旧知の敵国記者が明かすマラドーナの知られざる“ブラジル愛”。セレソンの10番への憧れ、“相棒”カレッカとの友情――【現地発】

旧知の敵国記者が明かすマラドーナの知られざる“ブラジル愛”。セレソンの10番への憧れ、“相棒”カレッカとの友情――【現地発】

ナポリで共闘したマラドーナ(右)とカレッカ(左)はピッチ内外で親密な関係にあった。(C)Alberto LINGRIA



 アルゼンチンとブラジルの間には、昔から強い強いライバル関係がある。南米の大国同士ということもある、国民性もまるで違う、そしてなによりサッカーにおいては絶対に譲れないものがある。

 たとえ互いに対戦しなくとも、ブラジル人はアルゼンチンが負ければ大喜びだし、アルゼンチン人はどこであれブラジルの対戦相手を応援する。「マラドーナはペレより上だ!」と歌いながら――。しかし、そのマラドーナはブラジルをことのほか愛してくれた。

 私が記者稼業を始めたのは、ちょうどマラドーナが活躍しはじめた頃と時を同じくする。彼の不可能を可能するプレーと、そして尊大とも思えるほどの大胆な言動は、たちまち私を魅了した。彼こそが次世代のスターであると確信した。気がつけば私は自国ブラジルではなく、アルゼンチンを追いかけていた。

 これまでに私はマラドーナを5回インタビューした。どんな時でも彼から話を聞くのは簡単なことでもない。しかしマラドーナは、私がブラジル人だと知るといつも彼の方から手を広げてくれた。

 マラドーナとブラジルは特別な関係にあった。今回はそんな私のブラジルと、マラドーナの知られざる話をしたいと思う。
 
 マラドーナは昔から、ブラジルのサッカースタイルが好きだった。ブラジル選手の華麗な足技に憧れた。なかでも1974年と78年のワールドカップでセレソンの背番号10をつけたリベリーノのプレーが好きで、彼の得意技であるエラシコ(発明したのは皆さんよくご存じのセルジオ越後だ!)にマラドーナは惹かれていたという。

「リベリーノは俺に愛と想像力をもってプレーすることを教えくれた」

 のちのインタビューでマラドーナはそう私に話してくれた。

 また彼の最高の“相棒”もブラジル人だった。日本の柏レイソルでもプレーしたことのあるカレッカことアントニオ・デ・オリベイラ・フィーリョだ。代表でのクラウディオ・カニージャやバルセロナでのベルント・シュスターなど、彼をサポートする選手は多くいたが、ナポリ時代のカレッカほど気が合う選手はいなかった。数年前のFIFAのインタビューで「自身のサッカー人生のなかで最高のチームメイトとは誰か?」と訊かれた時も、マラドーナは迷うことなく「アントニオ」と答えている。

 彼らは共に最高の時を過ごした。ナポリにスクデットをもたらし、UEFAカップで優勝し、ゴールとタイトルと喜びを分けあった。ピッチで息がぴったりあっていたのは、私生活でも彼らの仲が良かったからだ。

「我々は共にプレーするために生まれてきたようなものだった」

かつてカレッカはこう私に話した。

「彼がピッチでどうやって動くのかも熟知していた。多分私たちの最大の強みは、ピッチの中だけでなく、外でも互いを知っていることだった。だから互いの頭の中が良くわかったのだ」
 

 カレッカはマラドーナの家に勝手に出入りできる唯一の人間だった。そしてマラドーナもまたサポーターやパパラッチから逃れて、カレッカの家によく避難していた。二人は兄弟のように仲が良かった。マラドーナはカレッカに「自分がナポリにいる限りは絶対に移籍しない」とも約束させていた。だからミランから巨額のオファーが来た時も、ブラジル人FWはそれを守るために申し出を断っている。

