ロナウドはポジション転職最大の成功例。ウインガーからストライカーへ

サッカースターの技術・戦術解剖
第35回 クリスティアーノ・ロナウド

<プレースタイルを変化させる>

「私なら、ここで起用する」

 読売クラブ(現在の東京ヴェルディ)の監督だったペペが指したのは、ペナルティーエリアの左角あたりだった。四捨五入すれば40歳になろうとしていたラモス瑠偉について、聞いた時の回答である。

※ペペ...ブラジル代表の58年、62年W杯優勝メンバー。引退後約30年に渡ってブラジルを中心に各クラブを指揮


ウイングでデビューしてから19年目。現在はストライカーとして活躍するクリスティアーノ・ロナウド

 そのころ全日空(のちの横浜フリューゲルス)の加茂周監督は、他チームの選手であるラモスの「リベロ」での起用について話していた。獲得する気満々だったのだと思う。ポジションを「下げる」加茂構想とは逆に、ペペ監督の見解は「上げる」だった。

「プスカシュもそうだった」(ペペ)

 結局、ラモスはMFのままプレーしたが、ふたりの監督でアイデアが違うのが面白かった。ペペが引き合いに出したフェレンツ・プスカシュは、1950年代のハンガリー代表のインサイドフォワードで、プレーメーカー兼ゴールゲッターとして活躍。現在、毎年の最も印象的なゴールに贈られる「プスカシュ賞」にその名を残している、サッカー史上屈指のスーパースターだった。

 のちに亡命してレアル・マドリード(スペイン)でも活躍した。その時は少しプレーの比重を前に移し、ゴールゲッター兼プレーメーカーに変わっている。そのため「ピークが2回あった選手」とも呼ばれた。

 体力が落ちてきた時に、よりプレッシャーのないエリアへ移動するか、それとも相手のプレッシャーは厳しくなるかわりに運動量をセーブできる場所へ行くか。

 クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル)は、後者のプスカシュ型である。

 運動量をセーブしつつ、ペナルティーエリア内での仕事に比重を移して得点を量産するようになった。だが、ロナウドのトランスフォームはそれが最初ではなく、スポルティング(ポルトガル)でデビューした17歳のころは、生粋のドリブラーで典型的なウイングプレーヤーだった。

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