ウガンダ人の父を持つダイヤの原石はいかにして磨かれた?修徳高FWブワニカ啓太がジェフ千葉入りを決めるまで

ウガンダ人の父を持つダイヤの原石はいかにして磨かれた?修徳高FWブワニカ啓太がジェフ千葉入りを決めるまで

千葉入りが内定したブワニカ啓太。修徳のストライカーとして最後の選手権に挑む。写真:松尾祐希



 代表歴もなければ、県選抜の経験も全国大会への出場もない。エリート街道とは無縁だった男は高校3年間で自身を磨き上げ、プロ入りの権利を掴んだ。

 10月1日、ジェフユナイテッド千葉は修徳高に所属するブワニカ啓太(3年)の獲得を発表した。最大の武器は豊富な運動量と跳躍力で、中盤より前のポジションであれば全てこなせる汎用性も魅力のひとつだ。修徳高では1年次からトップチームに帯同し、2年次からはレギュラーに定着。今季は4−4−1−1の1.5列目で自由に動き回りながら、得点に絡む役割を担っている。

 プロ注目の大型ボランチ・大森博(3年)とともにチームを牽引するブワニカ。「中学の時はプロになるなんて全く考えていなかった」と本人が苦笑いを浮かべたように、高校1年生までは無名の選手だった。なぜ、ブワニカはプロ入りを勝ち取れたのか。日本人離れした身体能力だけでプロになれるわけではないし、他を圧倒するサッカーセンスを持っていたわけでもない。いかにして、ダイヤの原石が磨かれたのだろうか。

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 日韓ワールドカップが開催された2002年の12月16日。ブワニカはウガンダ人の父と日本人の母の間に生まれた。両親はともにサッカー経験者。特に母親は中学時代になでしこリーグの下部組織でGKとしてプレーしたことがあり、サッカーは幼い頃から身近にあった。その中で本格的にキャリアをスタートさせたのは小学校4年生の時。両親の影響もあったが、テレビゲームを原作とするアニメ「イナズマイレブン」に登場するGK円堂守に憧れ、地元・松戸のラビットキッカーズに加わった。

 小学校時代はGKとして活躍。サッカーに熱中する一方で、自身の関心は友達と遊びでよくやっていたバレーボールに移りつつあった。中学ではバレーボールをやろう――。そう考えて松戸六中に進むが、まさかの出来事が起こる。仲の良かったサッカー初心者の友人が同部への入部を決めたのだ。

 バレーボールに強くこだわっていなかったこともあり、友達に連れられてサッカー部へ。将来を決める上で大きな出来事となった。

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 任せられたポジションは慣れ親しんだGKではなく、フィールドプレーヤー。しかも、攻守の要となるボランチだった。「キックは得意で展開力を武器にしていた」というが、当時の身長は158cm。体格に恵まれておらず、足もとの技術も持久力もまるでなかった。努力を重ね、徐々に頭角を現わしていったが、今度は別の問題がブワニカに襲い掛かる。それが成長痛だ。中1の間に身長が17cmも伸びて175cmに。中3ではさらに5cm伸びた。その影響でボールを蹴る度に痛みが伴い、思い切りプレーできない日々が続いたという。

 それでも中3ではチームの主軸としてプレーし、夏の最後の大会は松戸市大会で準優勝。県大会は1回戦で敗れたものの、最高の仲間と最後の夏を謳歌した。決まっていなかった卒業後の進路も松戸市大会の活躍で解決。同大会の準決勝と決勝のプレーを見た修徳高に興味を示され、荒削りのプレーヤーだったが、将来性を見越した上でオファーがえた。

 こうして冬の選手権出場8回の強豪校で高校生活をスタートさせたが、ブワニカは入学後にレベルの差を痛感する。

「心が折れました。『やばいところにきたな』と思いましたから。中学時代は中体連に所属していたので技術的に上手い人があまりいなかったけど、高校はまるで違う。入学直後からトップチームに入れたけど、自分が一番下手くそだった」

