日本で大成するためには――神戸加入のドウグラスが語った“助っ人の心得”【独占インタビュー後編】

日本で大成するためには――神戸加入のドウグラスが語った“助っ人の心得”【独占インタビュー後編】

2010年に来日し、今や日本の誰もが認める実力者となったドウグラス。写真:金子拓弥(THE DIGEST写真部)

■うまくいく時もあればそうでない時もある。それをわきまえていた。

――初めて日本でプレーしたのは、J2の徳島でしたね。

「そう、最初は2010年。3年間のレンタルで徳島に加入しました。あの頃は本当に大変だった……」

――と言うと?

「全然日本のサッカーに馴染めなかったんです。10年夏からの6か月で4点、11年は22試合で4点。そして28試合に出場した12年も結局4点どまりで、15試合くらいはメンバーに入れなかった(編集部・注/リーグ戦では13試合ベンチ外だった)。最初の3シーズンはレギュラーを掴めませんでした。ようやく変わったのは13年。その年は多くの試合に絡めるようになって、年間で12得点。初めてフィットした実感を得られて、J1昇格に貢献できました」

――辛い3シーズンをどう過ごしていたのですか?

「とにかく忍耐が必要でした。なんとか現状を変えようと、周りの人にいろいろ話を訊いてアドバイスをもらいました。また日本には日本のサッカーが、さらに徳島には徳島のサッカーがあると理解して、まずはそれに合うようにやってみようと意識していた。毎日トライしては失敗、それを繰り返していましたね」
 ――ひと言で『忍耐』と言っても、そう簡単ではない。異国の地で何年も不遇の時期を過ごして、焦りもあったのでは?

「海外から来た選手は、認められるまで苦労するものです。ピッチの中でも上手く自分のプレーが出せなかったり、ピッチ外でチームに馴染めなかったり。そんな時にはふと『もういいや、ここでは出来ない。国に帰ろう』なんて想いが頭をよぎります。実際に諦めて母国に帰ってしまう選手も少なくありませんし、僕も何度もそういう想いに駆られました。それでも、僕はそういう自分に負けたくなかった」

――気持ちをどうコントロールしていたのですか?

「まずは神様のおかげです。僕は信仰心が強いので。それから、周りに助けてくれる人がいたのも大きかった。本当に恵まれていました。娘と奥さんがいつもそばで支えてくれました。彼女たちの顔を見るとどんなに辛いことがあってもグッと堪えられるんですよ。そしてもうひとつ……うまくいく時もあれば、そうでない時もあると、わきまえていた。これはとても重要でした」
 ――割り切れていたと。

「常に良いフィーリングでプレーできれば、それに越したことはありません。でも、ダメな時でも我慢して自分のやるべきことを続けていれば、必ずまたチャンスは巡ってくるものだと、そうポジティブに考えていました。いつか必ずチームの力になり、昇格に貢献して、J1でプレーする。その日は絶対にくると信じていたんです」

――実際に、13年に昇格を果たした時はどんな気持ちでしたか?

「四国で初のJ1チームになれましたし、感極まったのを覚えています。ひとつ大きな成功体験でしたね。そういう経験を積み重ねて成長できました」

――15年には広島でベストイレブンに選ばれるほどになりました。

「本当に光栄でした。知ってのとおり、その年はJ1でチャンピオンになったし、リーグ戦で年間21ゴールを取れた。最高の1年でした」

――支えてくれたご家族も喜んでくれたんじゃないですか?

「妻がすごく喜んでくれました。自分のことのようにね。その時にもらったトロフィーは妻が思い出として綺麗に飾ってくれています」
 ■また新たな気持ちで挑戦する活力をくれる。娘は偉大な存在。

――広島や清水で活躍できたのは、単に自信がついたから?苦しんでいた時期と何が変わったのでしょう。

「自信は常にありました。必要だったのは経験です。今までのクラブで体験したことすべてが財産であり、今の自分を形作っている大事な土台です。徳島に加入したばかりの頃のドウグラスと、今神戸にいるドウグラスは、まったくの別人です。チームについていくのに必死だった自分はもういません。チームから何が求められているのかを日々考え、成長してきました。今は日本という土地にも慣れ、ポジショニング、シュートなど技術面も高いレベルにあるっていう自負がある。これからも向上心を忘れずに高みを目指します。まあ、もう僕も引退が近づいていますけどね(笑)」

――いやいや、それは気が早いです。まだ期待していますよ。ゴールパフォーマンスも見たいですし。腕を組むポーズだったり、顔の前でピースサインを作ったり……。あれはオリジナルですか?

「ハハハ。腕組みのポーズは広島時代にやっていたものだね。ブラジルで流行っていた歌のダンスに少しアレンジを加えてみたんだ。ピースサインは、娘を真似たものです。彼女が小さい時の写真を見ると、よく顔の近くでピースをしていてね。娘のほうを指さして真似したのが始まりでした。それから清水のサポーターも真似するようになって、いつしか浸透していきました」
 ――娘さんはどんな反応を?

「彼女のために点を取ったという想いが伝わったんでしょうね。すごく喜んでくれましたよ」

――やはり家族が大きな原動力に。

「いつも一番近くで応援してくれますからね。いいプレーができなかったり、チームメイトと喧嘩してしまったりしても、家に帰って娘を抱きしめたら、スッと気分が晴れる。リセットして、また次の日も新たな気持ちで挑戦をする活力をくれる。娘は偉大な存在です」

――またピースのパフォーマンスで喜ばせてあげたいですね。

「でも神戸では、もうあのポーズはやるつもりはないんです。あれは清水のサポーターと共有したものだからね。今はまた新しいパフォーマンスを考え中です」

――楽しみにしています。では最後に神戸で成し遂げたいことを訊かせてください。

「神戸に来てから、その質問には毎回こう答えています。可能性のあるものはすべて手にすると。リーグ戦も、ACLも、その他のカップ戦も、すべてのタイトルを狙うつもりです」
 PROFILE
ドウグラス/1987年12月30日生まれ、ブラジル出身。184センチ・80キロ。マラグリーダ―アメリカ・セントラル―モト・クルブーマドゥレイラートンベンセ―フィゲイレンセ―徳島―京都―広島―アル・アイン(UAE)―アランヤスポル(TUR)―清水―神戸。J1通算92試合・46得点。J2通算109試合・29得点。フィジカルとスピードを兼ね備えたJリーグ屈指のストライカー。打点の高いヘディング、強烈なバイシクルシュートなどインパクトのあるゴールにスケールの大きさを感じさせる。Jリーグでのキャリアは今年で10年目を迎え、簡単な日本語であれば巧みに使いこなす。

取材・文●多田哲平(サッカーダイジェスト編集部)

※『サッカーダイジェスト』2020年4月23日号より転載
 

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