「時間が経つにつれて背中に荷物を…」歴代最高のリーダーと称される長谷部誠が率いた8年間【日本代表キャプテンの系譜】

「時間が経つにつれて背中に荷物を…」歴代最高のリーダーと称される長谷部誠が率いた8年間【日本代表キャプテンの系譜】

W杯3大会連続でキャプテンを務めた長谷部。類まれなリーダーシップを発揮して、2大会で16強に導いた。写真:滝川敏之



「長谷部(誠=フランクフルト)にキャプテンマークを渡したのは、精神的、技術面でキャプテンという重要な役割を担うのに適しているのが理由だ。以前からやっていたからというわけではなく、このチームでは彼がリーダーだと感じている」

 下馬評を覆す16強入りという好成績を残した2010年南アフリカ・ワールドカップから約半年後の2011年1月に行なわれたアジアカップ(カタール)。開幕前日の公式会見でアルベルト・ザッケローニ監督は大勢の報道陣の前で長谷部の統率力を高く評価した。南アでは川口能活(日本サッカー協会アスリート委員長)や中澤佑二(解説者)ら年長者に気を使いながら「前に出すぎないキャプテン」に徹していた彼だが、イタリア人指揮官率いる新チームではより積極的に仲間を牽引していくようになった。

 ひとつの好例が、ザック体制初の海外遠征となった2010年10月の韓国戦(ソウル)前のミーティングに遅刻してきた森本貴幸(福岡)を一喝したこと。「年下なんだから10分前にはいるべきだろう」と諭し、行動の改善を促した。こうした言動も「自分が率先して見本にならなければいけない」という意識の表われだろう。指揮官が絶賛したアジアカップでも全6試合にフル出場し、シリア戦ではゴールを挙げるなど、大きな存在感を発揮。2011年東日本大震災発生直後のチャリティマッチ(大阪)でも先頭に立って募金活動に取り組むなど、「新生日本代表の顔」として名実ともに認められるようになった。

 そんな長谷部も何度か困難に見舞われた。ザックジャパンが2014年ブラジル・ワールドカップ・アジア最終予選に挑み始めた2012年秋には、当時所属のヴォルフスブルクでフェリックス・マガト監督と確執が生まれ、8試合連続ベンチ外という屈辱を味わった。代表合流時には「どんな状況でも自分はブレることはない」と毅然と話していた彼も試合勘に多少なりとも不安を抱えていた様子だった。その問題はマガトの解任によってクリアできたが、翌2013−14シーズンに移籍したニュルンベルクでは2部降格の危機に。難しい状況の中、代表との二足の草鞋を履かなければならなくなった。
 

 悪いことに、そんな時期に日本代表が予期せぬ停滞に陥った。2013年10月のセルビア(ノヴィサド)・ベラルーシ(ジョジナ)2連戦の連敗時には「自分たちのパスサッカーを突き詰めるか否か」で選手間の意見が分かれてしまう。「全員に距離感が近くて、細かいパスにこだわるイメージがちょっと強すぎるのかな」と彼自身はコメントしていたが、それまでの路線を大きく変えようとはしなかった。翌11月のベルギー遠征で結果が出たうえ、彼自身も2014年に入るや否や、膝の大怪我を負ったこともあり、最後までこの問題を抜本的に解決するには至らなかった。

 こうした混乱があっても、ザック監督は「本物のキャプテンはお前と(パオロ・)マルディーニだ」と長谷部に声をかけ、最終登録メンバーの意見を求めるほど、絶対的な信頼を寄せていた。それに応えようと本人も懸命のリハビリの末、本大会に戻ってきたが、初戦・コートジボワール戦(レシフェ)での屈辱的な逆転負けでチームの歯車は大きく狂ってしまう。切り札のディディエ・ドログバが出てきて4分間で2失点した時、長谷部はすでにベンチに下がっており、この惨状を外から見つめるしかなかった。

「今日は前半も後半も自分たちのやろうとしているサッカーを試合を通して表現できなかった。それが一番です」と反省の弁を口にしたが、コンディションが万全でない悔しさも見て取れた。膝の不安はその後も続き、数的優位に立ちながら勝ち切れなかった第2戦・ギリシャ戦(ナタル)も前半で交代を強いられる。ラストのコロンビア戦(クイアバ)こそフル出場したものの、ハメス・ロドリゲス(レアル・マドリー)に翻弄された日本は4失点。3試合で勝点1・グループ最下位という最悪の結果を突きつけられた。

