【三浦泰年の情熱地泰】福岡滞在中に考えた3つのこと。ソフトバンク優勝、憲剛の引退、そしてマラドーナ…

【三浦泰年の情熱地泰】福岡滞在中に考えた3つのこと。ソフトバンク優勝、憲剛の引退、そしてマラドーナ…

今季限りで引退する中村が3度目のJ1優勝で有終の美を飾った。写真:金子拓弥(サッカーダイジェスト写真部)



 髪をカラー・カットするために定期的に福岡へ行くのだが、誰からも決まって、つっ突っ込まれ、「高くつくねー」と言われる。が、仕事も重ねて用事を入れて、気に入った美容師(ヘアーメイクさん)にやってもらう。

 そんな11月25日(水)、大変な日に、僕は福岡にいた。

 充実した1日であったが、まずはソフトバンクが日本一。予想通り?というべきか、ソフトバンクの3連勝で迎えた日本シリーズの第4戦では、すんなりと4連勝を飾ってジャイアンツ相手に圧勝した。

 そしてJリーグの川崎フロンターレも首位攻防戦を圧勝で制してぶっちぎりの優勝で力を見せつけた。野球もサッカーも王者は力の差を見せつけた。

 そして訃報がTVから流れた。アルゼンチンサッカー界のレジェンド、ディエゴ・マラドーナ氏が亡くなったという知らせだ。

 僕は大のブラジル代表ファンであっただけに、マラドーナ氏が選手時代に何度もやられた印象ばかりのマラドーナ。日本開催となった1979年のワールドユースでは、キャプテンとして優勝。彼のプレーを生で見られたことは大きな思い出になる。

 南米サッカー界の中でもペレの継承者として認められたマラドーナ氏が60歳で他界とは本当に悲しい知らせでもあった。

 今回はこの3つの大きな出来事について、話を進めていきたい。

 まずはソフトバンク。カミングアウトすれば僕は兄弟で大のジャイアンツファンであった。

 幼児期は巨人軍の選手を打順番に覚えていたし、江川卓さんの大ファンでもあった。

 もちろん長嶋茂雄、王貞治氏は憧れで僕らのスーパースター的存在であり、昭和30年代40年代生まれの人たちは頷いているであろう。

 歴代で一番好きな選手は槙原寛己さん。理由は大の仲良しで、友人でもあり、偉大なアスリートでもあるからだ。日本のプロ野球では、完全試合はマキさんが94年に成し遂げたのを最後に誰も達成できていない。

 そんな僕が今はソフトバンクを毎年、応援している。それは1999年にダイエーが初優勝した年に、僕はアビスパ福岡へ移籍。その年に福岡ドームへ観戦に行き、何人かの選手と知り合い、友人もできた。

 当時はダイエーホークスであり、王さんが監督。

 優勝まで苦労なさったが、優勝前年の98年に王監督に卵を投げつけたファンの記事に僕は激怒したのを覚えている。

 そんな気性の激しい人の多い福岡で、王監督率いるダイエーを応援して2000年には王さんと地元雑誌の企画で対談。キャプテンであった僕にアドバイスも頂き、その年は当時、最高順位を収めることができた。

 そんなダイエーがソフトバンクとなり、現在、工藤監督の元で素晴らしいチームとして日本の野球界を引っ張っている。今までの野球の常識を変える工藤監督の選手マネジメントが今のソフトバンクを支えていると、野球に詳しい知人から聞いたがコーチたちが勉強家であり、選手をしっかり育成して、そのノウハウを確立しているという。

 野球はセパ12球団で日本のプロスポーツとして、日本スポーツ界を背負っている。

 コロナ禍で20,000人上限の観客規制があったと聞く。福岡の知人は、なんとジャイアンツファンで第5戦のチケットを持っていた(笑)、というが、当然チケットは返金となった……。

 そんな例年と違う日本シリーズは、ソフトバンクの4連勝で幕を閉じた。
そんな凄い日に偶然にも福岡にいるなんて……なんて縁のある場所なのであろう。
「ソフトバンクの皆さん、福岡の皆様、ソフトバンクファンの皆様、おめでとうございます」
 

 さてJリーグはフロンターレが最速Vを決めた。

 やはり語らなければいけないのは中村憲剛選手であろう。本人に対して言うべきではないのであろうが、それでも憲剛のプレーが見られなくなるのは寂しい。

 フロンターレの14番。彼の存在が輝きを放ったままチームを離れる。

 選手の引退には沢山の退き際があり、それは人によって違う。 

 フロンターレの流れるようなサッカー。等々力をフロンターレの聖地にした男、憲剛。

 試合を残しているが、憲剛にお疲れさま。フロンターレおめでとう!!

 憲剛に以前、『サッカーダイジェスト』本誌の連載コラム「サッカーヤロー」で取材をした時のことを思い出す。

 こんな良い奴がこんなサッカーが上手いんだと強く感じたのを覚えている。取材で川崎
でランチをして、支払いを気にしてくれて本当に人間的にも素晴らしい。

これからもJリーグ発展のために貢献していくのであろう。「ありがとう」また食事でもお願いします…(笑)。

 そして、最後は悲しい知らせ……。
これは目が覚めた26日の朝のニュース? 夜中のニュースだったであろうか?
ディエゴ・マラドーナが亡くなったと流れた。

 少し前にペレの80歳の誕生日をブラジルの知人からのLINEで知ったが、マラドーナの60歳の悲報は若すぎると感じた。

 プレーヤーとしては超一流。アルゼンチン代表監督としても指揮を執り、話題が絶えない人物だった……。数多くの伝説を作り、86年ワールドカップでアルゼンチン代表を優勝させた。 

 監督としての評価は今一つで、2010年にアルゼンチンへ行きNHKの特番取材した時、地元記者はマラドーナ監督をこう批判していた。
「彼は監督になった瞬間、3つの事を間違えた」と。その記者にアルゼンチンサッカー界の厳しさを身に染みて感じたのを覚えている。

 日本のサッカー界であれば、元代表選手の言うことなら正しいと信じてしまう人が多いかもしれない。レジェンドクラスの選手になれば、さらにそうなのではないか。

 ただアルゼンチンは違う。きっとブラジルも同じだ。ペレが間違ったら国民は批判するであろう。強い立場の人にもしっかり意見する。弱い人間に対してだけでなくだ。

 そんな厳しい環境の中で生きて来たマラドーナ氏。彼のプレーは一生忘れないほどのインパクトがあり、彼のプレーを見て育ったサッカー選手は日本にもいっぱいいる。

 そして彼が残したモノは、これからもリスペクトされていく。「ありがとう、マラドーナ」御冥福をお祈りします。

 2泊3日の滞在中にこんなに多くの出来事があった。そして滞在中、福岡の人たちからの温かい思いやりに何度も触れた。

 誰もが好きになる街、福岡。この街にも「ありがとう!!」だ。

2020年11月26日
三浦泰年 
 

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