 これはほとんど知られていない話だが、カレッカが守ったのは約束だけではなかった。彼はマラドーナの命さえも守っている。

「アントニオは何度も俺を救ってくれた」

 詳しいことは言わなかったが、マラドーナ自身もこう語っている。ディエゴは91年にコカイン使用とカモッラ(ナポリの犯罪組織)との関係で警察の捜査を受けるようになったが、もしカレッカがいなかったら彼の破滅はもっと早かったことだろう。この親友はマラドーナの異変にいち早く気がついていて、どうにか彼を庇おうと、救おうとしていた。

「薬で意識不明になったディエゴを何度家に連れて帰ったかわからない。時には危ない連中とも対峙しなければならないこともあった」

 カレッカはそっと私に話してくれた。
 
 ナポリでの終わり方は幸せなものではなかったが、それでも2人の友情は引退後もずっと続いていた。彼はアルゼンチン・メディアがうるさくなると、いつもカンピナスにあるカレッカの家に逃げ込んでいた。

 そうマラドーナはブラジルではいつも笑顔だった。19歳からバカンスはほとんどブラジルで過ごすと決めていて、コパカバーナのビーチでフットバレーをする姿や、カーニバルで楽しそうに踊る様子が何度も目撃されている。彼はいつもとても楽しそうだった。南米にしては生真面目なアルゼンチンより、なんでもありの陽気なブラジルが性に合っていたのだろう。

 しかし、同時に彼はとてもアルゼンチン人らしいアルゼンチン人でもあった。プライドが高く、自分が絶対に一番と信じている。そんなところはまさにかの国の人らしい。
 

 ブラジル好きのマラドーナだが、ブラジルのクラブでプレーすることはなかった。ただ一度だけ彼の運命が限りなくブラジル近づいたことがあった。95年、前年のアメリカW杯でのドーピング使用で、彼は15か月の出場停止に処されており、所属チームもなかった。そんな折、ペレが自身の古巣であるサントスでプレーしないかとマラドーナを誘ったのである。

 ペレはこの時ブラジル政府のスポーツ大臣で、オファーはアルゼンチン大統領からマラドーナにもたらされた。ディエゴは非常に感謝し、ほぼ契約寸前まで行ったのだが、最後の最後にボカ・ジュニオルズを選んだ。自分が最も愛するチームでサッカー人生を終えたかったからだ。

 これにはさすがのペレも気分を害したが、それでもその後も彼らの友情は続いた。訃報に際し、ペレはマラドーナに花を贈った。“サッカーの神様”がアルゼンチンの選手にこんな振る舞いをしたのはこれが初めてである。
 
 最後にマラドーナのブラジル好きがよくわかるエピソードをひとつ紹介しよう。みなさんはガラナという飲み物を知っているだろうか。ブラジルの国民的飲料で、我々はこれがなければ生きていけない。味はドクターペッパーなどに近いだろうか。

 少し前にマラドーナがこのガラナのCMに出演した。ブラジルの国歌斉唱をする、ロナウド、カカ、そして次に映るのはマラドーナ? そこでハッとして目を覚ますとそれは夢だった。「なんて夢だ!」となぜかポルトガル語で言い放つ彼のベッドの横には数本のガラナの缶。「昨日、ガラナを飲みすぎたせいだ」と頭を抱えるというものだ。

【動画】マラドーナがセレソンのユニホームを着て…ブラジルの国民的飲料のCMはこちら

 たわいもないものであるが、よくぞアルゼンチンのヒーローがこれを受けたとブラジル人は皆驚いた。セレソンのユニホームを着てブラジル国歌を歌ったアルゼンチン人は、あとにも先にもきっとマラドーナだけだろう。

文●リカルド・セティオン
翻訳●利根川晶子

【著者プロフィール】
リカルド・セティオン(Ricardo SETYON)/ブラジル・サンパウロ出身のフリージャーナリスト。8か国語を操り、世界のサッカーの生の現場を取材して回る。FIFAの役員も長らく勤め、ジーコ、ドゥンガ、カフーなど元選手の知己も多い。現在はスポーツ運営学、心理学の教授としても大学で教鞭をとる。
 

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