【レジェンドの素顔6】エバート家の歴史が支えた”辛抱強い”スタイル。父親が授けた3つの鉄則をクリスは勝利に結びつけた|後編<SMASH>

【レジェンドの素顔6】エバート家の歴史が支えた”辛抱強い”スタイル。父親が授けた3つの鉄則をクリスは勝利に結びつけた|後編<SMASH>

エバート家のルーツはルクセンブルクにあり、クリスの曽祖父のときにアメリカに移住してきた。写真:THE DIGEST写真部

大一番におけるスーパースターたちの大胆さや小心をのぞいていくシリーズ「レジェンドの素顔」。今回はクリス・エバートの後編だ。

 クリスは、一年を通して、テニスができる恵まれた土地に生まれたこと、父親のジミーによる適格なコーチングという2つの幸運に恵まれた。ジミーはクリスに徹底的に“辛抱強さ”を身に着けさせようとした。さて、ジミーは一体、どのようにクリスを導いたのだろうか。

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伝統的に勤勉で忍耐強い家風

 まず、家庭内で、ジミーの父親ぶりを見てみよう。エバート家は伝統的に勤勉で忍耐強い家風を持っていた。これは都合のいいことだった。エバート家の歴史をさかのぼってみると、家風のこともうなずける。

 エバート家はクリスの曾祖父のとき、アメリカに移り住んできた。出身はヨーロッパ西部のルクセンブルクである。

 ルクセンブルクは10世紀に建国された歴史の古い国であるが、小国のため、たびたびフランスやオランダに支配されてきた。何しろ、日本でいえば、埼玉県よりもずっと小さな国だ。フランスあたりに攻め込まれたら、ひとたまりもない。世界史的にも、辛酸をなめ続けた国である。そのため、国民は勤勉で、ねばり強さと忍耐力を持っている。
  それはそうだろう。こんな小国でイタリア人のようにのんきにふるまっていたら、とっくの昔に滅ぼされていたにちがいない。そんな歴史的背景を考えると、クリスがフレンチ・オープンで勝ち続けたことには、非常に意味がある。

 フランスはかつて自分の祖国を乗っ取っていた国だ。そんな国に今度は一人で乗り込んで行って、先祖の恨みを晴らすかのような大活躍を見せる。何しろフレンチ・オープンには7回も勝っている。ルクセンブルク人の喝采が聞こえてきそうな感じだ。

 さて、勤勉で忍耐強いルクセンブルクの国民性が、アメリカに移住したあとのエバート家にも脈々と生きていた。特にジミー自身がそうだった。さらに貧困が彼を鍛えた。

 移住後、エバート家はシカゴで農業を営んでいたが、ジミーの父の代に株で成功し、銀行業を幅広く経営するようになった。そこに1929年の世界大恐慌。エバート家は破算し、無一文になってしまった。
 「パパが小さかった頃は、月に一度しか肉が食べられなかったものだ。それもほんの一口さ」

 後にクリスが新しいドレスをねだると、ジミーはそう言ってたしなめた。

 苦しい環境で育ったから、ジミーにテニスをする余裕などあろうはずがない。しかし、近所に有名なテニスクラブがあって、名プレーヤーも度々見かけた。テニスへの興味はつのるばかりだった。

 そこでジミーは家のそばの通りに自前のネットを張り、にわかコートを作ってプレーを楽しんだ。少し大きくなると、ボールボーイのアルバイトもできるようになり、正式のテニスコートでプレーするチャンスにも恵まれるようになった。腕はメキメキと上がった。プレースタイルは今のクリスと同じく、粘り強さを身上とするものだった。

 ジミーの最高成績は、1942年の全米選手権でベスト16になったことだ。優勝したシュローダーにセットカウント1ー3で敗れている。

 プレーヤー生活に見切りをつけたジミーはフロリダのフォート・ローダーデールに移り住み、20面のコートを持つ市営ホリデー・パークのティーチング・プロになった。
  ここまで、ジミーのテニス人生を振り返ってみると、彼がいかに忍耐強い人間であるかがわかる。恵まれない環境の中で、テニスを続けようと必死に努力することは誰にでもできることではない。

