【U-20激闘譜】「あの敗戦がなかったら…」屈辱の韓国戦惨敗で世界に目覚めた永井謙佑。U-20W杯連続出場が途切れた衝撃

【U-20激闘譜】「あの敗戦がなかったら…」屈辱の韓国戦惨敗で世界に目覚めた永井謙佑。U-20W杯連続出場が途切れた衝撃

日本代表FW陣のなかでもスピードという抜群の武器を持つ永井。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)



 90年代以降、日本のユース世代は幾度となくアジアの壁を突破し、世界への挑戦権を手にしてきたが、そこにはこの年代ならではの課題や示唆に富むドラマが隠されている。長きにわたり、日本のU-20年代の取材を続けてきた識者が、ポイントとなった世代をピックアップし、キーマンにオンライン取材で直撃。当時のチームについて検証していく。2008年のU-19アジア選手権に挑んだチームを取り上げる今回は、FC東京に所属する日本代表FWの永井謙佑に話を訊いた。(取材・文●元川悦子/フリーライター)

――◆――◆――

 1995年カタール大会を皮切りに、97年マレーシア、99年ナイジェリア、2001年アルゼンチン、2003年UAE、2005年オランダ、2007年カナダと7大会連続でワールドユース(現U-20ワールドカップ)出場を継続してきた日本。このうち6大会で決勝トーナメントに進出し、ナイジェリアでは準優勝も達成している。「日本の育成年代は急激に力をつけてきた」というのは2000年代の世界のスタンダードになっていた。

 その輝かしい記録が途切れたのが、2008年U-19アジア選手権(サウジアラビア)だ。牧内辰也監督(現岡山アカデミーダイレクター)率いるU-19日本代表はイエメン、イラン、サウジアラビアと同組に入り、勝点7を確保してなんとかグループ1位通過を果たしたものの、2009年エジプト大会出場権の懸かる準々決勝で宿敵・韓国に0-3で破れてしまった。シュート数1対16という衝撃的な完敗は当時の日本サッカー界に重くのしかかった。ピッチに立っていた選手たちは当然、責任を痛感する。当事者のひとりである永井謙佑(FC東京)は大いなる屈辱感が今も消えることはないという。

「前半の1失点目の取られ方が非常にあっさりやられた印象が残っています。韓国は背の高いFWを前線に置いてパワープレー気味に来ていたけれど、村松大輔選手や金井貢史選手(清水)を軸とした最終ラインは跳ね返すタイプではなくて、ずっと押し込まれたイメージがありました。球際でも負け続けてボールも保持できなかった。ハーフタイムに牧内さんから『もっとやらないとダメだ』と激しい口調で鼓舞していただきましたが、長身FWに蹴り込まれた後の対応で後手を踏み続け、後半に2失点して全てが終わってしまった。試合終了の瞬間はすごくボーっとしていた記憶があります。7大会も続いた世界への切符を取れず、自分たちが歴史を途絶えさせてしまったことに対して、申し訳ないという気持ちでいっぱいでした」

 負の歴史を残す結果になった牧内ジャパンが発足したのは2007年春。1世代上の梅崎司(湘南)、槙野智章や柏木陽介(ともに浦和)、内田篤人(鹿島)らが同年7月のカナダ大会に向かっていた頃だった。槙野や内田らも2006年秋のアジア最終予選で苦労し、準々決勝でサウジアラビアを辛くも倒して切符を手にしていた。アジア突破、世界切符獲得への厳しさを指揮官は繰り返し選手に強調し、映像も見せ、刷り込みを図った。同時に飛び級で同大会に参加した香川真司(サラゴサ)も招集し、経験を伝えようとした。

 2007年4月の合宿で初招集された永井は18歳当時の胸中をこう述懐する。

「香川真司選手や金崎夢生選手(名古屋)は1世代上のU-20代表に絡んでいて、ズバ抜けて能力が高かった。そのレベルに追いつかないと生き残れないし、世界にも行けないという自覚はありました。牧内さんが招集したアタッカーは彼らだけじゃなくて、U-17ワールドカップ経験のある曜一朗(柿谷=C大阪)や宏太(水沼=横浜)、年下のサコ(大迫勇也=ブレーメン)や元気(原口=ハノーファー)という錚々たる選手たちで、みんなメチャメチャうまかった。技術的には高いのが当たり前で、さらにハードワークや連続して動くこと、激しく戦うことを強く要求されました。『なんで大学生の自分がここにいるんだろう……』という不思議な感覚もありましたけれど、彼らと一緒にやることで成長していけたと思います」
 

 2007年11月にはタイで行われた1次予選に参戦。日本はチャイニーズ・タイペイ、モルジブ、ミャンマー、ラオスを順当に撃破し、タイとの最終決戦に挑んだ。この試合も簡単な戦いにはならず、高温多湿のバンコクの気候にも苦しめられたが、最終的には3-2で追いすがる相手を振り切り、最終予選へと駒を進めた。それから1年間もベルギー・オランダ遠征、サウジアラビア遠征、SBSカップや仙台カップなどで強化を図りながら、少しずつ前進していた。永井自身も長時間のフライトを経て異国で試合をする大変さ、猛暑の環境下で持ち味のスピードや運動量を出す難しさを体感しながら、本番に備えていた。

