【“天才”回顧録】まさに無双だった玉乃淳。「世界で一番、上手いと思っていた」

【“天才”回顧録】まさに無双だった玉乃淳。「世界で一番、上手いと思っていた」

小4からヴェルディの下部組織でプレー。圧倒的な練習量でライバルたちに差をつけた。(C)J.LEAGUE PHOTOS



 6月25日発売のサッカーダイジェスト本誌で、『真のジーニアスは誰だ? 2020年度版 天才番付』という特集を組んだ。その関連企画として、かつて天才と呼ばれた男たちにもスポットをあて、そのキャリアを振り返ってもらった。

 ここでは、10代からその才能を高く評価された“元祖・神童”玉乃淳の蹴球ストーリーをお届けする。

 ヴェルディの下部組織で育ち、ユース時代にはスペインのアトレチコ・マドリーに移籍。帰国後は東京V、徳島、横浜FC、草津(現・群馬)でプレーし、25歳で現役を退く。引退後はカナダへの留学を経て解説者として活躍し、平行してセカンドキャリアの支援活動や会社経営に携わり、経営コンサルティング会社に勤務したのち、2017年から博報堂DYメディアパートナーズでスポーツビジネスに従事。そして昨年末、35歳という若さで、J2アルビレックス新潟のGMに就任する。

 現在は新潟の要職に就く男は、プレーヤーとしてサッカーとどう向き合ってきたのか。無我夢中でボールを蹴り続けた少年時代、そして深い愛情が憎悪に変わってしまった苦悩の日々とは――。

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「いつからだろう。でも小学校2年生ぐらいには、周りよりも上手い子だったと思います」

 サッカーを始めて間もなく、玉乃少年は他の子どもたちより、頭ひとつ抜けた存在だったという。同学年と一緒にプレーしていても物足りなさを感じて、「2年生だけど、顔見知りでもなんでもない4年生のグループに自ら乗り込んで、サッカーしていましたね」。もっと上のレベルでもできる――自分の実力に自信があったというより、「なんか楽しかったから」というシンプルな理由で、上級生に交じってボールを蹴った。
 
 小学4年生になると、東京Vのジュニアチームのテストを受けた。Jリーグの人気クラブの下部組織に是が非でも入りたかったわけではない。「テストを受けると、ヴェルディのキャップをもらえたんですよ。それが欲しくて(笑)」。当時の服装は「赤い熊さんかなんかのトレーナーを着て、ソックスも普通の靴下」で、気合いが入っているようには見えなかった。

 その恰好が逆に目立ったからではないだろうが、玉乃少年は見事テストに合格。「1000人くらい受けたのかな。合格したのは僕ともうひとりだけ」という狭き門を突破してみせた。

「本当はトップ下なんですけど、テストの時のゲームではスイーパーをやりました。得点したやつが当然、評価されると思ったから、じゃあ自分は守って、絶対にゴールさせない、他のやつを目立たせない、と(笑)。なによりも試合に負けるのが嫌だった。すごく負けず嫌いだったんですよ。失点しなければ、負けはない。だからスイーパーで構えて、ことごとく相手からボールを奪って、そのままドリブルで持ち上がる。そんな感じでした」

 もちろん、元々の素材も良かったのだろう。他と比べて、なぜ秀でることができたのか。大人になった玉乃は「練習量が圧倒的に多かった」と分析する。

「サッカーが好きすぎて、家の中でもずっとボールに触っていたし、小学校の休み時間も当然、サッカーをしていましたよね」
 

 ある日の休み時間、リフティングの記録更新にチャレンジ。授業開始のチャイムが鳴り、呼びに来た先生に向かって、玉乃少年は毅然として答えた。

「先生、僕今、新記録に挑戦しているんで、邪魔しないでください!」

 寝ても覚めても、サッカー一色の少年時代。「絵を描くのが好きで好きでたまらなくて、ずっと絵を書いていて、将来漫画家になった、みたいな。だから、自分は生まれつき才能があったわけじゃないと思います。実は、誰よりも練習していたっていう。もう、好きの極みですよ」と明かす。

 ヴェルディのジュニアユースに昇格しても、サッカー漬けの毎日は変わらなかった。

「チームメイトはみんな上手いし、本当に楽しかった。練習もたぶん、ほとんど休まなかったはず。雨の日でも雪の日でも、なにがなんでも練習に行きたかった」

 実力者たちが集まる集団の中でも、玉乃の存在は際立っていた。「自分ひとりだけ、こんなに点を取っていいのかと思うぐらい。途中から、味方にも点を取らせたほうがいいかな、とか、ちょっと遠慮するようになった」というほどだった。

 まさに無双状態。誰かをお手本にした覚えもない。「だって、世界で一番、自分が上手いと思っていましたから」。その実力は海外クラブの目にも留まり、先述したように15歳でA・マドリーから声がかかり、スペインに渡ることになる。