 実生活の中で、ジミーがクリスに教えようとしたのも、まさにその点である。「子どもには目標というものが必要だ。目標のない子どもは学校から帰っても退屈ばかりしてよくない」。

 ジミーはよくそう言った。そして、クリスが何事でも中途半端にやめてしまうと、ひどくおこった。学校の勉強でも部屋のかたづけでも。クリスはそのたびに尻をたたかれた。

 ジミーはまた厳格なカトリック教徒でもあった。ルクセンブルクという国は、今でも国民の97%がカトリックといわれるほど旧教が強い。エバート家も代々そうだった。

 カトリックは概して保守的傾向が強く、儀礼を尊重し、生活は常にきびしくあろうとする。ジミーは徹底した宗教教育を、クリスに施した。必然的にクリスも強い信仰心を持つようになった。日曜日には必ず教会へ行き、食事の前の祈りは欠かさず、定期的に懺悔にも行った。
 父親がクリスに与えた三鉄則

 信仰はクリスの精神面にもかなりのプラスとなった。彼女がジュニア・プレーヤーのとき、試合中に何度も祈りをささげたことがあった。相手にリードされ、そのまま負けてしまいそうな不安にかられたときだ。

「神様、どうか勝たせてください。もし願いを聞いてくださったら、2度と両親にさからったりしませんから――」。神に祈ると、不思議と気持ちが落ちついて、逆転勝ちすることも何度かあった。もっとも翌日になるとケロッとして、親に向かって悪態をついてしまうのだったが――。

 忍耐強い家風と厚い信仰。そして父親ジミーの厳しいしつけ。実生活におけるクリスは、自分を上手にコントロールすることを大いに学んでいった。

 次は、テニスコート上で“辛抱強さ”をどう身につけるかということだ。先に、ジミーはクリスに技術的なアドバイスはしてないと述べた。しかし、戦術面においては話は別である。ジミーはクリスを100%洗脳しようと試みているのである。

 結果的に、ジミーの言うことは正しかった。クリスがあれほどの成績を残せたのも、ジミーの言葉を忠実に実行したからである。

 ジミーは少女だったクリスに、三つの鉄則を口がすっぱくなるほど言い続けた。

 一つ目は、ポイントを取るためにハードヒットしようとしてはいけないということだ。むしろ、ひたすらボールを打ち返していれば、結果的にそれがポイントにつながると教えた。能力的にみて、ネットプレーヤーになることがむずかしいと考えたジミーは、クリスが持つ自制心をより生かそうとしたのである。
  二つ目は、70%から80%の確率でファーストサービスを成功させるということだ。

「ファーストサービスが入ればプレッシャーから解放されて、伸び伸びプレーができる。自信も持てる。だが、ファーストサービスが入らないと、力みが出て、他のショットにも影響するものだ」

 ジミーはよくそう言った。ファーストサービスをゲーム運びの根幹に置いたのだ。これは何も速いサービスを入れろということではない。それは速いサービスにこしたことはないが、むしろ確実に入れることを優先させるべきだと教えたのである。

 三つ目は、フットワークを中心とした練習を数多くすべきだということだ。すぐれたプレーヤーは全てすばらしいフットワークを身につけているというのがジミーの持論だった。それには練習しかない。クリスは徹底的に走らされた。ボールに素早く反応し、素早く動くことに関して、クリスは当時女子ナンバーワンだった。それはジュニアの頃、ジミーによって来る日も来る日も走らされた賜物である。

 以上、三つの鉄則をまとめると、ファーストサービスを確実に入れ、素早い動きで相手のどんなボールも拾いまくり、相手をジワジワ追いつめながらミスを誘う、ということになる。

 精神力が強靭でなければできないテニスである。しかし、クリスはそれを可能にした。”辛抱強い”性格をテニスのプレーに生かすことに成功したのである。もちろん、エバート家の伝統と父親ジミーの教えが後押ししてくれたことは言うまでもない。ありがたいのは血のつながりというものである。

文●立原修造
※スマッシュ1987年1月号から抜粋・再編集

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