「僕は若い選手がキャプテンをすべきだと思うんです。それをサポートすることができるし。これからの日本代表は若い世代が出てこないといけない。そう思います」

 2度目のワールドカップで大きな挫折を経験した長谷部はこんなコメントを残した。それだけブラジル惨敗の大きな責任を感じていたということだろう。彼はこの時点で30歳。確かに2010年南ア大会の成功例を考えると20代選手にリーダーを託した方がチームも活性化する……。そんな見方があったのも事実だ。
 

 しかしながら、2014年夏に就任したハビエル・アギーレ(現レガネス)も、2015年3月から後を引き継いだヴァイッド・ハリルホジッチ(現モロッコ代表)も、2018年ロシア・ワールドカップ直前に急きょ指揮官となった西野朗(現タイ代表)も、結局は長谷部をリーダーに指名した。

「マコ以外のキャプテンというのはハードルが高いんですよ。あれだけ完成された人間はいないから、みんなあそこに頼っちゃう。周りへの気配りもそうだし、自分への厳しさもそうだし。マコがやってくれれば安心感はあるから、それを飛び越えて違う人にする意味があるのかなと思いますけどね」
 長年の盟友・川島永嗣(ストラスブール)もこんな話をしていたことがあったが、「あえて代える必要はない」と全ての指揮官に思わせるほど、長谷部は2014年以降も大きな存在感を示したのだ。

 それはリーダーとしての天性の資質に加え、絶対的ボランチに君臨し続けたことも大きい。2015年アジアカップ(オーストラリア)の後、遠藤保仁(G大阪)が代表を離れた後は「長谷部依存症」と言われる状況が長く続いた。ハリル時代は山口蛍(神戸)や井手口陽介(G大阪)らデュエルに強いボランチが重用されたが、ロシア切符を手にした2017年9月の最終予選大一番・オーストラリア戦(埼玉)もアンカーに長谷部を据えたからこそ、2人は輝けた。「結局、僕らの世代はハセさんたち上の選手たちを追い抜けなかった」と山口はロシア後に悔しさを吐露したが、ドイツで10年以上もキャリアを積み重ねてきた実績と経験も日本代表には必要不可欠だったのだ。

 長谷部はロシアでも、コンビを組んだ柴崎岳(ラ・コルーニャ)を的確にサポートし、能力を引き出すような一挙手一投足を見せた。ロシア・ワールドカップの日本代表は西野監督体制の急造チームではあったが、川島、長友佑都(ガラタサライ)、本田圭佑(ボタフォゴ)らワールドカップ3度目組、あるいは吉田麻也(サンプドリア)、香川真司(サラゴサ)ら同2度目組が数多くいたこともあって、強引なリーダーシップを示さなくてよくなったのも、長谷部にとってはプラスだったのではないか。西野監督の自主性を重んじるアプローチも奏功し、彼らは持てる力を存分に発揮して南ア以来のベスト16入りを果たすことができた。
 

 2点をリードしながら最後に逆転負けを喫したラウンド16・ベルギー戦(ロストフ)で、マルアン・フェライニ(山東魯能)の失点場面に絡んだことは悔いが残るかもしれないが、大会前から「今回を集大成にする」と考えていた男の決意は揺らがなかった。

「年々苦しい時間は増してきたかなと。最初の頃は右も左も分からず、ただガムシャラにやっていただけだったけど、時間が経つにつれて背中に荷物を背負うような感覚がありました。大変なことの方が多かったけど、誇りですかね。そっちの方が大きかった。プレーヤーとしてというより、ひとりの人間として成長できたと思います」

 代表引退を発表した2018年7月3日。長谷部はしみじみとこう言った。8年間で5人の指揮官に仕え、全員と真摯に向き合い、時には苦言を呈するなど、チームのために身を粉にして働いてきたキャプテンというのは滅多に現われるものはない。「歴代最高のリーダー」と賞賛される男の足跡を、日の丸をつける後輩たちには絶対に忘れてほしくない。

文●元川悦子(フリーライター)
 

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