インカレ女王の阿部宏美と車いすテニスのホープ船水梓緒里。グランドスラムを道しるべに筑波大を旅立つ2人の絆<SMASH>
2023年02月08日 18時41分THE DIGEST

筑波大のテニス部で出会い、“仲間”として4年間歩んできた阿部宏美(左)と船水梓緒里(右)。阿部は車いすアスリートが直面する課題をテーマに卒論を書いた。写真:阿部提供
昨年秋――。彼女は全日本選手権や国際大会の会場でも、どこか眠たそうに見えた。
阿部宏美は、今年の春に卒業を迎える筑波大学の4年生。全日本学生テニス選手権(通称インカレ)単複優勝など、大学テニスのあらゆるタイトルを携えプロ転向したのが、昨年12月のことである。
そんな彼女は昨秋、卒業論文のラストスパートに追われていた。連日ベッドに向かうのは夜中の2時頃。彼女が卒論に真摯に打ち込んだのは、生来の実直で真面目な性格もあるが、もう一つには、その内容にもあっただろう。
【車いすを使用する体育学生の学生生活の現状と課題】
それが彼女の、卒論テーマ。彼女がこのテーマを選んだ最大の理由は、同じ筑波大学テニス部に、車いす利用者がいたからだという。そのチームメイトと行動を共にする中で知った、友人が学内ですら直面する多くの不都合。それらの現状を指摘し改善の一助になればとの想いが、彼女に妥協を許さなかった。
阿部の卒論テーマの動機づけとなった学生の名は、船水梓緒里。
車いすテニス選手として国際大会を転戦する彼女は、ITF(国際テニス連盟)ランキング15位につけ、昨年の全米オープンでグランドスラムデビュー。今年1月の全豪オープンにも、単複で参戦した。
この4月からはIT系企業社員として新生活をスタートし、同時に来年のパリ・パラリンピックを目指す。そんな船水がテニスと出会ったのは、14歳の時。サーフィン中の事故により車いす利用者となった彼女は、数あるスポーツの中から、テニスを選んだ。
「もともと私はスポーツが好きだったので、母は何かスポーツをさせようと思ったようです。車いすでできるいろんなスポーツを見たり体験しました。バスケだったり、卓球やバドミントンもやったのですが、テニスを選んだ一番のきっかけは、家の近くに吉田記念テニス研修センターがあったから。家から通える場所があったのと、あとは自分の中で、テニスが一番難しかったから。すごく未知な競技がテニスだったので、やりたいなと思って始めました」
千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)は、車いすテニスレッスンの草分け的存在で、先日引退した国枝慎吾さんもTTC育ち。船水はその偉大な先達の背を追うように、高校も国枝さんの母校に通った。
ただ、“世界の国枝”を育んだ地域でありながらも、車いすテニスに打ち込む環境としては、必ずしも恵まれていたわけではないという。
「高校では、テニス部に入らなかったです。国枝さんはテニス部に入っていなかったので、前例がなく難しいと言われました」
地域の公営テニスコートを使うにしても、「コートを傷つけるので利用禁止」の壁が立ちはだかる。
「今は車いすテニスも使用可能になったのですが、以前は、私が住んでいた千葉県我孫子市の公営コートはダメだったんです。ただ高校のある柏市は車いすも受け入れていて、私は学生証があったので柏市のコートは使えたんです」
高校のコートは使えない。住んでいる市の公営コートも使えない。だから彼女は、毎朝6時から7時半までTTCで練習に励み、そこから高校に向かった。
彼女にとって「未知のスポーツ」であり、「一番難しいから」始めたテニス。ただやはり、「コーチと1対1でやる練習は、結構孤独な感じがあって」と振り返る。
「自分は中学までソフトボールをやっていたので、チームスポーツも好きだし、仲間が欲しいなって思って。そこでテニス部に入れる大学を探していた時、筑波大学の“アダプテッド体育・スポーツ学研究室”の存在を知りました」
「そこは、障がい者も健常者も一緒にスポーツがやれたら良いよね、という研究を専門にしていて、齊藤まゆみ先生という有名な教授もいらっしゃった。まず齊藤先生にアポをとり、それからテニス部の監督ともお話しさせていただいたら、『車いすでもテニス部に入れるよ』と言っていただけたので、筑波大学が視野に入ってきたんです」
仲間が欲しい――そんな無垢な思いで進学した筑波大で、確かに彼女は多くの友人やチームメイトを得た。なかでも最も仲良くなったのが、冒頭に触れた、阿部宏美である。
「宏美とは同じクラスで、授業もほぼ同じのを取っていました。あと、自分は大学1年生の時に毎朝6時半から1限が始まるまでコーチと練習していたんですが、宏美も朝練していたので、一緒になることが多くて。それもあってすごく仲良くなったんです」
早朝のテニスコートに向かう真摯な姿勢が、2人の学生アスリートを結び付ける。さらには、大学入学後に船水がぶつかってきた大小様々な障害も、2人の絆を深める要因となった。