 欧州の強豪クラブのユースチームでも、当初は「圧倒的だった」と自身の立ち位置を振り返る。だが、徐々に歯車が狂い始める。

「しばらくして、フィジカル面の壁にぶち当たって。90分間、持たなくて足がつったり、スピードで抜けないとか、倒されて怪我をしたりとか。なにかがおかしい、と」
 
 日本に戻って、東京Vでトップ昇格した後も、状況は変わらなかった。かつてのように思い通りにプレーできない。頭の中で思い描くイメージに、身体がついてこない。

 イライラして、周囲の人間に当たり散らした。自分のミスは誰かのせいにした。目に見える結果を示せていないのに、傲慢に振る舞った。

「そんなはずはない、そんなはずはないって、何度も自分に言い聞かせていましたね。できない自分を認めたくなくて、本当はできるんだと、“勘違いのドーピング”を打ち続けていました」

 俺はできるんだ、俺は上手いんだと、虚勢を張り続けた。それが無意味なことだと分かっていても。「そうでもしないと、崩れ落ちてしまうから。プレーできなくなっちゃうと思ったから」だ。

 恐ろしく生意気だったと、今でも思う。「自分だったら、一生口をききたくない」と言うほど、嫌なやつだったようだが、そんな玉乃を先輩たちは温かく見守った。

「殴られたこともありましたけど、でもみんな本当に優しくて。あんなクソ生意気な態度だったらボコボコにされてもおかしくないのに、ヤマタクさん(山田卓也)、米山(篤志)さん、林(健太郎)君、アツさん(三浦淳寛)……なんだかんだで、皆、可愛がってくれました。先輩たちには一生頭が上がりません」

 恵まれた環境の中でサッカーを続けられたが、実際のプレーは改善の兆しが見えなかった。移籍を繰り返しながら、相変わらず“勘違いのドーピング”を打ち続けて、なんとかピッチに立っていたが、「苦しかった。サッカーなんて、全然好きじゃなかった」。
 

 それでも現役を続けていたのは「引退後、何をしていいかまったく分からなかったから」。サッカーしかやってこなかった自分がサッカーを失った時、どうすればいいのか。「引退しなかったのは、お金のためでも、生活のためでもない。他にやることがなかったから。こんな言い方は失礼かもしれないけど、しょうがなくサッカーをやっていた」。

 そんな玉乃を救ったのは、当時付き合っていた彼女だった。

「引退したほうが、結婚を考えられるって言ってくれたんですよ。その一言で踏ん切りがつけられたというか。自分の価値はサッカーにしかないと思っていたんです。でも、引退しても一緒にいてくれる人がいる、全世界から見捨てられるわけじゃないんだと思えたら、気持ちが楽になった。肩の荷が下りて、前向きになれて、引退できました」

 2009年の12月、7年間のプロ生活にようやくピリオドを打てた。特別なエピソードを神妙に語る玉乃だが、「でも結局、引退後にその彼女にはフラれちゃうんですけどね!」と、あっけらかんと笑う。「それは、その子のせいじゃないですよ。引退した後、路頭に迷い、明確な指針を示せなかった自分が悪い。愛想をつかされても仕方がなかったんです」。

 引退後の可能性を模索するなかで、選手のセカンドキャリアの支援活動に力を入れていたのも、そんな苦い思い出があったからかもしれない。

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 紆余曲折を経て、今は新潟のGMとして新たな一歩を踏み出している。以前から、GM職には興味があったという。

「選手の時、いろんなGMの方にかけられた言葉が、どれも嬉しくて。この人がチームを作るうえで、とてつもなく重要な仕事をやっているんだと、そういう尊敬もありました。チームのために、やるべき仕事はきりがないと思うけど、でも、やればやるほど、チームは強くなるはず。現場にも直接関われるし、社長でも監督でもなく、いつかGMという立場でサッカーに関わりたいとは、ずっと考えてはいました」

 自分の決断ひとつが、チームの命運を大きく左右するかもしれない。責任のある立場にあることは重々承知している。「一つひとつの決断にこだわって仕事をしていきたい。そのためには隈なく情報を収集して、貪欲に学ばなければならない」と表情を引き締める。

 あれほど嫌いになってしまったサッカーについて訊けば、「好きとか嫌いという言葉では表現できないというか……なんだかんだで、小さい頃から人生のほとんどの時間をサッカーに費やしてきましたから」と諭された。サッカーを通じて、天国も地獄も見てきた玉乃が、新潟をどこまで魅力的なチームにするのか。実に興味深い。

PROFILE
たまの・じゅん/1984年6月19日生まれ、東京都出身。現役時代は東京V、徳島、横浜FC、草津でプレー。引退後は解説者や会社経営ほか、博報堂DYメディアパートナーズでスポーツビジネスに携わる。現職は新潟のGM。

※『サッカーダイジェスト』2020年7月9日号より一部修正・加筆して転載。

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)

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