逝去したベルルスコーニ氏がミランで残した功績の数々! 伊紙は体制下での豪華絢爛な「ベスト11」を選定、マルディーニらは“先見の明”を称賛

逝去したベルルスコーニ氏がミランで残した功績の数々! 伊紙は体制下での豪華絢爛な「ベスト11」を選定、マルディーニらは“先見の明”を称賛

6月12日に逝去した元ミラン会長のベルルスコーニ。(C)Getty Images

イタリアの首相を務め、ミランのオーナーとして1980年代後半から長く続いた黄金時代の創成に尽力したシルビオ・ベルルスコーニ氏が6月12日、86歳で逝去した。

 今年4月に呼吸困難を起こしてミラノのサン・ラファエレ病院に緊急搬送され、集中治療室に入った同氏は、慢性骨髄単球性白血病と診断されるも、翌月にはこれに関連する肺感染症の治療を終えるなど、容態は安定していた。しかし今月9日に緊急入院すると、12日朝に容態が悪化して帰らぬ人となった。

 その死を受けて、ミランは「深い悲しみに包まれながら、忘れがたきシルビオ・ベルルスコーニ氏の死を悲しみ、家族、関係者、そして最も大切な友人たちに手を差し伸べ、お悔やみを申し上げたい。明日、我々は新たな野望を夢見、新たな挑戦に臨み、新たな勝利を目指す。それはミランという夢に人生を賭けた我々全員の中にある、善、強さ、そして真実を表わすものだ。ありがとう、会長。いつまでも我々とともに」と声明を発している。

 先日、テクニカルディレクターの座を退いたばかりの、ミランのレジェンドであるパオロ・マルディーニも、自身のSNSで「天才であり、先見の明を有した理想家は我々の元を去ったが、彼はイタリアの歴史を変えてくれた、我々の友人だった。会長が、我々ミラニスタを30年以上も続く夢の中で生きさせてくれたことに感謝します。あなたのような人物が現われることはもうないでしょう」と、感謝の意を表した。
  ミラン、モンツァ、また政治活動においてもベルルスコーニ氏の忠実かつ頼れる右腕として君臨したアドリアーノ・ガッリアーニ氏も、現在CEOを務めるモンツァの公式サイトを通して、「胸が張り裂け、言葉を失い、計り知れない痛みを伴いながら、私は友人であり、主であり、43年以上私の人生を変えてくれた人物を悼みます。親愛なる会長、安らかに眠ってください。多くの愛を込めて」とメッセージを贈っている。

 政治、経済、文化とあらゆる面で世界レベルの影響力を誇る人物に対しては、ミランの選手、OB(本田圭佑もSNSで「Thank you for everything ! R.I.P.」と投稿)と、国内外のサッカークラブや統括機関、関係者からも多くの弔意が寄せられただけでなく、経済界、さらには各国の首脳もその死を惜しみ、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領も「真の友人で優れていた」と追悼した。

 1936年9月29日にミラノで生まれ、ミラノ大学法学部で2つの学位を取得した後、野心の強い起業家として建設業界に身を投じ、ミラノ郊外の宅地開発で財を成したベルルスコーニ氏はその後、メディアの世界に進出し、投資会社「フィンベスト」を立ち上げてテレビ局の買収を重ねていった。テレビ局だけでなく、新聞社や出版社の買収でメディア王の礎を築いていた彼が、ミランの買収を敢行したのが1986年2月だった。 1971年にも同クラブの新会長候補に挙げられるも、「知名度と信頼に欠ける」との理由で退けられた同氏だが、15年後に夢は叶い、「これは危険な賭けであり、狂った行為なのかもしれないが、ミランへの強い愛情が我々を揺り動かした」「ミランはただ勝つだけでなく、そのプレーで人々を魅せなければならない」との抱負通り、彼はミランに愛情を注ぎ続けるとともに、その慧眼によって多くの好人材を確保してきた。

 改革初年度の1987年に無名ながらもセリエBやコッパ・イタリアで快進撃を見せたパルマの若き指揮官アリーゴ・サッキを監督に抜擢し、バルセロナも狙っていたルート・フリット、マルコ・ファン・バステンで当時2つだけだった外国人出場枠を埋め、カルロ・アンチェロッティら有能な国内選手を補強すると、フランコ・バレージやマルディーニら既存の戦力と好融合したミランは、斬新なプレッシングサッカーでイタリアはおろか、欧州も席巻、世界のサッカー界に新たなトレンドをもたらしていった。

 1986年の買収から、2016年に中国資本にフィニンベストがクラブの株式を売却するまでに、ミランが獲得したタイトルは、セリエA8回、コッパ・イタリア1回、スーペルコッパ7回、チャンピオンズリーグ5回、UEFAスーパーカップ5回、インターコンチネンタルカップ2回、クラブワールドカップ1回。“晩年”は財政難によって派手な補強が不可能となり、また不可解な人事などで批判を受けることの多かったベルルスコーニ会長だが、世界的に見ても稀に見る大成功例と言えよう。
  抱負で語った「魅せるプレー」も、他を圧倒する資金力を有した時代、多くの名手を他クラブに先んじて世界中から呼び寄せ、優れた既存戦力と融合させることで高いレベルで実現。スポーツ紙『Gazzetta dello Sport』は、ベルルスコーニ体制下での「ベスト11」を以下の通りに選定したが、まさに豪華絢爛な顔ぶれだと言えよう。