「テニス部には入れたんですが、やはり私は2バウンドまでOKという車いすテニスのルールで打つので、他の部員たちと練習する機会はあまりなかったんです。宏美は、私がどうやったら部活に参加できるかを一番に考えてくれたし、車いす一般にもすごく興味を持ったみたいでした」
「大学でも、種目によっては参加できない体育実技クラスもあったんですが、宏美が先生と相談して『こういうふうにルールを変えたらできるだろう』と提案してくれたり。身の周りのことや学校生活も含めて、一番近くで私の障壁を見てサポートしてくれた存在でした。それでも宏美の中では、何とかしてあげたかったけれど、できなかったという思いもあったみたいで、それを卒論テーマに持っていったのかな……って」
私、宏美の卒論読んでいないので、本当のところはわからないんですけれど――と、船水は照れたように笑った。
船水は「わからない」と謙遜したが、阿部の卒論の主眼はまさに、そこにある。
「車いすを使用する大学生アスリートが学生生活で感じるバリアの現状と課題を提示することで、車いすを使用する学生が不自由なく学べる環境づくりを行うことを目的とした」
彼女の卒論の【目的】項目には、そのように記されている。
具体的には、学生が日常生活で辿るキャンパス内の移動経路等を洗い出し、バリアフリーの実現性について検証する。さらには、スポーツ実技クラス参加の可否についても、現状と課題を考察したという。
ただ阿部は、「終わってみれば、もっとこうすれば良かったなぁと思いますが、その時は気付かないことばかりでした。やり直したいです」とこぼす。その悔いは、今後彼女がプロとして世界のテニスを転戦していくなかで、実地で解決していく課題かもしれない。
テニスのグランドスラムは、“パラ種目”と呼ばれる車いす競技が同時期同会場で開催される、スポーツ界全体で見ても珍しいイベントだ。そのグランドスラムでの体験を、船水は次のように語る。
「観客の数も含め、環境や雰囲気が他の大会と全然違うので、そこに圧倒されてしまって。プレーできることがうれしいとともに、もっとここに見合うテニスを自分が築き上げないといけないんだなって。出ているだけになっているのがすごく不甲斐ないなっていうのは、毎回思います。
雰囲気はもうお祭りみたいですし、声を掛けてくれる観客の方も温かい。すごい世界だなって思いますし、テニスを選んでいなかったらグランドスラムの場所にも来ていないので、そこはすごく良かったと思います」
大学で出会った船水と阿部は、この春にそれぞれの旅立ちを迎え、新たな道を歩み始める。それは2人にとって、一つの別れ。それでもテニスという道しるべがある限り、二つの足跡はいつかきっと、グランドスラムで交わる。
取材・文●内田暁
【PHOTO】車いすの国枝、船水も! 2022全米オープンで奮闘する日本人選手たちの厳選写真
阿部宏美は、今年の春に卒業を迎える筑波大学の4年生。全日本学生テニス選手権(通称インカレ)単複優勝など、大学テニスのあらゆるタイトルを携えプロ転向したのが、昨年12月のことである。
そんな彼女は昨秋、卒業論文のラストスパートに追われていた。連日ベッドに向かうのは夜中の2時頃。彼女が卒論に真摯に打ち込んだのは、生来の実直で真面目な性格もあるが、もう一つには、その内容にもあっただろう。
【車いすを使用する体育学生の学生生活の現状と課題】
それが彼女の、卒論テーマ。彼女がこのテーマを選んだ最大の理由は、同じ筑波大学テニス部に、車いす利用者がいたからだという。そのチームメイトと行動を共にする中で知った、友人が学内ですら直面する多くの不都合。それらの現状を指摘し改善の一助になればとの想いが、彼女に妥協を許さなかった。
阿部の卒論テーマの動機づけとなった学生の名は、船水梓緒里。
車いすテニス選手として国際大会を転戦する彼女は、ITF(国際テニス連盟)ランキング15位につけ、昨年の全米オープンでグランドスラムデビュー。今年1月の全豪オープンにも、単複で参戦した。
この4月からはIT系企業社員として新生活をスタートし、同時に来年のパリ・パラリンピックを目指す。そんな船水がテニスと出会ったのは、14歳の時。サーフィン中の事故により車いす利用者となった彼女は、数あるスポーツの中から、テニスを選んだ。
「もともと私はスポーツが好きだったので、母は何かスポーツをさせようと思ったようです。車いすでできるいろんなスポーツを見たり体験しました。バスケだったり、卓球やバドミントンもやったのですが、テニスを選んだ一番のきっかけは、家の近くに吉田記念テニス研修センターがあったから。家から通える場所があったのと、あとは自分の中で、テニスが一番難しかったから。すごく未知な競技がテニスだったので、やりたいなと思って始めました」
千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター(TTC)は、車いすテニスレッスンの草分け的存在で、先日引退した国枝慎吾さんもTTC育ち。船水はその偉大な先達の背を追うように、高校も国枝さんの母校に通った。
ただ、“世界の国枝”を育んだ地域でありながらも、車いすテニスに打ち込む環境としては、必ずしも恵まれていたわけではないという。
