【消えた逸材】16歳で鮮烈デビューを飾ったセビージャ産の快足ドリブラーは、なぜ大成できなかったのか?

【消えた逸材】16歳で鮮烈デビューを飾ったセビージャ産の快足ドリブラーは、なぜ大成できなかったのか?

ユース時代に将来を嘱望されていたディエゴ・カペル。セビージャ入団前はバルサのカンテラでもプレーしていた。(C)Getty Images



ディエゴ・カペル(FW/元スペイン代表)
■生年月日/1988年2月16日
■身長・体重/173cm・71kg

 ディエゴ・カペルは個性的なウイングだった。

 ホセ・アントニオ・レジェスやホアキン・サンチェスらの系譜を継ぐ、いかにもアンダルシア産らしい快活なプレースタイルの持ち主で、ボールを持てば積極的に1対1の勝負を仕掛け、セビージャの左サイドで崩しの切り札となった。

 ホアキン・カパロス政権時代の2004年に、16歳8か月と8日でセビージャのトップチームにデビュー。これはレジェスに次いでクラブ史上2番目の若さだった。

 その後のファンデ・ラモス監督時代は、Bチームで力を蓄えつつ、06年のU−19欧州選手権でスペインの優勝に貢献するなど、将来を嘱望される存在でありつづけた。

 そして、Bチーム時代の指揮官でもあったマノーロ・ヒメネスがトップチームの監督に就任した07−08シーズンに本格ブレイクを果たす。

 躍進セビージャの次代を担う選手と目されたレフトウインガーのもとには、レアル・マドリーや、1年にも満たない期間ながらも下部組織に所属したことがあるバルセロナ、トッテナム・ホットスパーといったビッグクラブからオファーが舞い込み、08年8月にはヨーロッパ王者に輝いたばかりのスペイン代表に招集され、デビューも飾っている。

【動画】ディエゴ・カペルのセビージャ時代のゴラッソ集はこちら


 当時のカペルは、間違いなく輝いていた。だが、翌08−09シーズン以降は対戦相手に徹底的に研究され、出場時間を減らし、不動のレギュラーとなることはついになかった。

 先制ゴールを挙げ、2−0の勝利に貢献した09−10シーズンのコパ・デル・レイ決勝のように、時折目立った活躍を見せることもあったが、ディエゴ・ペロッティらの台頭もあって11年夏にセビージャからの退団を決意。当時は23歳、まだまだこれからという年齢だった。

 心機一転を期した移籍だったが、新天地のスポルティング・リスボンでも活躍できたのは最初の2年間だけで、徐々にパフォーマンスが低下するというセビージャ時代と同様の尻すぼみ状態に。

 ジェノア、アンデルレヒトでプレーした後は移籍先を見つけることができず、1年以上も無所属状態が続くという苦難も味わった。



 その後、ようやく見つかった新天地はスペイン2部のエストレマドゥーラ。だが、ここも1年で退団し、今年1月から6月末までの半年間はマルタのビルキルカラに所属していた。

 カペルの輝きが長続きしなかったのは、そのプレースタイルに原因があった。

 確かに切れ味鋭いそのドリブルは高い殺傷力を誇ったが、ボールを持てば縦に仕掛けるの繰り返しで、たとえ突破に成功しても、下を向きながらプレーする癖があるため、クロスが味方に届く確率は限りなく低かった。

 そんなプレースタイルだから、逆足の右サイドでは結果を残せず、おのずと起用法は限定された。ゴールの数が少ないのも、そうしたプレーの引き出しの少なさに起因する。

 もっとも、クラブレベルで獲得したタイトルは8つあり、スペイン代表でも2試合に出場した。当初の期待ほどではないにせよ、サッカー界に爪痕を残したのは間違いない。その知名度が追い風となり、ビルキルカラ入団時にはマルタ全土が歓迎ムードに包まれたという。

 現在32歳。またしても所属クラブを失ってしまったカペルだが、本人は前向きにこうコメントしている。

「これまで自分が歩んできたキャリアにとても満足している。これからも1年でも長く現役を続けたい」

文●下村正幸

※『ワールドサッカーダイジェスト』2020年11月19日号より転載

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