ブラジル代表の“名勝負“5選――忘れがたき“黄金の中盤“や“ミネイロンの惨劇“。国民が「セレソン史上最強」と讃えるのは…

ブラジル代表の“名勝負“5選――忘れがたき“黄金の中盤“や“ミネイロンの惨劇“。国民が「セレソン史上最強」と讃えるのは…

1982年のセレソンは「黄金の中盤」と称されたジーコ(右)らの他にも、FKのスペシャリストとして知られるジュニオール(左)といったタレントたちが揃っていた。(C)Getty Images

ワールドカップ優勝5回を誇るサッカー王国は、その長い歴史の中で数々の「名勝負」を生み出してきた。もちろん、彼らが歩んできたのは、栄光の道ばかりではない。強烈な輝きを放った大会もあれば、国民が悲鳴を上げるような惨劇も経験した。では、そのなかから「5つ」をピックアップするとしたら、どの試合になるのか。南米サッカーに精通する識者に、とりわけ強烈なインパクトを残した5試合を選んでもらった。

    ◆    ◆    ◆

1950年7月16日 vsウルグアイ ●1−2
得点者/ブラジル=フリアッサ
    ウルグアイ=スキアフィーノ、ギッジャ

「マラカナンの悲劇」。2014年ワールドカップでドイツに大敗を喫するまで、ブラジルのフットボール史上最大の屈辱とされたのが、この試合だ。

 1938年大会で3位と躍進したブラジルは、第二次大戦後最初のワールドカップを誘致。世界最大のマラカナン・スタジアムを建設し、3か月に及ぶ長期合宿を張って初優勝を目指した。順調に勝ち進み、宿敵ウルグアイとの最終戦で引き分け以上なら優勝という有利な状況。スタンドは、20万人の大観衆で膨れ上がった。

 試合は後半開始直後に先制。ところが、ウルグアイの快速右ウイング、ギッジャを止められず、GKバルボーザの痛恨のミスもあってまさかの逆転負け。国中が悲嘆に暮れた。この敗戦があったからこそ、ブラジルは雪辱に燃えて強化に邁進し、今のようなフットボール王国を築いた、という見方もできる。
 1958年6月29日 vsスウェーデン 〇5−2 
得点者/ブラジル=ババA、ペレA、ザガロ
    スウェーデン=リードホルム、シモンソン

 1950年ワールドカップの屈辱から8年後、セレソンは17歳の天才少年ペレ、脅威の右ウイング・ガリンシャらを擁する攻撃的なチームでワールドカップに臨んだ。

 大会序盤、ペレとガリンシャは控えだったが、グループステージ最後のソ連戦で揃って先発して大暴れ。ウェールズ、フランスを撃破し、地元スウェーデンとの決勝戦を迎える。大一番では試合開始早々に先制を許したが、ババらベテランが落ち着いてプレーし、ペレが見事な個人技で2得点を加えて快勝。悲願の初優勝を遂げた。

 試合後、少年ペレはチームメイトに肩車されて感極まり、号泣した。後に世界フットボール史上最高の選手となる男が、檜舞台で強烈な光を放った。
 1970年6月21日 vsイタリア 〇4−1 
得点者/ブラジル=ペレ、ジェルソン、ジャイルジーニョ、カルロス・アウベルト
    イタリア=ボニンセーニャ

 ブラジルが世界中のファンを魅了し、ワールドカップを3度制覇した世界最初の国となった。堅守で鳴るイタリアを、29歳の円熟期にあったキング・ペレ、快速右ウイングのジャイルジーニョ、強烈な左足からのシュートの持ち主リベリーノ、万能型FWトスタンらからなる破壊力抜群のセレソンが粉砕した。

 とりわけ、4点目は圧巻。流麗なパスでイタリア守備陣を揺さぶり、ペレがゴール前で悠然とボールをキープしてからノールックで右サイドへ。これを、後方から猛然と駆け上がってきた右SBカルロス・アウベルトが強烈に叩き込んだ。ブラジル人の多くは、このチームをセレソン史上最強とみなしている。
 1982年7月5日 vsイタリア ●2−3 
得点者/ブラジル=ソクラテス、ファルカン
    イタリア=ロッシB

 1970年ワールドカップ後の低迷期を経て、名将テレ・サンタナがジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾからなる黄金の中盤を軸とした美しいチームを作り上げた。その華麗なプレースタイルは「フッチボウ・アルチ」(芸術フットボール)と呼ばれ、世界中のファンを魅了した。

 しかし、1982年ワールドカップ準々決勝で難敵イタリアの前に攻守両面でリズムを崩し、パウロ・ロッシにハットトリックを決められて敗れ去った。これほどのチームでも勝てなかったことにブラジルのフットボール関係者、メディア、国民は強い衝撃を受け、以後、セレソンが守備的な方向へ舵を切る分岐点となった。

2014年7月8日 vsドイツ ●1−7 
得点者/ブラジル=オスカール
    ドイツ=クロースA、シュールレA、ミュラー、クローゼ、ケディラ

「名勝負」とは言えないが、ブラジルの歴史において忘れてはならない試合だ。二度目の自国開催のワールドカップで、国民は史上6度目の優勝を遂げて1950年の「マラカナンの悲劇」を忘れ去ることを夢見た。しかし、皮肉なことに、この試合でセレソンは未曾有の屈辱を味わい、それゆえ「マラカナンの悲劇」の記憶が薄れることとなった。

 準決勝で強豪ドイツと対戦することで、選手たちは極度の緊張と尋常ではないプレッシャーに苛まれていた。序盤に先制され、さらに追加点を奪われて集中力が途切れ、6分間に4失点という悪夢を見た。栄光に彩られたフットボール王国に壊滅的な打撃を与えた試合。以後のセレソンは、この「ミネイロンの惨劇」のショックを乗り越えようともがいている。

文●沢田啓明(フリーライター)

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