自己破産から15年…サッカーシューズの名門はいかにして甦ったのか? 喜びの声から生まれたビジョンとは――

自己破産から15年…サッカーシューズの名門はいかにして甦ったのか? 喜びの声から生まれたビジョンとは――

代表取締役の佐藤。最新モデルには木型(写真手前左)と金型を一新するなど大幅な改良を施している。



 クラウドファンディングで支援者を募り、2018年に復活を遂げたサッカーシューズの名門ブランド「ヤスダ」。看板をYASUDAに変え、伝統を守りながら、新たなステージを見据えている。自己破産によって、一度は消滅した国内ブランドは、いかにして甦ったのか。そして、ユーザーの喜びの声から生まれたビジョンとは――。

――◆――◆――

「君はホントに、なんにも、知らないんだねぇ」

 初対面のその場で無知を指摘されても、反論できる余地はどこにもなかった。サッカーシューズがどうやって作られているのか、たしかに言われたとおり、佐藤和博はなにひとつ知らなかったのだ。

 でも、知らなかったから、すぐ行動に移せたのかもしれない。学生時代に愛用していたスパイクの国産メーカーが、実は15年前の2002年に自己破産していた。週末に仲間で集まるフットサルの合間の、友人とのなにげない会話をきっかけに、スマホの検索で破産の事実を知った佐藤は、埼玉県戸田市内のフットサル場から、東京都内の自宅に戻る車のなかで、履き心地が格別だった「ヤスダ」のサッカーシューズをもう一度履いてみたい、どこにもないなら自分で復活させようと、あっという間に決めていた。

 その日のうちに商標権の持ち主を調べ、思いを綴った手紙をすぐに送った。折り返し電話がかかってきたとき、ヤスダの破産を知った土曜日から、まだ数日しか経っていなかった。

 商標権を持っていた齋藤圭太はヤスダの元社員で、ヤスダが作っていたスパイクの熱烈なファンだった。ヤスダの倒産後は創業家から商標を譲り受け、大切な宝物のように守りつづけていたのだった。

 クラウドファンディングでヤスダのサッカーシューズを復活させ、「株式会社YASUDA」を立ち上げた佐藤の挑戦は、「君はホントに、なんにも、知らないんだねぇ」と齋藤にあきれられた、17年の秋に始まった。
 
 最初の大きな関門を迎えたのは、18年1月だった。中学生の佐藤が感動したあの履き心地で、ヤスダのスパイクを甦らせるには、当時使っていた木型と金型を見つけられるかどうかが最大の鍵となる。木型でシューズ(アッパー)の形状が決まり、木型に合わせた金型でスタッドを含めた靴底(ソール)が作られる。そうした初歩から齋藤の手ほどきを受けつつ、齋藤の伝手を頼りに木型と金型が残っているか、ヤスダのかつての取引先に問い合わせていかなければならない。

 幸いにも、探し物は見つかった。ヤスダの倒産から15年が過ぎていたのに、取引先のひとつが木型と金型を倉庫に保管してくれていたのだ。

 次のハードルは、大量生産ではない限定品の製造を、見つけ出したその企業が引き受けてくれるか――。佐藤の想定では、復刻モデルは限定300足程度が望ましい。ところがその企業は、最低でも1000足から受注するという話なのだ。クラウドファンディングで1000足以上の需要を掘り起こすのは、おそらく難しい。少量生産という条件を呑んでもらうには、どう説得すればいいのだろうか……。

 頭を悩ませていた佐藤に不思議な出来事が起きたのは、最終プレゼンを2日後に控えた土曜日だった。何の気なしに自宅の物置を掃除していると、年季の入った袋が見つかった。中に入っていたのは佐藤が20年前に購入し、おそらく自宅の引っ越しを境に行方不明になっていたヤスダのスパイクだった。

 最終プレゼン当日の1月22日は、東京に大雪が降った。佐藤がまず見せたのは、念入りに作成していた紙の資料ではなく、しっかり手入れをした、2日前までは物置に眠っていた取り替え式のスパイクだった。スタッドを交換する取り替え式は使う機会が限られており、それもあって行方知れずになっていたのだろう。

「それ、君の?」

 先方の社長が興味を示してくれた。はい、と答えると、こんな呟きが聞こえてきた。
「そうか、思い入れのあるメーカーなんだね……」

 こうして限定300足の製造にはメドがついたが、次の関門は資金だった。75年生まれの佐藤は09年に33歳で独立すると、17年にはスポーツと健康に特化したクラウドファンディングの会社を立ち上げていた。ヤスダの復刻は“クラファン第1号案件”として、ひらめいたアイデアでもあったのだ。

 18年3月6日から4つのコースを用意して支援の募集を始めたが、期限の5月5日まで1週間を切っても、目標の750万円には達していなかった。未達に終われば、プロジェクトそのものが立ち消えになる。

