【レジェンドの素顔5】“悪童”マッケンローが見せた初めてのサービス精神。7か月間の休養で自信を取り戻す|前編<SMASH>

【レジェンドの素顔5】“悪童”マッケンローが見せた初めてのサービス精神。7か月間の休養で自信を取り戻す|前編<SMASH>

先が読めないマッケンローのテニスは観客を魅了した。写真:THE DIGEST写真部

大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。今回は、80年代前半のスーパーヒーローだったマッケンローを紹介しよう。

 彼のエキサイティングなプレーぶりは史上最高の痛快さを持っていた。そのマッケンローが長い休養を終えて、再びテニスコートに帰ってきた1986年。果たして、パワー優先で硬直したテニス界に、かつてのエキサイティング・テニスを甦らすことができたのだろうか。

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マックのプレ―は傑作推理小説

 テニス史上、最強のプレーヤーは誰か?

 こうした論議は、これまで多くのテニス評論家たちの間で、何度も展開されてきた。活躍した時代がまるで違うプレーヤーを一堂に集めて、その白黒をつけるような目論見はいささか乱暴だが、テニスが体力とワザを極限まで競う個人技である以上、誰が最強だったのかを考えることは、とても好奇心を刺激されるものである。

 こういうとき、必ず名前があがるのは、チルデン、レーバー、ボルグの3人だ。それぞれ、その時代を飾った巨人たちである。チルデンは全米を7回も制しているし、レーバーはグランドスラムを2回も達成している。ボルグはウインブルドン5連覇を成し遂げている(※記録は記事初掲時の1986年のもの)。

 そうした史上最強陣に、当然、マッケンローも加わってくるはずだった。全米を4回、ウインブルドンを3回制した1984年までの強さをもってすれば、すぐにでもボルグあたりを蹴落として、マッケンローが取って替わるものと思えた。
  ところが、誰もがそう期待し始めた瞬間に彼は見事にズッコケた。“史上最強への道”を少しおあずけにしてしまったのである。ここらが、常識にかからぬマッケンローらしい。
“人が期待するのは勝手だが、オレは知らないよ”と言わんばかりである。

 しかし、史上最強プレーヤーの方はともかくとして、すでにマッケンローが史上ナンバーワンの座を得ているものがある。

 何か? それは、彼が観る者を熱狂させることに関しては、天下一品のプレーヤーだということだ。変幻自在、縦横無尽――。マッケンロー・テニスを形容する言葉には事欠かない。

 彼のプレーは、傑作の推理小説そのものなのだ。ドンデン返しがいつも用意されている。たとえば、深いボレーを打つ場面でも、その逆をついて、絶妙なタイミングでネット際にポタリとドロップボレーを落とす。ベースライン上の打ち合いで、もう一球つなげるべきところを、間髪を入れずに一気にクロスのエースを決めてきたりする。

 つまり、観客たちが予測する"次の一球"をマッケンローはことごとく裏切っていく。すると、観客たちはますますマッケンローの試合にのめりこんで行く。―――次はどんな風に裏切ってくれるのか、と。
  ここに、マッケンロー・テニスの醍醐味がある。ところが、レンドルやビランデルではこうはいかない。

 彼らのテニスは、あまりに理詰め過ぎて、ドシデン返しがまるでない。結末がわかってしまったノンフィクションのようなものだ。セオリー通りにパッシング・ショットを打ち、安全なときだけネットに出てボレーを決める。あとは延々とベースライン上でのストローク合戦が続く。個々のショットのすばらしさに感心することはあっても、展開の目まぐるしさに度肝を抜かれることは少ない。

 たとえば、レンドル対ビランデルの一戦があるとする。どんな試合になるか試合前にさんざん予想したとしても、おそらく、最初の1ゲームを見ればすべてがわかってしまうだろう。そのあと試合終了まで、観客たちはマンネリズムの競技を観せられることになる。そこらが、最後までハラハラドキドキさせてくれるマッケンローとの大きな違いだ。