「最終予選の会場のジェッダはものすごく暑かった。日本では体験できない環境でした。限られた時間のトレーニングでしっかり動いて汗をかいておかないと試合になったら動けない。そういう調整方法も学んで、あえて強度の高い動きをやったりしましたね」

 こうした成果があり、永井は初戦・イエメン戦でジョーカーと位置付けられたが、早い時間帯に負傷した柿谷に代わって登場するや否や、32分にチーム2点目をゲット。5-0の快勝の原動力となった。続くイラン戦ではハットトリックを達成し、チームを4-2の勝利へと導くことに成功。グループ最終戦のサウジ戦では無得点だったものの、日本は1-1でドロー。ここまでは苦しみながらも、まずまずの結果を出していた。

 そんな牧内ジャパンの逆風となったのが、エース香川の離脱。セレッソ大阪の意向によって韓国戦を前に帰国の途に着いたのだ。大会前に決まっていたこととはいえ、大黒柱の離脱は想像以上に痛かった。すでに金崎はナビスコカップ決勝のため辞退しており、負傷の柿谷も使えない。前線が手薄になったうえ、鈴木大輔(浦和)というU-17経験組のDFもケガで不在。チームの軸を担うべき重要な戦力を欠いたのだ。

「鈴木大輔選手の不在やケガ人、クラブ事情でチームを離脱するなど難しい問題が重なりました。経験のある香川選手とかが落ち着かせてくれれば変わった部分はあったと思います」と永井も悔しさを滲ませるしかなかった。

 この敗戦を受け、香川と金崎がクラブ優先になったことが物議を醸したが、「ユース年代といえどもクラブ事情が優先される時代」に突入したのは事実だろう。ナイジェリアの頃はJクラブで試合に出ていた小野伸二(琉球)や稲本潤一(相模原)を代表活動に長期派遣するのは当たり前だったが、そういう常識が変わりつつあった。それだけ代表活動が難しくなったということであり、牧内監督は過去にない壁に阻まれたと言っていい。
 

 ただ、U-20ワールドカップ連続出場記録を途切れさせた選手たちは「ここから這い上がってやる」と凄まじい闘争心を燃やした。永井自身も「本気で五輪と日本代表を目指してやるのだ」と本気モードに入った。

「『見返してやる』という気持ちが一気に強まりました。あの韓国戦がなかったらここまでサッカーをやってないと思うくらいの重要な転機でした。自分の中のスイッチが切り替わった瞬間だったのは間違いない。あの2年後の2010年に南アフリカ・ワールドカップにサポートメンバーとして行かせてもらい、勝つ集団というのがどういうものか分かったのも大きかった。全員が同じ方向を見て結束して戦わないと上には行けないと痛感したのです。ジェッダで韓国に負けた時の僕らにはそこまでの一体感はなかった。それを再認識するいい機会になりました」

 永井は南アから5か月後の2010年アジア大会(広州)優勝の原動力となる。同大会の日本はまたもクラブ事情で主力級を呼べず、J1で出ていない選手、永井や山村和也(川崎)のような大学生がメイン。それでも関塚隆監督(現協会ナショナルチームダイレクター)の的確なマネージメントが奏功し、組織的かつ連動性の高いサッカーを披露。アジア王者へと上り詰め、2012年ロンドン五輪に向かう土台を築くことができた。ロンドンに至るまでの道のりも困難の連続だったが、「みんながまとまって連動し、ハードワークを続けていれば必ず勝てる」という確信を持って永井はピッチに立ち続け、ついに世界舞台を勝ち取ることに成功する。そのロンドン本大会でもスペインやエジプトを撃破。メダル一歩手前まで辿り着いた。

「3位決定戦の相手はご存じの通り、韓国。アジアユースで負けた時の主力が多くいて、サッカースタイルも全く同じでした。ジェッダでボコボコにされた分、勝ちたい気持ちは強かったけど、またも負けて本当に悔しい思いをしました。ク・ジャチョル選手(アル・ガルファ)など当時の代表メンバー数人が韓国代表から離れたけれど、彼らに負けたくない気持ちは今も強い。いつかリベンジしたいですね」

 現在は右肩脱臼の大ケガからの復帰途上にいるが、高いレベルへの渇望は30代になった今も変わらない。森保一監督率いる日本代表でも重要な戦力と位置付けられているだけに、早期の復活が待ち望まれるところだ。

「ユース年代から代表で戦ってきて感じるのは、球際の部分や激しさで負けていたら、絶対に上には行けないということ。日本の若い世代はうまい選手がたくさんいるし、技術・戦術レベルが急激に上がっているのは間違いない。だからこそ、日本人のよさを継続しつつ、タフに戦う部分を子どもの頃から意識していくことが大事だと思います。あの韓国戦に負けた経験者として、そこは改めて強調しておきたい部分ですね」

 永井の言葉は重い。それを我々は今一度、噛み締める必要があるだろう。

取材・文●元川悦子(フリーライター)

関連記事(外部サイト)