GK:ジダ
DF:マウロ・タソッティ、フランコ・バレージ、アレッサンドロ・コスタクルタ、パオロ・マルディーニ
MF:フランク・ライカールト、アンドレア・ピルロ、ルート・フリット、カカ
FW:アンドリー・シェフチェンコ、マルコ・ファン・バステン

 同メディアは他にも、GKにジョバンニ・ガッリ、クリスティアン・アッビアーティ、ジャンルイジ・ドンナルンマ、右SBにカフー、CBにアレッサンドロ・ネスタ、フィリッポ・ガッリ、チアゴ・シウバ、左SBにセルジーニョ、MFにマッシモ・アンブロジーニ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、カルロ・アンチェロッティ、ロベルト・ドナドーニ、クラレンス・セードルフ、ロナウジーニョ、デヤン・サビチェビッチ、FWにジョージ・ウェア、ジャンピエール・パパン、レオナルド、フィリッポ・インザーギ、ズラタン・イブラヒモビッチ、アレシャンドレ・パトを、いずれも元会長が高く評価していたと紹介し、“次点”とした。

 こうした選手を揃えることで、クラブの隆盛に大貢献したベルルスコーニ会長。しかしそれだけでなく、今では当たり前となっている幾つかの手法を生み出した。そのひとつである「ターンオーバー」は、1989-90シーズンに過密日程による疲労に選手が苦しんでいるのを見て、「同等の力を持つチームをもうひとつ作ればいい」との結論を出し、1991-92シーズン終了後、パパンやズボニミール・ボバンを補強し、「来季は2つのチームで戦う」と宣言したことから始まっているという。 また、彼にはマルディーニが言及したように「先見の明」があり、それまで小規模だったサッカー市場の活性化を訴え、1988年には現在の「スーパーリーグ」に近い構想を提唱するとともに、チャンピオンズカップの拡大も提案。ミランで名将の道を歩み始めたファビオ・カペッロも、「1988年には、会長はそのことを考えていた。彼は『(リーグ勝者だけが参加できて1回戦からトーナメント方式の)チャンピオンズカップでは最悪2試合(ホーム&アウェー)だけで終わってしまう。考えられない』と語っていた」と回想している。

 当時はこれにレアル・マドリーの会長だったラモン・メンドーサだけが賛同したというが、1992年にUEFAはチャンピオンズリーグを創設し、方式を変更し、その後は徐々に出場チーム数を増加させるなど、まさにベルルスコーニ会長のアイデア通りに事は進んでいったのである。

 また、まだミランを買収する前に1980年、所有する「メディアセット」の傘下にあるテレビ局「カナーレ(チャンネル)5」が、当時のワールドカップ優勝経験国による記念大会「コパ・デ・オロ」の放送権を得て成功を収めたことで、5つの欧州・南米の強豪クラブによる親善トーナメント「カップ・スーパークラブス(通称ムンディアリート・デ・クラブス」を1981年から1987年まで隔年で行なうことを提案して実現した。ちなみに第1回大会では、ミランにあのヨハン・クライフが助っ人として参加し、話題になったものだ。
  エラーも少なくなく、またそのキャリアにおいては、成り上がるまで、そして政治活動において浮上した疑惑、明らかになった汚職、スキャンダルの類のネガティブなエピソードは数知れず、まさにメディアにとってもネタの宝庫とも言える人物だったが、その死に際して多くの賛辞が贈られているのは、やはりその輝かしい功績ゆえだろう。

 ミランの宿敵インテルで1995年から2013年までオーナーを務めたマッシモ・モラッティは、何かと比較されてきたベルルスコーニ氏について「イタリアを象徴し、我々の生活に影響を与えてきた強い存在だ。彼は政治、そしてサッカー界に変化をもたらした。強い存在感を持ち、印象的な存在だったが、彼は逝ってしまった」と語り、自身がインテルを買収したのも、ミランでその手腕を発揮するベルルスコーニ氏の影響が大きかったことを認めた。

 ライバル同士でありながら、多くの交友があったというモラッティ元会長は、父アンジェロ氏(大実業家で偉大なインテルの会長だった)の下でベルルスコーニ氏の母親が秘書として働いていたことから、「母親の影響で(ベルルスコーニ氏は)インテルのファンになったといわれている。彼の父親はミラニスタだったようだが」と明かしており、ベルルスコーニ氏自身も「子どもの頃はネラッズーリを観に行ったものだ」と振り返っている。

 ロッソネロの象徴でもあった偉大なるプレジデントの意外な過去ではあるが、これが彼の残した功績を汚すことはない。改めて、ベルルスコーニ氏の冥福を祈りたい。

構成●THE DIGEST編集部

【動画】イブラヒモビッチ、涙、涙、涙の現役引退セレモニー

【動画】守田英正フル出場! 22-23シーズン最終節ハイライト

【動画】久保建英、2022ー2023シーズンの全ゴール
 

関連記事(外部サイト)

  • 記事にコメントを書いてみませんか?