全豪でグランドスラム初開催となった「デフテニス」。日本から参戦の喜多美結が掲げる“理念”とは?「誰にとっても生きやすい世の中に」<SMASH>

全豪でグランドスラム初開催となった「デフテニス」。日本から参戦の喜多美結が掲げる“理念”とは?「誰にとっても生きやすい世の中に」<SMASH>

世界デフテニス選手権優勝の実績を持つ喜多だが、全豪オープンでは5位となった。写真:内田暁

1月末、全豪オープンの大会終盤——。

 グランドスラム会場のテニスコートで、“AO DHoH Finals”と題された試合が行なわれていた。

 “DHoH”は“DEAF & HARD OF HEARING(ろうあ、および、難聴)”の略。聴覚に障がいを持つテニスプレーヤーによる競技会のことである。

 グランドスラムで、車いすテニス部門が開催されるようになって久しいが、聴覚障がい者テニス(デフテニス)の開催は今回が初。その記念すべき大会に、日本からは関西大学4年生の喜多美結が参戦した。

「10月末に、全豪オープンから招待するという連絡が来たんですが、最初は『招待って、何に?』という感じで」

 喜多はそう言い、目じりをさげる。デフテニスが全豪会場で開催されることを、この時まで喜多すら知らなかったのだ。

 車いすテニスは国際テニス連盟(ITF)の管轄下にあるが、デフテニスを統括するのはICSD(国際ろう者スポーツ委員会)。これまでデフテニス最大の大会といえば、4年に一度開催されるデフリンピックだった。ただ2021年ブラジル大会では、日本ろう者テニス協会は選手の派遣を見送っている。

「本当だったら出られるはず」だった大舞台を逃した喜多にとって、全豪オープン会場は過去最高のステージだった。

 もっとも、主催者側にしてもデフテニス部門の運営はまだまだ手探りで、選手は一日最多で4試合戦う強硬スケジュール。世界デフテニス選手権優勝の実績を持つ喜多だが、慣れぬ環境もあったか結果は5位だった。

「グランドスラムは、自分のプレーを出すことがこれまでに感じたことのないほど難しく、とても偉大な場所である事を実感しました」

 それが彼女が、メルボルンテニスパークから持ち帰った思いだったという。
  小学生時に、原因不明の“特発性両側性感音難聴”が発覚した喜多は、補聴器を付け日常生活を送っている。全日本学生選手権(インカレ)を含む大学の公式戦にも、補聴器を付けて参戦。

 そんな彼女もデフテニスでは、補聴器を外してプレーする。

 音のある世界と、無音の世界——その両方を行き来する彼女だからこそ、双方の比較も可能だ。

 デフテニスの、最も難しい点は何か?

 その問いに彼女は、明瞭に答える。

「相手が打つ音とか、自分の近くでバウンドする音や自分のインパクト音が全部聞こえない。音が聞こえていると、『今日は当たりが薄いな』、『スポットを外しているな』とかはわかるんですが、補聴器を外してるとそれらの情報が無いので、ボールとのタイミングが合わせにくいです。

 あとフットワークでも、キュキュキュというシューズの摩擦音が聞こえないので、リズムがわかりにくく足をコートに引っかけやすくなったり。情報の薄い中でやっている感じです」。

 それら削減される“情報”には、他者の声も含まれる。

「ダブルスの時には、『ロブ上げる』とか『前に出るよ』という声が聞こえなかったり。
あと今回感じたのは、チェンジオーバーの時に審判の言う『タイム』の声が聞こえないので、時間がわからない。頻繁に審判をチラチラ見ながら休憩を取ってたところがあります」

 無音の世界に入ることで、「集中力を高めたり、外野からの声に惑わされない」というメリットもあるというが、やはり困難は多い。
  それでも喜多がデフテニスに出るのは、ある理念があるからだ。

「先ほど言った主審の『タイム』だけでなく、プレー中も『アウト』や『フォルト』が聞こえずにずっとプレーを続けていた事があったんです。そのような事態は、振動でジャッジを知らせてくれるリストバンドなどを付ければ、解決できるかもしれない。あとは主審も、高いチェアに座っているので視界に入りにくく、手の動きがわからない。ですから、視野に入りやすい場所に表示があればわかりやすいと思います。

 そのように、私たちがテニスしている時に必要なものは、日常生活でも必要だねってなりますよね。聞こえる聞こえないに関係なく、見た人が『もっとこうしたらいいんじゃない?」と議論のきっかけにしてくれるだけでもうれしい。テニスに限らずスポーツの場で気付いた事が、社会でも活用されるようになり、誰にとっても生きやすい世の中になるきっかけに繋がれば、デフテニスをやっている意義があるのかなと思います」

 スポーツという、世界中の人々が共有できるプラットフォームを持つことで、社会をより良くできるかもしれない。トップアスリートとしての発信力を獲得することで、人々に自分の考えや想いを伝え、それが世界を変えていけるのかもしれない——。

 デフテニス選手として各地でプレーする中で、彼女はそのような希望を抱き、時には失意も味わってきたのだろう。
  だから……と、彼女は笑みを広げて言う。

 卒業後の4月からは、「今度は取材して、伝える立場になるんです」と。

「テレビ局の記者なんです。自分がテニスで結果を出したところで、伝えてくれる人がいないと、障害も含めいろんな当事者の思いって伝わらないんだなって思って。なのでスポーツに限らず、マイノリティの声を拾って伝える側に回りたいなって思っています。

 伝えてくれる人が居るって、こんなにもうれしいことなんだって、自分が取材をしてもらって思ったんです。そういう隠れた思いを持っている人って、この世の中にいっぱいいるんだろうなって思ったので……。そういう視点を持って、伝えていきたいなって思っています」

 世界の大舞台を経て、伝えられる側から、伝える側の世界へと、彼女は歩みを進めていく。

 その先で少しでも、社会が誰にとっても、優しい場所になると信じて。

取材・文●内田暁

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