「マヤは永遠に記憶される愛すべき男だ」サウサンプトンの伝説戦士も絶賛した吉田麻也の“偉業”とは【現地発】

「マヤは永遠に記憶される愛すべき男だ」サウサンプトンの伝説戦士も絶賛した吉田麻也の“偉業”とは【現地発】

CBとしてチームを統率した吉田の功績を英国人記者が振り返った。 (C) Getty Images



 私は何度もプレミアリーグを去っていく日本人選手たちを見つめてきた。

 香川真司や岡崎慎司のようにリーグ制覇をした選手もいれば、中田英寿や宮市亮のように入団時のインパクトを超えられずに去っていった選手もいた。そうしたなかで、この夏にひっそりとプレミアリーグからいなくなった日本人が、今年1月にサンプドリア(イタリア)へ期限付きで移籍した吉田麻也だった。

 私にとって吉田は存在感の薄い選手でもあった。とはいってもネガティブな意味ではない。というのも、私の見る試合での彼は、決して悪目立ちするようなミスを犯さず、CBとしてチームを縁の下で支えていたからだ。

 そして、彼は何よりもクラブとファンから愛された日本人選手だった。そのことは約8年という長期間の在籍期間が物語る。日々、激しい競争が繰り広げられるプレミアリーグにおいて、退団が決まってもなお愛されている吉田のような選手は稀有だ。

 プレミアリーグではCBは最も過酷なポジションの一つと考えられている。ワールドクラスのアタッカーたちと激しく対峙し、一つでもミスをすれば、メディアから袋叩きに合うからだ。そこで長期間もチーム内序列の上位に君臨した吉田は立派というほかにない。
 
 もちろん、ジョゼ・フォンテ、デヤン・ロブレン、トビー・アルデルヴァイレルド、フィルジル・ファン・ダイクといった“相棒たち”がこぞってビッグクラブに引き抜かれたというクラブ事情はあるにせよ、長期間にわたってレギュラーを張ることは並大抵のことではない。

 ただ、何よりも彼の功績として称えるべきは、キャプテンを務めたことだろう。

 イギリス人選手はもちろん英語を多用するヨーロッパで生まれ育った選手が、プレミアリーグのクラブでキャプテンになるのは、造作もないことだが、第一言語が英語でない吉田がチームの顔役を任せられたのは、まさしく偉業だ。

 オランダでのプレー経験はあったにせよ、ブリティッシュ英語を習得した彼の賢さはもちろん、常に模範的に振る舞い続け、7人の監督(在籍期間中の指揮官の人数)の個性やアイデアを受け入れ、時に自らの考えを主張できるパーソナリティーは際立ったものがあった。

 そんな吉田の存在を惜しむレジェンドがいる。サウサンプトン史上最高と称されるレジェンドでもあるフランシス・ベナリだ。

 1988年から2004年までサウサンプトンでプレーし、屈強なSBとして300試合以上に出場した伝説戦士は、「君にとってヨシダがどんな選手であったか?」という私の問いに「常にサウサンプトンのために働いていた。彼のピッチ内外での影響とインパクトは永遠に記憶されるはずだ」と語ってくれた。

「とても優秀で、献身的で、勇敢だった。クラブとサポーターのために常に最善を尽くしてくれた頼もしい男さ。それからマヤは、その優しさ、人格、寛大さが本当に際立っていて、誰もが愛すべき男だよ。彼に会った人や彼と個人的に繋がりのあった人にとっては、彼を忘れることなんてできないんじゃないかな」
 
 吉田への尽きることない愛情を口にしたサウサンプトンのレジェンドは、最後にこうも教えてくれた。

「我々はマヤと『家族』のように過ごせたことを本当に光栄に思っている。サウサンプトンと彼の支援の恩恵を受けたこの街の人々は、今、本当に寂しい想いを抱えているけど、彼の幸せと成功を願っている」

 プレミアリーグにおいて、ここでまで愛され、絶賛される日本人選手がいただろうか。ベナリの言葉を聞き、私は吉田がサウサンプトンのレジェンドとなったことを確信した。

取材・文●スティーブ・マッケンジー(サッカーダイジェスト・ヨーロッパ)

スティーブ・マッケンジー (STEVE MACKENZIE)
profile/1968年6月7日にロンドン生まれ。ウェストハムとサウサンプトンのユースでのプレー経験があり、とりわけウェストハムへの思い入れが強く、ユース時代からサポーターになった。また、スコットランド代表のファンでもある。大学時代はサッカーの奨学生として米国の大学で学び、1989年のNCAA(全米大学体育協会)主催の大会で優勝に輝く。

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