 さらにマッケンローのプレーをスリリングにさせているのが、コート上で彼が見せる自己顕示欲の強さだ。確かにマナーの悪さが目立つが、勝手なふるまいも、単にエンターテインメントと考えれば、これほど格好の出し物は滅多にない。現に、観客たちは十分に楽しんでいる。まるで大リーグ野球の場内乱闘に興奮しているときと同じように―――。
  きわどいボールの判定があるとする。マッケンローは不服そうだ。さあ、観客たちは一斉に緊張する。一体、マッケンローがどういう態度に出るのか、と。今どきホラー映画だって、こんなにはハラハラさせてくれないのだ。

 と同時に、マッケンローは審判の技術向上の最大の功労者であることも忘れてはならない。あれほど判定にうるさい男がいれば、審判も気合が入る。文句を言われないように自分の技術を磨くだろう。そこに向上がある。

 このように強烈な“存在感”を巻きちらしながら、マッケンローは1980年代前半をリードした。ところが、昨年後半からの不振。

 ケガ、疲労、私生活上のトラブル――。さまざまな要因がマッケンロー・テニスからハラハラドキドキを奪い取ってしまった。憎らしいほど強いからこそ、審判に悪態をついてもサマになる。負けがこみ始めると、同じことをするのでも、単なる泣きごとにしか見えなくなる。

 世界中のファンは、もっとエキサイティングなマッケンローを待っている。マッケンロー自身もそれを望んだからこそ危険とも思える長期休養を取ったはずだ。さて、休養後の彼はどんな風に変わったのだろうか。
 ヤツがナンバーワンだって?

 うれしくなってしまう。
 今年8月に復帰したときのマッケンローが、いささかも自尊心を失っていなかったからだ。

 まず、ベッカーをこきおろした。
「ヤツがナンバーワンだって?冗談じゃないぜ。オレがいないときにウインブルドンに勝ったって、それが何になる?」

 次に、テニス界全体を嘆いた。
「休んでいて一番思ったのは、オレがいないテニス界って、なんて盛り上がらないんだろうってことさ。ウインブルドンでいくら入場者のレコードを作ったからといっても、あくまでも数字だけの話で、とても中身がともなっていたとは思えないね」

 さらに、こう結んでいる。
「オレがいなくちゃ、今のテニス界はどうしようもない。なにしろ、世界中のテニスファンがオレを待っているんだからな」

 どうだろう。この堂々とした復帰の弁。一時、引退説までささやかれた男の言葉とは、とても思えない。
  7か月間にわたった長期の休養が、ことのほか彼をリフレッシュさせたのだろう。その間、6週間もラケットにさわらなかった時期もあったが、ヨガやウェートトレーニングにも積極的に取り組み、やるべきことはすべてやった。それが吉と出るかどうかは長い目で見なければわからないが、最も大切な“自信”を取り戻したことは確かなようだ。

 復帰に際し、マッケンローはケジメをつけた。8月1日、テータム・オニールと正式に結婚式をあげたのだ。式に列席したピーター・フレミングやビタス・ゲルライテスも、「あんなに幸せそうなマックを初めて見た」と語っている。長く続いた私生活の不安が解消されて、心から人生最良の日を味わったことだろう。

 式を終えて、マスコミ陣やファンの前に姿を見せた二人は幸せそのものだ。マッケンローは、はにかみながら精一杯の笑顔をつくっていた。マスコミ嫌いのマッケンローがマスコミ陣に初めて見せたサービス精神だった。

 ここにも、マッケンローの"自信"はうかがえる。いくら結婚式とはいえ、真近に迫った復帰にある程度の勝算がなければ、これほどの余裕は見せられないものだ。あるいは、不安でしょうがなければ、わざわざこんな時期を選んで結婚式をあげたりはしないはずだ。

 マッケンローはその気になっている。この結婚式はテニス・プレーヤーとしてのマッケンローにとっても門出の場だった。
(続く)

文●立原修造
※スマッシュ1986年12月号掲載原稿に加筆・修正

【PHOTO】マッケンローetc…伝説の王者たちの希少な分解写真/Vol.1
 

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