【日本代表 隠れ名勝負】フラット3の初披露…だけではなかったトルシエジャパンの初陣。指揮官らしさがいきなり全開!

【日本代表 隠れ名勝負】フラット3の初披露…だけではなかったトルシエジャパンの初陣。指揮官らしさがいきなり全開!

98年トルシエジャパンの初陣となったキリンチャレンジカップのエジプト戦。中田英がドリブルで持ち上がる。写真:サッカーダイジェスト



 ワールドカップやアジア最終予選、アジアカップやコンフェデレーションズカップといったメジャーな大会ではなく、マイナーな大会や親善試合においても日本代表の名勝負は存在する。ともすれば歴史に埋もれかねない“隠れ名勝負”を取り上げる短期集中連載。第4回は98年、トルシエジャパン時代のエジプト戦を振り返る。(文●飯尾篤史/スポーツライター)

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 指導キャリアの大半を過ごしたアフリカで付けられたニックネームは、白い呪術師――。

 謎のベールに包まれたフィリップ・トルシエを新指揮官に迎えた初陣が1998年10月28日のエジプト戦だった。

 セリエAのデビュー戦でユベントス相手に2ゴールを叩き込んだ中田英寿の凱旋ゲームでもあったこの試合は、新監督を知るうえで示唆に富んだゲームだった。

 22人中17人がフランス・ワールドカップのメンバーで、フォーメーションも同じ3-4-1-2だったが、長居スタジアムのピッチで躍動したのは、ワールドカップの時とはまるで異なるチームだったのだ。

 最終ラインに目を向ければ、キャプテンの井原正巳を中心にした3バックが果敢にラインを押し上げようとしている。この時点ではまだ「フラット3」というネーミングは公になっていない。だが、後方にひとり余らない井原のポジショニングは、まぎれもなくフラット3特有のもの。

 中盤にも新監督のエッセンスがまぶされていた。

 加茂ジャパン、岡田ジャパンではウイングバックにサイドバックの選手を起用するのが定石だったが、この日右ウイングバックを務めたのは、中盤中央を本職とするプレーメーカーの望月重良だったのだ。

 実は、練習では伊東輝悦がこのポジションで試されていた。試合前日に母親が亡くなったためにチームを離れたが、伊東にしても本来は中盤中央の選手。望月や伊東はその後も右のアウトサイドで起用され、他にもボランチの明神智和が右ウイングバックに入ることがあった。

 一方、左ウイングバックには、中村俊輔や小野伸二が起用されることになる。つまり、アウトサイドに求める最大の資質は、上下動ではないわけだ。プレーメーカーやバランサーをウイングバックに起用し、ゲーム構成力や連動性を高めていく――トルシエ戦術の肝はすでに初陣で仕込まれていた。


 トピックは、ピッチの中だけではなく、試合後にもあった。

 会見場に姿を現わした指揮官は一方的に話したあと、質疑応答を拒否してロッカールームに引き上げてしまうのだ。

「人間の生死というものは、フットボールの本質を越えたものだ」
 伊東の母親の急死についてコメントするうちに、感極まってしまったということだった。選手の肉親の不幸に、他人事ではいられないという指揮官の態度は、信頼に足る人物だという印象を濃くした。もっとも、その後は奇行が目立つようにもなるのだが……。

 試合は呂比須ワグナーの獲得したPKを中山雅史が決めて、1-0でアフリカチャンピオンを撃破した。試合展開が白熱したわけではなかったが、フラット3の披露、アウトサイドの人選、会見での振る舞いなど、トルシエらしさが全開で、新生日本代表の可能性が浮かび上がるゲームになった。

 もっとも、翌日にはそうしたポジティブなムードをかき消すニュースが飛び込んでくる。横浜マリノスと横浜フリューゲルスの合併が発表されたのだった。

文●飯尾篤史(スポーツライター)

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