「ハンド・オブ・ゴッドは事件だが――」BBCチーフ記者が語るマラドーナの“神の手”に対する真の英国評【現地発】

「ハンド・オブ・ゴッドは事件だが――」BBCチーフ記者が語るマラドーナの“神の手”に対する真の英国評【現地発】

今も語り継がれている「神の手」。世紀の誤審とも揶揄されたゴールは多くの物議を醸したが、マラドーナの死に対する英国人の反応はいかなるものなのか。 (C) Albert LINGRIA



 ディエゴ・アルマンド・マラドーナは、これまでそうだったように、これからも永遠に「最高のフットボーラーだった」と語り継がれていくだろう。

 マラドーナは強烈な個性の持ち主で、あらゆるトラブルやスキャンダルといつも隣合わせだった。しかし、サッカー界全般、特に祖国アルゼンチンや、イタリアのナポリでは、特別なステータスを保ち続け、「神」と同様に崇められてきた。

 母国を世界王者に導き、ナポリではミランやインテル、そしてユベントスといった既存の名門をなぎ倒す原動力となり、当時、低飛行を続けていたクラブをセリエAの頂点へと引き上げたのである。多くの人々に大きな幸せと喜びを与えたのは間違いないだろう。

 ここイングランドでのマラドーナは、1986年にメキシコのアステカ・スタジアムで行なわれたワールドカップ準々決勝での「神の手の男」として名高い。

 あの試合の1点目。マラドーナはイングランド代表の守護神ピーター・シルトンがパンチングをする寸前に、左手でボールをゴールへ押し込んだ。ハンドで得点を奪ったのだ。かたや、2点目は、世界中のサッカーファンの多くがいまだに「ワールドカップのベスト」と認めるスーパーゴールだった。
 
「神の手の事件」からわずか4分後だ。ハーフウェーライン付近でボールを持ったマラドーナは、ピーター・リードとピーター・ベアズリーをピッチ中央で抜き去ると、追いかけるリードを尻目に一気に加速して前進。目の前から向かってくるテリー・ブッチャーとテリー・フェンウィック、さらにGKシルトンをもかわしてネットを揺らしたのである。誰もが目を奪われた素晴らしい瞬間だった。

 彼の死後、シルトンは某紙のコラムで、「神の手はスポーツマンシップを欠いた行為だった」とマラドーナを批判した。結果、イングランド代表キャップ数最多保持者は注目を集めると同時に、非難も浴びている。

“ハンド・オブ・ゴッド”は、この国では今も騒動となるほどインパクトが残っている事件だ。だからこそ、見出しに引用している新聞社も多かった。

 だが、実際の記事を読んでみると、そのほとんどがマラドーナを敬うものばかりだった。元イングランド代表のストライカーで、かのアルゼンチン戦でゴールを決め、マラドーナとの親交があったガリー・リネカーが、『BT SPORT』で語っていたとおり、「安らかに眠ってほしい」という内容が目立っていた。

 無論、この国でマラドーナを語る際に「神の手」は避けられない言葉である。しかしながら、それもまた、彼の伝説の一つと考えるべきではないだろうか。さらに言えば、故人もまた、ヒールとしての役割を受け止め、楽しんでいたのではないだろうかと思う。
 

 マラドーナの才覚は“当事者たち”も認めるところだ。

 あの5人抜きゴールを決められた際に、華麗に抜き去られたリードは、アルゼンチン戦の数十年後にマラドーナと再会し、「正面から見た彼が誰かがわからなかった。だって、メキシコでは後ろ姿をずっと追いかけていただけだから」と笑って話す。

 さらに1980年に注目され始めていたマラドーナを擁するアルゼンチン代表とウェンブリー・スタジアムで対戦し、試合後にシャツの交換したケビン・キーガンは、突然の訃報を聞き、稀代の天才についてこう述べていた。

「彼は弱冠20歳だったが、サッカーの聖地でとてつもないプレーをした。後にも先にも、彼のような選手は見たことがない。彼をどのように止めるべきか、誰もわからなかった。誰もボールを奪えなかったんだ」

 当時のキーガンといえば、78と79年に連続でバロンドールを獲得していた屈指のスターだった。そんな選手でさえも、マラドーナは別格と感じたのだ。
 
 ずばり、イングランドで、ひょうきんで明るかったマラドーナを憎むものは少ない。むしろ、34年前に傷心させられた人々の多くは、今回の訃報にショックを受けて、大いに悲しんでいる。 

 たしかに神の手はマラドーナの現役生活を物語るエピソードの一つではある。だが、彼の人生においては小さな出来事に過ぎないほど、その一生のスケールは壮大だった。

 それは、彼の死に対する各国のニュースを見ても十分に理解できだろう。ブエノスアイレスやナポリの街の様子を見れば一目瞭然だ。60歳という若さで命を落とした、元サッカー選手の話ではなく、強烈なキャラを備えたアイコンでありレジェンドが、この世を去ったのであると感じられる。サッカー界ではこの先、永遠に忘れられない、それこそ重大な事件といっても過言ではない。 

 また、イングランドでは、「マラドーナ=メキシコ・ワールドカップ」と思われる節があるが、世界のサッカーファンは、この天才が4年後の90年イタリア大会でも、獅子奮迅の活躍で自国を決勝までけん引したことも忘れてはいない。

 惜しくも西ドイツ代表に敗れて連覇はならなかったが、マラドーナはサッカー史で稀にみる才能の持ち主だったことを改めて証明した大会だった。

 マラドーナはこれからも、ブラジルのペレや同胞のリオネル・メッシといった“真のスーパースター”と肩を並べ、「スポーツの歴史」として残っていくことだろう。同時に、「マラドーナこそ最高のサッカー選手だ」という声も消えないはずだ。

 ペレやメッシは、マラドーナのようにハチャメチャでカオスのようなキャリア、そして人生を送ってはいない。もしかしたら、他のスターたちとは一線を画した破天荒な部分が「ディエゴ・マラドーナ」をさらに興味深く、魅力的に感じさせているのかもしれない。

 それでいて彼は、アルゼンチン国民やナポリの人々の希望を一身に背負って、結果を残した。だからこそ、天才として称えられ、英雄として崇められる存在となったと言える。
 
 マラドーナという物語は、あらゆる問題やスキャンダルにもスポットを当てなければいけない面でドラマ性が高いと言える。だが、本質的な根本にあるのは、素晴らしいサッカー選手だった点だ。やはりマラドーナはサッカー人として、スポーツ界に大きな功績を残し、アルゼンチンやナポリの街では、弱者に夢と希望、喜びを与えた男、なのである。

 多くの人が「ザ・グレーテスト(史上最高)」と呼ぶ、最高級のフットボーラー、ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。多くの人に愛された天才のご冥福を心よりお祈りする。

文●フィル・マクナルティ
Text by Phil McNulty/BBC Sport Chief Football Journalist

訳●松澤浩三
Translation by Kozo Matsuzawa

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