異国で始めるセカンドキャリア――2人の元Jリーガーは、なぜオーストラリアで新たな生活基盤を築くに至ったのか?

異国で始めるセカンドキャリア――2人の元Jリーガーは、なぜオーストラリアで新たな生活基盤を築くに至ったのか?

現在はオーストラリアで生活する長谷川(左)と田代(右)。モンテディオ山形時代にはツインタワーを組んだ間柄だ。写真:元川悦子

日本代表が3月24日、2022年カタール・ワールドカップ(W杯)出場権を手にしたオーストラリア(豪州)のシドニーで、積極果敢なチャレンジを続ける30代の元Jリーガーがいる。それは、元日本代表FW田代有三と柏レイソルを振り出しに8クラブを渡り歩いた長谷川悠。2人は2010年にモンテディオ山形でツインタワーを結成した間柄だ。

 その2人が、なぜ遠く離れた豪州で生活の基盤を築くに至ったのか? まず田代の方だが、2016年末にセレッソ大阪を退団後、2017年にナショナル・プレミアリーグ(NPL)・ニューサウスウェールズ州1部(=豪州2部相当)のウーロンゴン・ウルブスへ移籍したことが、同国に根を下ろすきっかけになったという。
  最初はウーロンゴン大学英語コースで学びながら、現役選手としてプレー。1年目が終わる頃、クラブから契約延長とともに永住権取得サポートの申し出を受けた。

「他の人と同じセカンドキャリアを送りたくなかった」という彼にとっては、まさに耳よりな話だった。永住権さえあれば、引退後も同国に残って働けるし、年間1人100万円近くかかる子供たちの学費も無料になる。もちろん前向きに回答し、2018年10月までプレーヤーを続けて引退。直後の11月に待望の永住権を取得した。翌2019年は同トップチームのアシスタントコーチに転身し、元豪州代表DFルーク・ウィルクシャー監督の下で指導者として働いた。

「英語をブラッシュアップさせたかったのが一番ですけど、ルーク不在の公式戦では指揮を執ったこともあります。コンディション調整や采配、試合後の総括などを全てオージーイングリッシュでやるのは大変だった。日本にいる外国人監督の気持ちがよく分かりました」と彼は当時を述懐する。

 そして、この年末にウーロンゴンを退団。2020年1月にシドニーに拠点を移し、同国で長くサッカーをしていた旧知の知人とともに「MATE(マイト)FC」を立ち上げることにした。5〜10歳児を対象に週3回のスクールを実施するところからスタートし、徐々に規模を拡大する思惑だった。
  そんな矢先に襲ったのが、新型コロナウイルスのパンデミック。2020年春の最初のロックダウン時は外出できるのが居住地から10q以内、買い物は家族の1人のみ。それ以外の外出は毎日1時間以内の運動だけという厳しい制限が課された。それが一時的に緩和されても、感染者数が増えれば再び規制強化といういたちごっこ。2021年夏のデルタ株蔓延時には外出範囲が5qまで狭められた。この状態が今年1月まで断続的に続いたのだから、スクール活動も成り立たない。田代は今後の展開を思案し続けたという。
 「2032年にはトップチームがNPL1部参入を果たすという『10年計画』を立てました。今は90人の子供を対象にスクール活動を行なっていますが、3年以内に250人規模に拡大し、『MATE FC』として協会に登録。大会参加が可能な状態にします。

 さらに2024年にはU-8、U-10、U-12を作り、U-14、さらにU-16、U-18、U-20とカテゴリーを拡大し、最終的にトップチームを立ち上げて、プロリーグに入るという明確なビジョンを描いたんです。

 ピラミッドを完成させるためにはスポンサーが必要不可欠。コロナ禍の間に営業して6社と契約を結びましたが、まだまだ足りない。Jリーグ時代のネットワークも使いながら探すつもりです。いずれは元Jリーガーも呼べるようにして、彼らのセカンドキャリア構築の手助けもしたい。僕の活動に興味関心を持っていただける方がいれば、ぜひ協力してほしいですね」と彼は語気を強める。

 目下、数人の元Jリーガーが、田代が運営する「MATE FC」でパートタイムコーチを務めているが、長谷川悠もそのひとり。彼は今、NPL・ニューサウスウェールズ州2部のセント・ジョージ・セインツで選手兼U-14コーチとして活動中だ。

