“ペップ最大の汚点”や“迷走マドリーの象徴”etc――スペイン人記者が選ぶラ・リーガ過去20年のワースト11【現地発】

“ペップ最大の汚点”や“迷走マドリーの象徴”etc――スペイン人記者が選ぶラ・リーガ過去20年のワースト11【現地発】

ブランコ記者が選んだラ・リーガ過去20年のワースト11。(C) Getty Images



 ビッグクラブでノーインパクトに終わった選手を中心に選んだ。

 GKのアルバノ・ビサーリは当時10代だったイケル・カシージャスとの定位置争いに敗れ、入団からわずか1年でレアル・マドリーを退団。出番自体が限られていたが、その少ない機会の中でもビッグクラブのゴールマウスを守るに値するパフォーマンスを披露できなかった。

 最終ラインにもマドリーからひとりをセレクト。CBのジョナサン・ウッドゲイトは、とにかく怪我に泣かされ続けた。その根底にあったのはメンタルの問題だ。数少ない出場機会で披露したプレーはとにかく安定感を欠き、頻繁に監督の首が挿げ替えられたマドリーの迷走を象徴する選手だった。

 もうひとりのCBに選んだドミトロ・チグリンスキは、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったバルセロナ躍進の立役者、ジョゼップ・グアルディオラ監督の最大の汚点の一つだ。獲得を強烈にプッシュしたが、評価していた足下の技術を発揮する以前に守備能力、パーソナリティーともバルサでプレーするレベルに達しておらず、周りのチームメイトの動きについていけなかった。

 そのバルサで、入団早々に失格の烙印を押されたのがドウグラスだ。一時代を築いたダニエウ・アウベスの系譜に連なるブラジル出身の攻撃的SBという触れ込みだったが、控えすら満足に務められない有様で、不可解な補強を決行したフロントへの風当たりを加速させる結果になった。

 左SBはこれといった“適任者”が思い浮かばず、右SBやCBが本職のゲオルギオス・セイタリディスをチョイス。ギリシア代表でEURO2004制覇に貢献した実力者だが、アトレティコ・マドリーではメンタルコントロール能力の欠如がネックとなり、軽率なミスを連発。ムラっ気が多く、試合に出場できる心理状態だったかどうか疑問を抱かせる時さえあった。
 
 中盤は3枚。アンカーに置いたトーマス・グラベセンは、ネガティブな意味でマドリディスモの記憶に残る選手だ。テクニック、戦術眼いずれも周囲のチームメイトと比べて大きく見劣りし、ドウグラスと同様になぜ獲得したのか理解に苦しむ惨状だった。

 マルセロ・ソサがアトレティコ時代にもっとも衆目を集めたのは、入団プレゼンテーション恒例のリフティングにおいて、滑って背中から倒れてしまったシーンだ。この不吉なスタートがその後もついて回り、「南米期待のホープ」との呼び声は完全な看板倒れに終わった。

 インパクトのネガティブ度ではファビオ・ロッケンバックも負けていない。2000年初頭のジョアン・ガスパール政権時代に補強で迷走を繰り返したバルサを象徴する選手で、テクニックの欠如はともし難かった。グアルディオラの後釜という前評判は、そのままフロントの補強の拙さの表われであった。
 

 前線にも能力不足を露呈した面々が並ぶ。マキシ・ロペスはパワープレー要員として前線の基準点になりながら、要所で得点を奪うという明確なミッションを遂行するためにバルサの一員になった。だが、ボールテクニック、動きともぎこちなく、その特徴をまったく発揮できなかった。

 13年夏にセビージャに加入したラウール・ルセスクは、母国の名門ステアウア・ブカレストでの実績が全く通用せず、図らずも東欧サッカーのレベルの低下を知らしめた。ポジションを争うライバルだったカルロス・バッカとケビン・ガメイロとのレベルの差は歴然としていた。

 見込み違いだった点はマヌエル・カナバルも同様だ。将来性を期待されて1997年夏にマドリーに入団するも、スピード、運動量ともに不足し、ストライカーとしての能力を発揮する以前の問題だった。マドリー退団後もラージョ・バジェカーノ、マラガなど中小クラブを転々としたキャリアが示すように、残念ながら第一線で活躍できるレベルになかった。

 監督のパコ・アジェスタランについても叙情酌量の余地はない。もちろんラ・リーガ1部のクラブを率いること自体、リスペクトに値するし、また結果でほぼ全てを評価される監督という仕事の難しさもある。しかし、こそスペイン人指揮官が率いたチームは、バレンシアにしてもラス・パルマスにしても組織としての体すら成していなかった。選手たちのピッチ上で浮かべる苦悩の表情が、指導力の欠如を物語っていた。

文●アドリアン・ブランコ(エコス・デル・バロン)
翻訳●下村正幸
 

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