【インタビュー】晴山 岬/町田ゼルビア ー夢を持つ大切さー

【インタビュー】晴山 岬/町田ゼルビア ー夢を持つ大切さー

帝京長岡高から今季加入した晴山。©FC町田ゼルビア



 晴山岬は憧れの眼差しで見ていた。
「12年の選手権で先輩がベスト8に入ったのを間近で見て、全国を意識するようになった」

 そして自身は帝京長岡高で過去最高成績となる4強入りに貢献し、「こうして夢を与え、選手権を目指す子どもが出てくれば、良い文化になる」と願う。

 夢によって成長し、その大切さを説く、〝選手権のヒーロー″のメッセージに耳を傾けてもらいたい。

――◆――◆――

――新型コロナウイルス感染拡大の影響により、町田は4月8日から5月31日までチーム活動を休止しました。この自粛期間をどう捉え、どう過ごしましたか?

「サッカーだけでなく、すべての活動ができない状況は今まで経験がありませんでした。ただ、自分はまだプロ一年目ということもあり、この世界で活躍するための助走期間と考え、前向きに捉えて過せたかなと思っています。身体づくりや試合に向けた準備に時間を充てました」

――具体的に取り組んだことは?

「プロに入った今年からパーソナルトレーナーの方にお世話になっているので、筋力トレーニングや自宅で行なえる練習メニューを作ってもらい、テレビ電話を使いながらそれに取り組んでいました。
 なぜ、個人でトレーナーの方とトレーニングをしていたかというと、ケガをしにくい身体をつくりたかったからです。FWとしては体格に恵まれいないので、プロで戦うための身体づくりを、1年目から取り組む必要性を感じていました」

――晴山選手の特長は得点感覚です。武器はどのように磨きましたか?

「実は小学校5年生までGKをしていました。そこでGKの心理が分かったのは大きいかもしれません。GKが嫌がるプレーを理解したからこそ、小学校6年生でFWに転向した時にその経験が活きました。
 また、フットサルの経験も大きな意味がありました。サッカーとは異なり、小さなゴールに身体が大きいGKがいるので、シュートコースが限られます。フットサルからゴールが大きいサッカーに戻ると、シュートコースが増えた感覚がありました。トーキックシュートもフットサルで磨いた武器で、フィニッシュのバリエーションも多くなりましたね」

――過去の経験が活きたんですね。いつ頃からプロサッカー選手を目指していましたか?

「小さい頃からずっと考えていました。その夢が現実的な目標に近づいたのは、高校2年生時に出場した冬の選手権です。大会前から『やってやるぞ』と意気込んでいたのですが、選手権出場予定のチームと練習試合で対戦した時に、自分のプレーがより高いレベルで通用する手応えを得ました。『この大会で人生を変えられる』と感じ、実際にベスト8まで勝ち上がり、個人としても4試合で4ゴールと結果を残せました。
 そこから高卒でプロ入りするためにどうすべきか、道筋を具体的に描くようになり、高いレベルで戦うための身体づくりなどを考え始めました。高校2年生の冬にプロの可能性を感じるようになってから、自分の意識が大きく変わりましたね」

――高校3年生の時、最後の冬に選手権でベスト4まで勝ち上がりました。注目度が高まるなかで迎えた大会でしたが、どのような心境で日々を過ごしていましたか?

「自分たちが3年生になった代は、さまざまな人に応援してもらい、期待もかけていただきました。夏のインターハイでは県予選ベスト4敗退でしたが、結果を残せなかったことで自分たちは変わったと思います。当時の僕たちは力を過信していたかなと。甘さに気づいたからこそ選手権で準決勝まで勝ち上がれました。
 実際に前年度も出場していたこともあって緊張せずに挑めましたし、個人的にはチームを引っ張る覚悟がありました。そのなかで自分のモットーである『楽しんでプレーする』姿も体現できました。選手権では自分のそのスタンスを多くの方に見てもらえたと思います」
 

――帝京長岡高では貴重な経験を積まれてきたと思います。Jユースではなく、高体連だからこそ伸びた部分もあったのではないでしょうか?

「そうですね。サッカー面はもちろんですが、帝京長岡では〝ひとりの男〞に育ててもらいました。感謝の気持ちを持つ姿勢や、自分が率先して仕事をする大切さ。それはサッカーにつながっていて、審判や応援してくれる人にもリスペクトしつつ、自分たちがサッカーできる幸せを感じながら、日々の練習や試合に挑む心構えを教わりました」

――ジュニアとジュニアユースでは、帝京長岡高が運営する長岡JYFCに所属していたため、小学校から高校生まで同じチームメートやスタッフとサッカーに向き合っていました。だからこそ得た仲間との絆もあったのでは?

「そうですね。他の高校に比べると、同じ仲間と長い時間を過ごしました。とくに現在は京都でプレーしている(谷内田)哲平と矢尾板(岳斗)は15年間も一緒でした。その3人以外とも6年間ずっとですから、他校の選手と比べると、コミュニケーションやサッカー面の連携における意思疎通は深かったと感じます。仲間との絆があったからこそ、試合に勝てたり、最後に1点を守り切れたり。一人ひとりにそういう想いがあったのではないでしょうか」

――小学生の頃から「みんなで帝京長岡に行って全国優勝しよう」という話はしていましたか?

「はい。小塚和季さん(現・大分)たちが12年の選手権でベスト8に入ったのを間近で見てから、みんなで意識するようになりました」

――昨年度の選手権ではその小塚選手の代を超える4強入りを果たしました。準々決勝後に「小塚選手が僕たちに夢を与えてくれたから、今度は僕たちが夢を与える番」と話していましたが、改めてそこはどう感じていますか?

「自分たちの姿がどう映ったかは後輩にしかわかりません。ただ、自分が小さい頃に帝京長岡の活躍に憧れたように、テレビや現地で見てくれた子どもたちへ夢を与えられたのなら嬉しいですよね。そうして選手権を目指してくれれば、さらに高校サッカーが良い文化になるはずです」

――新型コロナウイルス感染拡大の影響により、部活動が制限されている学校も多いようです。そんななかでも頑張っている、全国のサッカー部へメッセージをお願いします。

「チームの練習が再開した時に全力で臨めるよう、良い準備をしてほしいです。試合がなくてモチベーションを保つことが難しいかもしれませんが、どこで誰が見ているか本当にわかりません。
 自分は高校時代、バランスは難しいかもしれませんが、チームのために戦う意識は忘れず、そのなかで自分の気持ちも尊重しながらプレーしていました。本気でプロを目指すのであれば、諦めず、毎日自分を見つめ直し、自分に何が足りないのかを考えてほしい。どこを目指すのか、どんなプレーするのか、自分を知る意識を持つことが大切です」

プロフィール◦はるやま・みさき/2001年6月30日生まれ、宮城県出身。171㌢・62㌔。長岡JYFCU-12―長岡JYFC U-15―帝京長岡高―町田。世代別日本代表でも活躍する期待の点取り屋。非凡な得点感覚で昨冬の高校選手権では4得点を奪い、チーム初の4強進出に貢献した。今季、FC町田ゼルビアに入団。
 

関連記事(外部サイト)

  • 記事にコメントを書いてみませんか?