「止めた手応えはなかった…」ファウル20回でマラドーナを消した“カルチョの偉人”が伝説の一戦を回想!

「止めた手応えはなかった…」ファウル20回でマラドーナを消した“カルチョの偉人”が伝説の一戦を回想!

世界的な注目を集めていたマラドーナ(10番)を果敢な守備で封じ込めたのが、ジェンティーレ(6番)だった。 (C) Getty Images



 先月25日、元アルゼンチン代表FWのディエゴ・マラドーナが他界した。そのあまりに突然の訃報に誰もが驚き、哀しみ、そして別れを惜しんだ。

 マラドーナはサッカー界に様々な伝説を残したレジェンドだっただけに、ゆかりのある人物が、現役時代の秘蔵エピソードや“本音”を赤裸々に告白し、話題を呼んでいる。元イタリア代表DFのクラウディオ・ジェンティーレもそのうちの一人だ。

 アッズーリ(イタリア代表の愛称)の伝説的守備者として活躍し、サッカー史にその名を刻んだジェンティーレは、執拗なマークとハードタックル、そして鋭い読みを駆使して、時にファウルも厭わないラフなプレーで相手エースを封じたことから「殺し屋」の異名も付けられた男だ。

 そんなカルチョの偉人は、マラドーナとも伝説の対戦をしている。1982年のスペイン・ワールドカップでの2次リーグ初戦だ。

 前回王者アルゼンチンの期待のエースとして、初めてワールドカップに出場したマラドーナのマーク役をエンツォ・ベアルトォット監督から任命されたジェンティーレは、実に20回にもおよぶファウルで、当時22歳だった“天才”を封じ込め、2-1での勝利に貢献したのだ。

 この時、あまりのラフさに受けた批判を「我々はワルツを踊っているわけじゃない」と一蹴したジェンティーレ。彼はかつての“好敵手”の死に何を思うのだろうか。
 
 現地時間11月26日に母国メディア『Fanpage』のインタビューに応じた元イタリア代表DFは、「私たちは決して友人と呼べる間柄ではなかった」と直接対決時の思い出を振り返っている。

「試合の2日前にベアルトォット監督が私の部屋にやってきて、『お前にマラドーナは任せたからな』と言ってきたんだ。私は最初、冗談を言っているのだと思った。それまでマリオ・ケンペスのマークをするのだと思っていたからね。それでも次の日の練習で改めて、監督から指示されて、ディエゴについて勉強し始めたんだ。ビデオを持って部屋にこもって、徹底して頭に叩き込んだよ」

 実際にマラドーナを封じ込めることには成功したものの、ジェンティーレは「いつものようにやったが、彼を食い止めたという手応えはなかった」と回想してもいる。

「マラドーナは事実上、誰にも止められない選手だった。どんな時でもやりたいようにプレーし、止まっている時でも予想ができない。そして急に動いてはみんなを驚かせる。私が与えられた任務は責任重大で、簡単ではなかった。

 ただ、私は彼を止める唯一の方法を理解していた。それはボールに触れる前に止めてしまうことだった。それが上手くハマった。あれで、ある時からディエゴのチームメイトたちが彼にボールを渡さなくなったんだ。もはや彼らしさを消えていたよ」
 

 当時のアルゼンチン代表監督セサル・メノッティから「ピッチで行なわれたのはサッカーではなかった」と批判を受けながらも、「あの試合のパフォーマンスに後悔はない」と振り返るジェンティーレは、“犬猿の仲”とも言われたマラドーナについて次のように語っている。

「お互いに小さな意見の不一致もあった。けれど、それとは別にして、彼は比類なき存在だった。私からすれば、ペレよりも史上最高の選手だ。彼がアルゼンチン国民のために何をしたかを想像してほしい。ナポリのティフォージにとってどのような存在かは言うまでもないだろう」
 
 そして、マラドーナに「どうか安らかに眠ってほしい」と語ったジェンティーレは、インタビューの最後にこう言い残している。

「ディエゴがもしも普通にプレー出来ていれば、ケンペスたちと共に1978年に続いて、アルゼンチンが世界制覇をしていたと思う。だが、私がそれを食い止めたんだ。彼は敗北を受け入れずにユニホームを交換してくれなかったがね。ただ、あれは私が一晩中、彼を研究しつくした結果だった」

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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