本田、バロテッリ、カッサーノ…現地識者が選ぶセリエA過去20年のワースト11

本田、バロテッリ、カッサーノ…現地識者が選ぶセリエA過去20年のワースト11

片野氏が選んだセリエA過去20年のワースト11。(C) Getty Images



「ワースト」という評価をどのようにして下すかは難しいところだが、ここでは「活躍を期待されながらそれを大きく裏切った」という基準を設けることとした。

 必然的に、鳴り物入りで移籍したけれど思いっきり「ハズレ」に終わったというケースが大半を占めることになった。中にはキャリアそのものが期待されてはそれを裏切る連続だった、というケースもある。しかしそれは、それだけ大きな期待を集めるタレントの持ち主だったわけで、その意味で非常に残念だと言わなければならない。

 その代表格と言うべきなのが、このベスト11の中でも圧倒的な存在感を放つ2トップ、すなわちマリオ・バロテッリとアントニオ・カッサーノだ。ともに10代でセリエAに鮮烈なデビューを果たし、その圧倒的な才能を見せつけたにもかかわらず、その後のキャリアはピッチ上の活躍よりもピッチ外のトラブルで話題を呼ぶばかりだった。

 あのサミュエル・エトーをして「あと数年以内にワールドクラスに成長しなかったらぶっ殺す」と言わしめるタレントの持ち主だったバロテッリは、インテルで監督のジョゼ・モウリーニョと喧嘩別れした後、マンチェスター・シティ、ミラン、リバプールとメガクラブを渡り歩きながら、輝いたのは短期間だけで、ついにその潜在能力を開花させられず、メジャーな舞台から姿を消した。そしてニース、マルセイユを経て流れ着いたブレッシャでも力を発揮できず、チームはセリエAの最下位に沈んでいる。
 
 カッサーノはサンプドリアやパルマのように自身を特別扱いしてくれる中小クラブでこそ、文字通り「王様」として君臨してしばしば違いを作り出したが、ローマ、レアル・マドリー、インテル、ミランといったビッグクラブでは、チームの結束を乱すトラブルメーカー以外ではあり得なかった。

 期待外れという意味でこのベスト11にリストアップせざるを得ないのが、ミランで自ら望んで10番を背負った本田圭佑だ。クラブの斜陽期に重なったとはいえ、サポーターからは当時の主将リッカルド・モントリーボと並ぶ「ダメなミラン」の象徴として記憶されており、残念なことに「クラブ史上最低の10番」という不名誉な評価を受けることも珍しくない。

 期待外れの数に関してはインテルがライバルのミランを大きく上回る。とりわけマッシモ・モラッティ会長時代は、大盤振る舞いしてはハズレ、という選手を毎年生み出すのが恒例だった。

 なかでも、インテリスタの間でそのシンボルとして今なお語り継がれているのがMFヴァンペッタだ。ブラジル代表としては42試合に出場し、2002年ワールドカップの優勝メンバーに入ってすらいるのだが、クラブでの実績は少なくとも欧州ではほとんどゼロ。2000年夏、FWロビー・キーンと並ぶ補強の目玉としてインテル入りしたが、たった1試合に出場しただけでマルチェロ・リッピ監督に見限られ、半年後にはパリ・サンジェルマンへと厄介払いされて終わった。

 さらに、同胞のモウリーニョのゴリ押しによって、移籍金2500万ユーロ(約30億円)で加入したものの、まったく活躍できず、得意の「トリベーラ」(右足アウトサイドのトリッキーなキック)を無駄打ちするプレースタイルが笑い話として記憶されているウインガーのリカルド・カレスマも忘れるわけにはいかない。

 ボランチのフェリペ・メロに至っては、フィオレンティーナから移籍したユベントスでサポーターと対立して1年でガラタサライにレンタル放出され、そこから移籍したインテルでもトラブルメーカー扱いと、2つのメガクラブで悪評を積み重ねるワーストプレーヤーっぷりだ。
 
 今でこそセリエA8連覇とわが世の春を謳歌するユベントスだが、2006年のカルチョポリ・スキャンダルでセリエBに降格してから、アントニオ・コンテ監督の下で復活を遂げるまでの5〜6年はかなり迷走していた。

 とりわけ「黒歴史」と言えるのが2年連続で7位に終わった09-10からの2シーズン。前述したF・メロに加えて、独りよがりのドリブル突破だけが武器で、しかも好不調の波が大きく信頼性を欠いたサイドアタッカーのミロシュ・クラシッチは、ユベンティーニがこの時期の苦い思い出と共に記憶している名前だ。

 そのユベントスで絶対的なディフェンスリーダーとして君臨するレオナルド・ボヌッチをリストに加えたのは、マッシミリアーノ・アッレーグリ監督との不仲でユーベを飛び出しながら、新加入でキャプテンに収まったミランでまったくリーダーシップを発揮できず、パフォーマンスもガタ落ちしてそれまでの評価を台無しにした1年ゆえ。

 アトレティコ・マドリーで長年最終ラインを支え、やはり絶対的なリーダー候補としてインテル入りしながら、21歳のアレッサンドロ・バストーニにポジションを奪われて終わったディエゴ・ゴディンも、与えた失望の大きさではひけを取らない。このふたりと3バックを形成するウラティスラフ・グレスコは、2001-02シーズンにインテルが最終節でスクデットを自ら放り出した「5月5日」のシンボルとして記憶されている気の毒な左SBだ。
 

 GKは、バルセロナ流のポゼッションサッカーをローマに移植するという壮大な野望の下、ルイス・エンリケ監督たっての要望でアヤックスから獲得されたマールテン・ステケレンブルフ。安定した足下のテクニックとは裏腹に肝心のゴールキーピングでミスが目立ち、監督がズデネク・ゼーマンに代わった翌シーズンは、無名のウルグアイ人GKマウロ・ゴイコエチェアにポジションを奪われるという末路を辿った。

 リストの最後を飾る監督は、選手時代の輝かしい実績とは裏腹に、ミラン、ボローニャの監督としてセリエAでは残念な結果しか残せずにいるフィリッポ・インザーギだ。

 特にボローニャでは、失点を避けることしか頭にないような消極的な戦術を採用した末に降格圏で解任されたうえ、後任のシニシャ・ミハイロビッチがチームを即座に立て直して10位でシーズンを終えたことで、評価をさらに下げる結果に終わった。今シーズンはセリエBでベネベントを昇格目前まで導いているだけに、今後のキャリアに期待したいところではある。

文●片野道郎

【著者プロフィール】
1962年生まれ、宮城県仙台市出身。1995年からイタリア北部のアレッサンドリアに在住し、翻訳家兼ジャーナリストとして精力的に活動中だ。カルチョを文化として捉え、その営みを巡ってのフィールドワークを継続発展させている。『ワールドサッカーダイジェスト』誌では現役監督とのコラボレーションによる戦術解説や選手分析が好評を博す。
 

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