韓国を圧倒し、ネイマール擁するブラジルに互角。プラチナ世代とはいかなる道を歩んだのか?【名勝負の後日談】

韓国を圧倒し、ネイマール擁するブラジルに互角。プラチナ世代とはいかなる道を歩んだのか?【名勝負の後日談】

2009年U-17W杯の初戦・ブラジル戦に臨んだ日本のメンバー。宇佐美(前列中央)のほか、松原(後列左から3番目)、柴崎(同4番目)、杉本(同5番目)らが名を連ねた。(C) Getty Images



 歴史に残る名勝負、名シーンには興味深い後日談がある。舞台裏を知る関係者たちが明かしたあの日のエピソード、その後の顛末に迫る。(文●加部 究/スポーツライター)

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 日本が韓国を相手に完全にボールを支配し圧倒してしまっている。

 池内豊がそんな光景を見るのは初めてだった。池内自身は、まだプロ創設前の日本代表選手として、1980年代に活躍してきた。先にプロ化に踏み切った韓国は、常に大きな壁として立ちはだかっていた。

 ところが目の前のU-13の選手たちは、当時とは日韓の立場をすっかり逆転してしまっている。今から15年前のことである。そしていつしか1992年生まれを軸とする彼らの世代は「プラチナ」と呼ばれるようになった。

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 怖いもの知らずのプラチナ世代は、韓国どころか王国ブラジルにもまったく引け目を感じていなかった。しかもそれは実績に基づく相応の自信でもあった。

 やがてプラチナ世代はU-15日本代表として集結し、池内監督の下で2009年のU-17ワールドカップを目標に活動を始める。JFA(日本サッカー協会)内の期待も高く、アジアに止まらず欧州、北中米、アフリカなど世界各地への遠征を繰り返した。

 当初のウクライナ遠征では、トルコに4失点して完敗した。
「体格が大きいのにテクニックがあり、強くてしっかりとボールを回すことも出来る。やっぱり世界は違うな、と思いました」

 現在浦和レッズでプレーする杉本健勇の述懐である。しかしこの一戦の後に、世界との差を痛感する機会は訪れなかった。

 当時ガンバ大阪ユースに所属し、代表では守備の要として君臨し続けた内田達也(現群馬)が語っていた。
「どこの国際大会に出ても貴史(宇佐美)より上手い選手は見当たらなかった。ひとりで全てをこなしてゴールまで決めて来る。流れが良い時は何点でも取れちゃうので、後ろから見ていても本当に楽しかった」

 G大阪史上最高の傑作と早くから評判だった宇佐美は、中学2年時にはキャプテンマークをつけてU-15全日本選手権に臨み、自らのゴールで優勝を決めている。そして翌年には飛び級でユースに昇格した。伝統的に年功序列が厳しい日本で、ジュニアユースチーム(中学生年代)の主将を2年生に託すのは、まさにプロの時代到来を象徴する選択だった。G大阪で1学年上だった内田の証言である。

「貴史は完全に別格で、プレーで引っ張ってくれていた。だから僕ら同級生の間でも、しっかりサポートして行こうと話していました」

 また代表には宇佐美以外にも、柴崎岳(デポルティーボ)前述の杉本、宮市亮(ザンクトパウリ)宮吉拓実(京都サンガF.C.)高木善朗(アルビレックス新潟)堀米勇輝、小島秀仁(以上ジェフ千葉)松原健(横浜F・マリノス)ら、特に攻撃的資質の高いタレントが揃っていた。

 ネイマール(パリSG)、フェリペ・コウチーニョ(バイエルン)、カゼミーロ(レアル・マドリー)らを擁すブラジルとは2度戦ったが、豊田国際(1-1)、コパ・チーバス(2-2)とどちらも引き分け。まだ現在の愛称が定着せず本名でプレーしていたネイマールのプレーぶりを明確に覚えている選手はいなかった。

「最初は相手の勢いに押されて失点をしましたが、落ち着いてからはしっかりと主導権を握ることが出来ていました」

 山橋貴史コーチは、そう記憶している。

 それだけにU-17ワールドカップ初戦の相手がブラジルに決まると、選手たちは大喜びをした。抽選結果を知ったのはスペインへの遠征中だった。

「盛り上がりまくりましたよ。絶対倒そうぜ、って」(岡本拓也=現湘南ベルマーレ)

 一方池内監督は、もう少し冷静に先を見ていた。
「結果を出すなら、対戦経験のあるチームの方がいい。日本の選手たちは、経験値が少ないけれど、順応していく力は高い。だから3度目の対戦では、さらに良い方向へ行くのでは、と考えていました」