 3年生たちのレベルは段違い。加えて、同級生の大森は世代別代表経験を持ち、DF高橋港斗は柏レイソルU−15時代に夏のクラブユース選手権で全国2位の実績を持っていた。

 何の実績もない男がその中でプレーするのは簡単ではない。その苦労は想像以上。入学早々にレベルの差を感じると、トップチームでの活躍を夢見て自主練をスタートさせる。そこで目を付けたのが持久力だった。

「技術とスピードは高校3年生の先輩に比べるとなくて、ヘディングでも勝てなかった。自分は何も武器がないと感じた。『何ができるかな』って思って、一番早く身に付けられる武器を考えた。それが持久力だったんです」
 

 中学時代に陸上部の助っ人で駅伝をかじっていたため、元々体力には自信があった。しかし、先輩たちになかなか勝てない。そこでブワニカは自宅に帰宅すると、15分後には公園へ出発。10キロのランニングを日課とし、来る日も来る日も地道に走り続けた。

 すると、変化が現われる。夏を過ぎると、基礎体力がアップ。持久力の改善でスタミナが切れない。その結果、体力に余力ができ、ボディコンタクトで先輩たちに当たり負けしなくなった。

 1年次の高校サッカー選手権予選はサイドハーフで出場機会を掴み、2年次からはFWのレギュラーとして活躍。「自分が点を取って勝つのは気持ちが良い。練習してきたことが試合で出る楽しさもあった」とサッカーの楽しさを知り、課題だった技術面の改善にも意欲的に取り組んだ。

 日進月歩で成長を遂げると、思わぬところからチャンスを掴む。高校2年次の春に、別の選手の視察に訪れた千葉の稲垣雄也スカウトの目に留まったのだ。

「他とはちょっと違うものを持っていた」という稲垣スカウトの視線を釘付けにすると、以降も動向を注視されるようになる。そして、シーズンが終わった12月上旬に2日間の日程で千葉の練習に参加。トレーニングに付いていくのがやっとで、午前練習後は滞在先となったクラブの寮で眠ってしまったが、プロのレベルを体感できたのはプラスだった。佐藤寿人らの取り組みも間近で見たことで意識も変化。高卒でのJ入りを目標に掲げるきっかけとなった。

 そこからより一層、トレーニングに励んだブワニカ。新型コロナウイルスの影響で活動が止まった時期は稲垣スカウトの助言を受けながら、肉体改造に取り組んだ。自宅で体幹トレーニングを行ない、食事面では栄養士のサポートを受けながら食生活などを改善。アスリート仕様の身体を手に入れる作業はまだまだ取り組んでいる最中だが、身体が一回り大きくなって、現在は体重も84kgまで増加した。

 地道に積み重ねたことで走れる万能型の選手となり、プロ入りを勝ち取った。また、その努力の成果を最大化する吸収力も目を見張る。それを象徴する出来事が今夏に行なった市立船橋高との練習試合。A戦後にBチームが試合を行なっている最中に、ゴール裏にいた相手チームの選手たちを突撃。サッカーが上手くなりたい一心でライバルたちに教えを乞うたという。そうしたスタンスもブワニカが成長した要因のひとつだろう。
 
 5月にオファーを受け、千葉の一員となった。来季からはプロサッカー選手となる。生半可な気持ちでプロに行くつもりはないし、J入りがゴールでもない。ブワニカは言う。

「本当にオファーが来るとは思っていなかったし、話が来た時は『自分でいいのかな』って思った。でも、声を掛けてもらったので、しっかりと準備をしたい。このままプロになっても大成できないので、今のうちから取り組んでいく」

 コツコツと積み上げる才能と素直に助言を受け入れる姿勢は誰にも負けない。それがブワニカの成長を支える原動力だ。すでに始まっている高校サッカー選手権予選ではプロ内定者としてチームを牽引し、自身初となる全国大会出場の切符を勝ち取れるか。右肩上がりで成長を続ける男は貪欲に上だけを見て走り続ける。

取材・文●松尾祐希(フリーライター)

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