14歳でバルサの“異例オファー”を断り、13クラブも移籍した元逸材MFが抱く最大の後悔とは?「サインしろと言われ…」

14歳でバルサの“異例オファー”を断り、13クラブも移籍した元逸材MFが抱く最大の後悔とは?「サインしろと言われ…」

トッテナムのクラブ記録を更新する早さでプレミアリーグのピッチに立ったボストックだが、彼のキャリアは周囲が期待するほどの輝きを放てなかった。 (C) Getty Images



 若くしてビッグクラブの関心を集めたものの、残念ながら大きな成功を収められなかったという選手は少なくない。クリスタル・パレスのユースで育ったジョン・ボストックもそのひとりだ。

 現在28歳で無所属のボストックは、ティーンエージャーだった時には、メガクラブへのステップアップも狙えた逸材だった。英公共放送『BBC』のインタビューで、「14歳のときにバルセロナが10年契約をオファーしてくれた」と明かす。

「当時、ロナウジーニョが好きだったから、彼らはサイン入りのポスターを送ってくれたんだ。今でもロンドンの家にある。『ロナウジーニョよりジョンへ』と書かれているよ」

 だが、ボストックは、異例とも言える長期オファーを提示したバルサと契約しなかった。かつて「ワンダーボーイ」と呼ばれた男は、レアル・マドリーやインテル、マンチェスター・ユナイテッド、チェルシー、リバプールといった強豪から誘われていたからだ。

 数ある有力クラブの誘いのなかで、ボストックが15歳のときに選択したのは、トッテナムだった。
 
「家族と代理人は、トッテナムに行くことが僕にとって最善の利益と考えた。僕の成長にとってベストだと思ったんだ。正直に言うと、僕自身に発言権はなかった。15歳だ。机の書類を見て、サインしろと言われただけさ」

 当時、獲得を巡ってクリスタル・パレスとトッテナムが揉めたことで、ボストックにも批判の声もあったようだ。オンラインチャットを見ていたという本人は、「主観的な状況だけを見て、『あいつは金目当て』とか思うんだ。『道で会ったらこうしてやる』みたいなことを書かれた」と振り返る。

「家族のネットワークがあって、周囲に精神的な苦しさを話せるような人たちがいたのは幸いだった。人は試合だけを見るけど、裏には人生や重圧、期待。僕は夢を追う若い子どもでしかなかった」

 2008年にトッテナムに移籍し、クラブ最年少デビューも飾ったが、トップチームではインパクトを残せなかった。ボストックは、「パレスより大きなクラブだとは感じなかったけど、異なるサイズだった。バロンドールを受賞するルカ・モドリッチや、ガレス・ベイルのような選手たちがいたんだ」と、正直に漏らした。

「すべてのポジションに、最低でも2人の代表選手たちがいたんだ」

 その後、トッテナムに、「成長するにはパレス復帰が最善」と勧められたボストックは、レンタルで国内外の複数クラブを転々とする。その数は2007年にパレスでデビューして以来、13年で5か国13チームにのぼった。

 あらゆるクラブを渡り歩き、ジャーニーマンとなった男は、「『自分は本当にうまいのか?素晴らしい選手なのか?』と自問し、人の意見をうかがい出していた」と赤裸々に明かした。

「特にスポーツの世界では、自分に疑問を持ち始めたら危険なスパイラルだ」

 何度も引退も考えたというボストックだが、信仰心のおかげで現役を続行。批判を受けることも少なくないが、28歳となった今は妻と子どもがおり、「自分たちは短時間で荷造りするエキスパートだ」と冗談も飛ばすほど精神的にも強くなった。
 
 現在、新たな所属先を探しているというボストックは、「悔いはある。最大の後悔は、バルセロナに行かなかったことじゃなく、パレスを離れたことだ」と認めたうえで、こう言い放っている。

「もっと良い決断ができたかもしれないということは分かっているけど、それも人生の一部だと考えている。本当に、自分はそれらの決断を下せる立場になかったんだ。周りの人たちが僕のことを決めた。彼らが心から僕にとって最善の利益を考えてくれていたことを、僕は心から分かっている。うれしくない旅路ではあったけど、きっと変えたいとは思わないかな」

 はたして、ボストックは活躍の場を見つけられるのか。彼が家族とともに幸せな人生を送れるのを願うばかりだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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