 指揮官はベスト4を目標に開催国ナイジェリアへと向かった。

 10月24日、舞台は首都ラゴスにあるテスリム・バロガン・スタジアム。池内は人工芝のピッチも日本に有利に働くと考えていた。
「Jアカデミーの選手たちの大半が、日常的に人工芝でトレーニングをしている。それに天然芝だと身体全体を使ってボールを奪いに行かなければならないけれど、人工芝ならほんの少し方向を変えるだけで抜いて行ける」

 小柄で細身、テクニカルで俊敏な日本の特徴が生きると思った。

 キックオフは午後7時、しかし依然として気温は30度を超えていた。ブラジルはいきなりロングボールを放り込むと、勢い良く襲い掛かって来た。内田とのコンビでセンターバックに定着していた岡本は感じた。
「やっぱり本番のブラジルは目の色が違う」
 

 こうして先手を取ったのはブラジルだった。何度かの決定機を演出した後の26分、バイタルエリアでフリーになった左サイドバックのギリェルメがロングレンジから会心のシュートを叩き込んだ。

「この距離なら打たせても大丈夫」

近くにいた小島は、半ばそう見切っていた。
「やはり外国人特有のシュートの意識ですね。あと半歩寄せておくべきでした」

 しかしむしろブラジルの先制は、日本の選手たちを覚醒させ、本来の創造的な大胆さを引き出すことになる。
「もともと失点しないとも点が取れないとも思っていなくて0-0のイメージはなかった」
(内田)

 右サイドから松原のオーバーラップを引き出した日本は、最後に高木がクリーンシュートを決めて追いつく。これで「行けるぞ!」と結束した日本は後半へと勢いを増していく。

 だが67分、劣勢に回ったブラジルがワンチャンスを活かした。チームを象徴する天才ふたりが個人技の連係でカウンターを決めてしまうのだ。コウチーニョがDFから縦パスを引き出したのは自陣で、背中には松原がピタリと張り付いていた。並みの選手なら、前を向いた味方にボールを落とすシーンだ。

 ところがコウチーニョは違った。強引に反転すると、ネイマールが日本の高いディフェンスラインの裏へ抜ける一瞬のタイミングを逃さず絶妙のスルーパスを送る。オフサイドぎりぎりの微妙なタイミングだったが、抜け出したネイマールは冷静にGKをかわして追加点を奪った。

「コウチーニョは身体が小さいのに、実際に当たってみるとすごく重い。外国人は、こちらが手を使うと簡単に倒れる選手が多いんですが、コウチーニョは倒れない。レベルが違いました」(小島)

 しかし84分、日本のカウンターも負けてはいなかった。自陣深い位置で小島がボールを奪うと、一瞬で柴崎が前線でマークの外れた杉本を見つけて正確なパスを送る。

「岳(柴崎)と目が合って、メチャクチャいいボールが来た。足もとに置くと追いつかれるので、前に行こうと思った」(杉本)

 会心のトラップでDFの前に出た杉本が落ち着いて流し込む。
「このチームは、みんなで二手三手先を共有できていて、ミスをしてもカバーをし合い、伸び伸びとプレーしていました」(小島)
 

 だが王国と互角に渡り合い、観客の共感も引き出したプラチナ世代の日本には、不運な結末が待っていた。おそらくラストプレーになるはずだった94分、ブラジルのFKがGK嘉味田隼(当時ヴィッセル神戸)のミスを誘い、これが決勝ゴールとなった。

 さらに2戦目ではスイスに2点のリードを奪いながら3-4で逆転負け、3戦目もメキシコに敗れ、まさかの3戦全敗で大会を去る。FIFA技術委員会の総括は次の通りだ。

「攻撃力は極めて高い。しかし守備と、攻撃時の守備のバランスが良くない」
 結局攻撃的資質の高いタレントが溢れたプラチナ世代だが、池内監督は最後までCBやボランチの人選に苦慮した。

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 早くから嘱望されたプラチナ世代だが、2018年ロシア・ワールドカップの日本代表に選出されたのは計5人。そのうちU-17ワールドカップを経験したのは、柴崎と宇佐美のふたりだけだった。

 彼らは新世代の旗手として世界への挑戦を急いだ。宇佐美は19歳でバイエルンと契約し、宮市はJリーグ未経験のままアーセナルへ移籍し、レンタル先のフェイエノールトでは華々しくブレイクした。だがいよいよ円熟期に入ろうとする今、フル代表の中核として定着しているのは柴崎しかいない。これは当初期待薄と言われた少し上の北京五輪世代とは対照を成している。

 紛れもなくプラチナ世代には、テクニックと身体能力を兼備したエリートが溢れていた。彼らはただの早熟だったのか、あるいは育成過程で何かが不足していたのか。ネイマール、コウチーニョ、カゼミーロらのクラッキが順調にスターダムを上り詰めたブラジルとの比較も含めて、しっかりと検証しておく必要があるはずだ。(文中敬称略)

文●加部 究(スポーツライター)

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