オフト時代に初招集の可能性も「無理です」と拒否【ファルカン・ジャパンの“10番”岩本輝雄の栄光と苦悩の記憶|EP1】

オフト時代に初招集の可能性も「無理です」と拒否【ファルカン・ジャパンの“10番”岩本輝雄の栄光と苦悩の記憶|EP1】

ファルカン・ジャパンで日本代表に初選出。まさか自分が選ばれるとは思っていなかった。(C)J.LEAGUE PHOTOS



<プロローグ>
 もう大丈夫だろう、と勝利を確信して、岩本輝雄はベッドにもぐりこんだ。

 1993年10月28日の深夜。高校卒業後に加入したフジタ(現・湘南/当時は2部リーグにあたるJFL所属)で3年目を迎えていた21歳のテルは、テレビを消した。明日も練習がある。少しでも早く寝ておかないと。

 ついに、日本もワールドカップに出るのか――94年のアメリカ・ワールドカップのアジア最終予選最終節、日本対イラク。この試合に勝てば、日本のアメリカ行きが決まる。試合終盤まで、日本は2-1とリード。期待に胸を膨らませながら、タイムアップを待たずにテルは眠りについた。

 翌朝、テレビの前で愕然とした。嘘だろ……。“日本、ロスタイムで同点に追いつかれる”。この結果、日本は悲願のワールドカップ出場を逃す。ショートコーナーから失点する映像を眺めながら、深い悲しみに打ちひしがれた。頬を伝う冷たいものに気づいたのは、しばらく経ってからだった。

「“ドーハの悲劇”は、朝のニュース番組で知った。悲しすぎて、思わず泣いちゃったよ。一ファンとして、真面目に日本を応援していたんだよ。『北朝鮮に3-0、すげー!』『韓国戦、カズ決めた!』って。絶対にワールドカップに行けると思ってた」

 絶望感を味わった多くのサッカーファンのひとりだったテルだが、実は“当事者”になる可能性がゼロではなかった。

――◆――◆――
<エピソード1>
「あの時の代表で監督だった(ハンス・)オフトが、JFLにも視察に来ていて。たぶん、名塚(善寛)さんやナラ(名良橋晃)を見に来ていたと思うけど、自分にも協会のスタッフから『どうだ?』みたいに、興味を示されたことはあった」

 最終予選を前に、日本代表のキーマンのひとりだった左SBの都並敏史が負傷。その代役候補にリストアップされていたという。

 だがこの時、テルの答は『NO』だった。正式に日本代表から招集されたわけではないが、その前段階できっぱりと「無理です。自信がありません」と意志表示している。

「まだJリーグでもプレーしていないし。冷静に自分の実力を考えて、無理だろうって。そんなレベルじゃないって。性格的にイケイケではあったけど、どこか冷めた目で自分を見ていた」

 大きなチャンスを逃したかもしれないが、その頃のテルにとって、ワールドカップは文字通り、未知の世界だった。

「90年のイタリア大会の時は、ストイコビッチ(ユーゴスラビア代表)やローター・マテウス(ドイツ代表)、サルバトーレ・スキラッチ(イタリア代表)とかを見て、『やっぱ、上手いよな!』とか盛り上がっている普通の高校3年生だった。卒業後にフジタに入ったけど、まだプロでもない自分にとって、ワールドカップなんて現実味がないというか、よく分からない世界だった」
 

 ワールドカップはおろか、日本代表も憧れてはいたが、本気で目指そうとも思っていなかった。94年の2月、「関塚(隆)さんが監督だったU-23Jリーグ選抜に選んでもらって、タイのキングスカップに出たことはある。“代表っぽい”のはそれが初めてだった」。それでも、「ノボリさん(澤登正朗)とかがいてね、『わ、選手権のスターだよ!』という感じ」で、一歩引いたスタンスではあった。

 94年は、所属するフジタがJリーグに昇格。『ベルマーレ平塚』の一員として、テルも新たなスタートを切る。「Jリーグで1年目。サッカーがブームだったし、プロの舞台で活躍したい、SBとしてとにかくアタック! ただそれだけ。代表なんて、全然」という考えだった。

 だから、オフトの後任として日本代表の監督にファルカンが就任しても、どこか他人事だった。

「もちろん、ファルカンは知ってたよ。セレソンの黄金のカルテットのひとり。82年や86年のワールドカップにも出ていてね。子どもの頃に見ていたから、あーあの背の高いおじさんか、って(笑)」

 日本代表が新たに動き出した一方で、テル自身は「ようやくJリーグのピッチに立てる、その高揚感のほうが勝っていた」。

 そんなテルを、しかしファルカンは放っておかなかった。4月に招集メンバーが発表される。「岩本輝雄」の名前がそこにあった。

「びっくりしたよ。発表の2日ぐらい前に協会からレターが届いたみたいで。クラブでの練習の後に言われて。『マジ?』って。『俺じゃないだろ、ナラだろ』とは思った。その時、たしかナラは入っていなかったから」

 初のフル代表。嬉しさよりも、驚きのほうが大きかった。まだJリーグでの実績もない。「俺にできるのかな?」。楽しみよりも、不安のほうが大きかった。
 
 ファルカン・ジャパンでの初練習では、これまでに経験したことのない環境がそこにあった。

「まずマスコミの数が違う。初日は100人以上いたんじゃないかな。代表のメンバーもテレビで見ている人たちばっかり。Jリーグで、まだ全員と対戦していなかったし、圧倒されたよ」

 だが、代表での活動を通じて心境の変化があった。招集時に抱いた不安が、楽しみに変わる。

「ベルマーレでは、SBでとにかく『前に行け!』という感じで、守備に関してそこまで言われないけど、代表では守備のタスクも重要になる。メディアからも“岩本は守備が不安だ”みたいに書かれたし、これは大変だなとは思った。でも、やっていくうちに欲が出てきた。選ばれたからには、試合に出てみたいって」

<エピソード2に続く>

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)

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