 伸び悩んでいた金額が急に増えだしたのは、4月30日の朝だった。ヤスダ復刻プロジェクトが、日刊スポーツで大々的に取り上げられたのだ。その日のうちに目標額に到達すると、朗報を知った齋藤から電話があった。佐藤はそのときまで知らなかった。ヤスダが自己破産したのは、ちょうど16年前の02年4月30日だったということを。

 復刻版のスパイクは、黒300足、ゴールド20足の2色を用意した。最終的に297名に上った支援者は、40代と50代が中心で、現役のJリーガーも含まれていた。完成した復刻モデルは18年の秋、支援者たちの下に届けられた。
 

 2020年の夏、株式会社YASUDAは設立3年目を迎えていた。代表取締役の佐藤を含め、スタッフは6名。それぞれ得意分野は持っているが、YASUDAに携わるようになるまで、誰もサッカーシューズを作った経験はない。メーカー出身者すら、ひとりもいない。

 もしかすると、だから、復刻できたのかもしれない。近頃のスパイクは、メーカーを問わず軽量化が進んでいる。それと比べればヤスダの復刻モデルや、同じ木型と金型で作った19年モデルは、やや重たく感じられる。もしも業界の常識にとらわれていたら、こんな重たいスパイクをいまどき誰が履くのかなどと、ブレーキがかかっていたかもしれない。

“昔のまま”に佐藤たちがこだわったのは、まずは履きやすさを再現するためだった。ヤスダのサッカーシューズが日本人の足によく馴染んだのは、その形状が日本人に多い、いわゆる“幅広”で“甲高”の足に合っていたからだ。佐藤は中学2年生の頃、地元のスポーツ用品店で勧められて、初めて履いたヤスダに感動している。復刻を思いついたのも、あの履きやすさが脳裏に刻まれていたからだ。

 最初のひらめきからほぼ1年後、復刻モデルが世に出て行くと、ユーザーたちからお礼のメールや電話が届くようになる。そのおかげで佐藤は気づかされた。どうやらYASUDAの製品には、人と人とを結びつける力があるようだ。

 復刻モデルの支援募集に敏感に反応した世代は、親になっていたり、指導者になっていたりする。メールや電話で寄せられたのは、自分の子どもに、あるいは教え子たちに、ヤスダの良さを伝えていきたいという喜びの声だった。

 もしもヤスダが倒産せずに続いていたら、こんな声が出てきただろうか。15年の空白期間を経て復活したブランドだからこそ、履きやすい、日本人の足に合うなどの価値を若い世代に伝えていきたいといった思いが生まれ、それが親子や師弟のコミュニケーションのきっかけにもなっているのではないか。一度消滅したブランドならではの、それこそが強みではないだろうか。

 ヤスダのサッカーシューズを介して伝わるのは、ヤスダの良さだけではないのかもしれない。自分の親や指導者が、どんな学生時代を過ごしてきたか。ヤスダの話は、そんな話に広がっていくかもしれない。サッカーをやっていたからこそ、楽しいだけではなく、悩んで、苦しんで、仲間と出会い、苦楽を分かち合い、喜んで、感動して、いつの間にか成長していて……。このスポーツ普遍の価値を、世代を超えて共有できるのではないか。

 株式会社YASUDAのビジョンを、佐藤はこう綴った。
――人と人をつなぐブランドになる。

 絶対に裏切れないのは、ヤスダを知っている世代の人たちだ。
「こんなのヤスダじゃない」
 と、失望させるような製品を作るわけにはいかない。それで最新モデルも、色は昔ながらの黒をベースにしている。カラフルでいかにもモダンなシューズにしてしまえば、いくら「YASUDA」のロゴや箔押しが入っていても、もはやヤスダじゃないと、そっぽを向かれてしまうだろう。

 アッパーのフロント(つま先周辺)にいまどき珍しいクロスステッチを残しているのは、ひとつには素材の良さを十分に引き出すためだ。ヤスダの代名詞といえば天然皮革のカンガルーレザーで、柔らかいので足によく馴染む。ただし、気を付けないと伸びやすい。そこで十字縫いのクロスステッチを入れて、カンガルーレザーが伸びすぎないように工夫している。

 しかし、理由はそれだけではない。クロスステッチの見た目が、いかにも懐かしさを感じさせるからなのだ。最新の技術を使えば縫い目はなくせるが、古くからのヤスダファンの期待を裏切らないように、あえてレトロ感を醸し出している。
 