「僕は2006年からJリーグ8クラブで14年プレーしましたけど、ずっと同じことを続けていても、ひとりの人間・競技者として限界があると感じていた。今後の人生を考えた時、異国で多くのことを学んだ方がプラスだと確信し、山形時代の先輩である有三君に相談したうえで、2020年2月に単身で渡豪したんです」
  長谷川がシドニー入りしたのは、横浜港に停泊したクルーズ船でコロナ感染者が続々と出ていた頃。海外との往来が続々とキャンセルになった影響で、1万円でビジネスクラスに乗って現地入りすることができたという。それから所属先を探し、ウーロンゴン・オリンピックというローカルクラブ入りが決定。英語学習と飲食店の仕事を掛け持ちしながら、最初の1年を乗り切った。

「滞在先の大家さんから『家賃の代わりに14歳の息子にサッカーを教えてほしい』と言われて助かりましたね(笑)。コロナの影響で英語学校の授業料も半額になり、貯金持ち出しの自分には有難かった。豪州は学生ビザでも働けるので、日本食のヴィーガンレストランに勤務し、Jリーガー時代にはなかった経験もしました。試合が大幅にキャンセルされ、シーズン10試合しか出られず、給料も減額されましたけど、『サッカー×英語』を異国で同時に取り組むメリットを感じながら、日々を送りましたね」と彼は前向きに言う。
  翌2021年はNPL1部のシドニー・オリンピックへ移籍。3月からリーグが開幕したが、デルタ株蔓延で6月にリーグが休止。長期ロックダウンに突入し、彼自身も戸惑った。シドニーでも飲食店で働いていたため、6〜10月は週額750豪ドル(約6万8000円)の補助金が支払われ、生活は成り立ったというが、サッカー選手としては不完全燃焼感が強かった。

 そこで今年からセント・ジョージへ移籍。元ジェフ市原のマーク・ミリガンが監督を務めるチームでベテランFWとして戦っている。

「今は英語のレベルを上げることが最優先。サッカー選手と指導者の仕事にも並行して取り組み、有三君のように永住権を取れるように頑張りたいです。いずれは豪州に拠点を作り、日本とのネットワークを生かしつつ、セカンドキャリアのサポートや指導者の交流、映像編集などの仕事を手掛けられたらいいと考えています。そのためにも今年が勝負。家族も日本に残しているので、早くこちらに呼べるように基盤を固めたいです」

 こう語る長谷川はどこまでもエネルギッシュだ。とはいえ、母国語の通じない異国で新たな人生を切り開くというのはそう簡単ではない。一足先に永住権を取得した田代でさえも、コロナ禍には思うように動けず苦しんでいる。数々の困難に直面する中、希望を持ち続け、一歩一歩、着実に前進する姿は尊敬に値する。彼らとともにプレーした仲間や多くのサポーターにも刺激を与えるはず。2人の今後の飛躍を心から祈りたいものである。

取材・文●元川悦子(フリーライター)

■プロフィール
田代有三(たしろ・ゆうぞう)
1982年7月22日生まれ、福岡県出身。現役時代は鹿島、山形、神戸、C大阪でプレー。圧巻の滞空時間を誇る空中戦を武器に。J1では通算175試合・48得点をマークした。2017年に渡豪し、ウーロンゴン・ウルブスFCで2シーズンに渡りプレーして引退。翌年に同クラブのアシスタントコーチとして活動し、退団後は2020年よりスクール活動を行なう「MATE FC」を立ち上げ、将来的なプロリーグ入りを見据えて活動中。

長谷川悠(はせがわ・ゆう)
1987年7月5日生まれ、山梨県出身。187センチ・79キロ。流通経済大柏高―柏―岐阜―福岡―山形―大宮―徳島―清水―長崎―ウーロンゴン・オリンピックFC―シドニー・オリンピックFC―セント・ジョージ・セインツ。J1通算178試合・26得点。足技と高さを備えた大型ストライカーとしてJリーグ8チームで活躍。2020年に渡豪し、田代が運営する「MATE FC」でパートタイムコーチを務める傍ら現役選手としてプレー。

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