【選手権】県内屈指の弱小校だった創成館が全国への切符を掴むまで…指揮官の10年間の奮闘と学生コーチの支え

【選手権】県内屈指の弱小校だった創成館が全国への切符を掴むまで…指揮官の10年間の奮闘と学生コーチの支え

創成館高は県予選決勝で長崎総科大附に勝利。初の選手権本大会出場を決めた。写真:藤原裕久



 悲願達成の瞬間、創成館高校の久留貴昭監督は拳を突き上げた。その後ろでは、自身通算41度目の選手権出場を断たれた小嶺忠敏監督がベンチへと引き上げていく。第99回全国高校サッカー選手権・長崎県大会決勝、創成館が長崎総科大附を下し、初の県大会優勝・全国大会出場を達成した瞬間だった。

 試合後、落ち着いて取材対応をしていた久留監督が、わずかに声を震わせた。それは、監督就任からの日々に話題が及んだ時だった。

「次は指導者として選手権を目指します」。そう語ったのは、JFL所属だったV・ファーレン長崎との契約を満了した2010年末。監督が27歳の時だ。自身は鹿児島実業で2年生の時に選手権準優勝を経験している。現役引退後、指導者として高校サッカー界に飛び込むのは、本人にとって自然なことだったという。だが当時の創成館は、公式戦の勝利もおぼつかない県内屈指の弱小校。人も物も全てが足りなかった。

 試合中のベンチに交代選手はいない。部員の数はギリギリで、時には陸上部から選手を借りてきた。サッカー経験者はふたりだけ。GK経験者がいないので、前後半でFWとGKを交代させて試合をする。少し厳しく指導したり、教職が多忙で練習に顔を出せない日が続くと、選手が5名程度に減ることもあったという。選手の遅刻や欠席が怖くて、大会の前日には、学校へ泊まり込んだりもした。
 
 その中でも「他のやり方を知らないから」と生徒と真っ向に向き合い、少しでも高いレベルを知ってもらおうと、知己の安達亮(現カターレ富山監督)、佐藤由紀彦(現FC東京コーチ)といったプロたちに創成館のグラウンドに来てもらった。その熱心さに少しずつ県内外から有望な選手たちが集まるようになり、就任5年目には選手権予選の決勝に進出。県内強豪校へと成長していく。

 だが、そこからのあと一歩が遠かった。県リーグ優勝や九州プリンスリーグ昇格を達成しても、高総体、新人戦、選手権の県予選では優勝ができない。「県のトップを取って全国へ行く」と決意した監督就任10年目の今年も新人戦は準優勝。新型コロナウイルス感染症で高総体は中止となり、夏の練習試合では勝てないことが続く。
 

「本当にムードが重かった」。蕪木慶(かぶらぎけい)は、当時をそう振り返る。3年生の蕪木は、前年まで選手だったが、翼状片という目の病気で現役を断念。今年から学生コーチとなっていた。監督から衝突を怖がるなと言われていた蕪木は、自らも選手たちと意見をぶつけ合いながら話し合いを重ねたという。何度も衝突を繰り返すなかで、チームは徐々にひとつにまとまっていく

 選手権予選を順調に勝ち上がった創成館は、準決勝では北海道コンサドーレ札幌加入内定の中島大嘉を擁する国見高校を、決勝戦では長崎総科大附を撃破。10年越しの歓喜を達成した。試合後の胴上げで久留監督が、続いてキャプテン岩ア雄永の身体が宙を舞う。そして、彼らふたりのあと、選手たちは蕪木の名を呼んだ。選手たちは分かっていたのだ、勝利はチーム全体の力だと。

「自分たちだけでここまで来たわけじゃない。いろんなサポートに感謝したい」

 そう語った岩アは1年前の県高総体決勝で後半に出場し、1分で退場した苦い経験を持つ。「あの時があったから成長できた」と当時を語る岩アの言葉は、創成館の10年そのものだ。
 
「いろんなことがありましたけど、信じて最後まで一所懸命な子たちばかりだったから、ここまで来れた。名門に比べたら、たかが10年かもしれませんが、それがチームの伝統になっているんだと思います」

 何もないところから出発した10年を、久留監督はそう振り返る。まだまだ足りないものは多い。ピッチ状態の良くない土のグラウンドでの練習で、怪我人が出やすいのは悩みの種だし、強豪高としての知名度も経験値も低い。それでも10年の積み重ねを持って選手権に挑みたいという。

「ずっと目指してきた選手権。選手より気持ち高く入っていきたい」

 そう言うと久留監督は笑った。それは指導者となってからの10年間で、初めて県大会の終了後に見せた満面の笑みだった。

取材・文●藤原裕久(サッカーライター)
 

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