 すでに先行予約を受け付けているYASUDAの最新モデルは、木型と金型がどちらも一新されている。狙いのひとつに軽量化があり、前作までと比べると60グラム軽くなる。

「たしかに履いてしまえば、わかりません。でも、こうやって持つと、ぜんぜん違います」

 代表取締役の佐藤は、最新モデルのサンプルを手にしたまま話を続ける。
「今回変えたのは、木型や金型だけではありません。それこそすべてです」

 理由は、明らかだろう。
「応援してくださるファンの皆様に、よく言われます。今度こそヤスダを潰さないでくれよって」

 生き残っていくためには、変化も必要だ。プロダクトディレクターの寺久保 要は、「進化」という言葉を使う。
「昔ながらのヤスダのスパイクに、進化した素材や製法をいかに採り入れて、今のニーズに合わせた製品を作っていくか。ソールに使う樹脂や、ソールとアッパーを貼り付ける接着剤も進化しています」

 試行錯誤の結果、到達したのが最新モデルで、ヤスダらしさを大切にしながら、細部にまでこだわり、進化を遂げていると言う。

 代名詞のオールカンガルーレザーにも、改良を施している。基本はカンガルーレザーのまま、靴ひもで擦れて摩耗しやすいベロ(シュータン)の素材は、より耐久性の高い牛革にした。ベロの内側と靴底(インソール)のかかと寄りは、滑り止めの機能を持つ豚革に素材を変更している。コストを考えても、高級品のカンガルーレザーを減らしたほうが原価は下がる。原価が下がった分、商品価格を安くできる。

 履き口周りには、ローバックスタイルを採用した。
「最近の主流は、かかとを高くして、アキレス腱まで覆うスタイルですが……」

 寺久保は、だからこそ、かかとを低くしたのだと話を続ける。
「かかとが高いと、足首までスポッと入ります。だからホールド感があって良いと評価する人も、逆にアキレス腱に当たって痛いと訴える人もいるんです」

 まだ成長途上で、とくに海外ブランドと真っ向から勝負するわけにはいかないYASUDAは、当面の狙いをニッチな需要に定めている。あえて主流の逆を行くローバックスタイルには、別のメリットもあると寺久保は言う。

「かかとが低い分、足首の可動域が広がりますから、ドリブルやフェイントでも、ディフェンスしながらでも、より踏ん張りが効くんです」

 競合他社との差別化は、ヤスダの伝統とYASUDAの独自路線を掛け合わせた“ハイブリッド”でも図ろうとしている。昔ながらのスパイクを、今風のサービスに乗せて、普及していこうとしているのだ。この9月から、スパイクの「サブスクリプション・リユース」という独自のサービスを開始する。

 サブスクのサービス利用者には、3か月ごとにYASUDAの新品のサッカーシューズが提供される。それまでのスパイクはYASUDAが回収し、まだ使えるものは再利用する。

 リユース(再利用)という発想も、実は「YASUDAらしさ」そのものだと佐藤たちは考えている。倒産したヤスダは、修理に力を入れていた。せっかく購入してもらったスパイクなのだから、是非、長く履いていただきたい、と。

 リユースできるスパイクは、いわゆるサッカー新興国の若者たちに届けられる。
「サブスクで戻ってきたスパイクは、一足一足、穴があいていないか、スタッドは残っているかなど点検します。まだ使えるものは清掃して、数がある程度まとまってから送ります」(佐藤)

 ゆくゆくは日本の恵まれない子どもたちのための施設にも、リユースのスパイクを提供していく構想を温めながら、まずはサッカー新興国に届けていくと言う。コロナの影響で見通しは立てにくくなっているが、伝手のあるバングラディシュから始める予定だ。

「サッカー新興国に送るのは、YASUDAというブランドを現地で浸透させていくためでもあります。その国に本格的に進出したとき、子どもたちが『あ、このスパイク知ってる』とか、親御さんが『リユースで使ってたんだ』とか――」

 佐藤が思い描いているのは、遠くない未来のそんな光景だ。
 
「将来の夢はサッカー選手」と、小学校の卒業文集に書いていた。しかし、大学卒業後に就職したのは保険会社で、転職を経たのちに自分で最初に立ち上げたのもサッカーとはまったく縁のない広告関係の会社だった。こんな未来が待っているとは、佐藤は想像していなかった。

 その一方で、サッカーはずっと続けてきた。小学4年生で始めると、高校までは部活動、大学進学後は草サッカー、社会に出てからはフットサルが中心になった。あの日、戸田市内のフットサル場でヤスダの話になったのも、ボールをずっと蹴りつづけていたからだろう。

 最新モデルのラインナップには、佐藤だけでなく寺久保も欲しいと思っていたフットサルシューズ(ターフコート対応シューズ)が加わった。実はあの日、戸田市内のフットサル場でヤスダの話になった会話の相手は、中学時代の同級生でサッカー部の仲間でもあった寺久保だったのだ。

「ヤスダのフットサルシューズって、ないのかな」
「もしあったら、欲しいよな」
(文中敬称略)

取材・文●手嶋真彦(フリーライター)
 

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