヒデさんが4年生になった時に、2、3年ぶりに僕は専修大のサッカー部の寮に遊びに行ったんです。当時の4年生はめちゃくちゃいい人ばかりで、仲良かったので、ふと『会いに行きたいな』と思って……。それでサッカー部の寮の部屋を適当に開いた最初の部屋にヒデさんがいたんです。ドアを開けたらヒデさんが座っていて、『うわ、ヤベェ』と閉めたら、『おおお〜い、挨拶わい!』と言われて、『便所に来い』と言われて、共同便所に連れて行かれて、『めっちゃ怒られる』と思ったら、『俺と一緒にお笑いやらないか』と言われたんです。そこからしばらくして、ヒデさんが大学を卒業してから、僕が大学4年になった年に吉本興業に入りました。市船でサッカーをやっていたときには2人でコンビ組んでお笑いやろうと思っていなかったけど、何かの縁で芸人になってコンビを組んで27年目ですよ。

 2人のこれまでの歩みで盛り上がったが、ここから話は2人の『人生の教訓』と『後輩に伝えたいこと』の思いが込められたメッセージへと変わっていく――。

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)

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