「高校では、テニス部に入らなかったです。国枝さんはテニス部に入っていなかったので、前例がなく難しいと言われました」
地域の公営テニスコートを使うにしても、「コートを傷つけるので利用禁止」の壁が立ちはだかる。
「今は車いすテニスも使用可能になったのですが、以前は、私が住んでいた千葉県我孫子市の公営コートはダメだったんです。ただ高校のある柏市は車いすも受け入れていて、私は学生証があったので柏市のコートは使えたんです」
高校のコートは使えない。住んでいる市の公営コートも使えない。だから彼女は、毎朝6時から7時半までTTCで練習に励み、そこから高校に向かった。
彼女にとって「未知のスポーツ」であり、「一番難しいから」始めたテニス。ただやはり、「コーチと1対1でやる練習は、結構孤独な感じがあって」と振り返る。
「自分は中学までソフトボールをやっていたので、チームスポーツも好きだし、仲間が欲しいなって思って。そこでテニス部に入れる大学を探していた時、筑波大学の“アダプテッド体育・スポーツ学研究室”の存在を知りました」
「そこは、障がい者も健常者も一緒にスポーツがやれたら良いよね、という研究を専門にしていて、齊藤まゆみ先生という有名な教授もいらっしゃった。まず齊藤先生にアポをとり、それからテニス部の監督ともお話しさせていただいたら、『車いすでもテニス部に入れるよ』と言っていただけたので、筑波大学が視野に入ってきたんです」
仲間が欲しい――そんな無垢な思いで進学した筑波大で、確かに彼女は多くの友人やチームメイトを得た。なかでも最も仲良くなったのが、冒頭に触れた、阿部宏美である。
「宏美とは同じクラスで、授業もほぼ同じのを取っていました。あと、自分は大学1年生の時に毎朝6時半から1限が始まるまでコーチと練習していたんですが、宏美も朝練していたので、一緒になることが多くて。それもあってすごく仲良くなったんです」
早朝のテニスコートに向かう真摯な姿勢が、2人の学生アスリートを結び付ける。さらには、大学入学後に船水がぶつかってきた大小様々な障害も、2人の絆を深める要因となった。
「テニス部には入れたんですが、やはり私は2バウンドまでOKという車いすテニスのルールで打つので、他の部員たちと練習する機会はあまりなかったんです。宏美は、私がどうやったら部活に参加できるかを一番に考えてくれたし、車いす一般にもすごく興味を持ったみたいでした」
「大学でも、種目によっては参加できない体育実技クラスもあったんですが、宏美が先生と相談して『こういうふうにルールを変えたらできるだろう』と提案してくれたり。身の周りのことや学校生活も含めて、一番近くで私の障壁を見てサポートしてくれた存在でした。それでも宏美の中では、何とかしてあげたかったけれど、できなかったという思いもあったみたいで、それを卒論テーマに持っていったのかな……って」
私、宏美の卒論読んでいないので、本当のところはわからないんですけれど――と、船水は照れたように笑った。
船水は「わからない」と謙遜したが、阿部の卒論の主眼はまさに、そこにある。
「車いすを使用する大学生アスリートが学生生活で感じるバリアの現状と課題を提示することで、車いすを使用する学生が不自由なく学べる環境づくりを行うことを目的とした」
彼女の卒論の【目的】項目には、そのように記されている。
具体的には、学生が日常生活で辿るキャンパス内の移動経路等を洗い出し、バリアフリーの実現性について検証する。さらには、スポーツ実技クラス参加の可否についても、現状と課題を考察したという。
ただ阿部は、「終わってみれば、もっとこうすれば良かったなぁと思いますが、その時は気付かないことばかりでした。やり直したいです」とこぼす。その悔いは、今後彼女がプロとして世界のテニスを転戦していくなかで、実地で解決していく課題かもしれない。
テニスのグランドスラムは、“パラ種目”と呼ばれる車いす競技が同時期同会場で開催される、スポーツ界全体で見ても珍しいイベントだ。そのグランドスラムでの体験を、船水は次のように語る。
「観客の数も含め、環境や雰囲気が他の大会と全然違うので、そこに圧倒されてしまって。プレーできることがうれしいとともに、もっとここに見合うテニスを自分が築き上げないといけないんだなって。出ているだけになっているのがすごく不甲斐ないなっていうのは、毎回思います。
雰囲気はもうお祭りみたいですし、声を掛けてくれる観客の方も温かい。すごい世界だなって思いますし、テニスを選んでいなかったらグランドスラムの場所にも来ていないので、そこはすごく良かったと思います」
大学で出会った船水と阿部は、この春にそれぞれの旅立ちを迎え、新たな道を歩み始める。それは2人にとって、一つの別れ。それでもテニスという道しるべがある限り、二つの足跡はいつかきっと、グランドスラムで交わる。
取材・文●内田暁
【PHOTO】車いすの国枝、船水も! 2022全米オープンで奮闘する日本人選手たちの厳選写真
記事にコメントを書いてみませんか?