天才少女セレスを襲った悲劇。テニス界のみならずスポーツ界全体に衝撃をもたらした刺傷事件から27年

天才少女セレスを襲った悲劇。テニス界のみならずスポーツ界全体に衝撃をもたらした刺傷事件から27年

事件当時19歳だったセレス。この事件がなければ、さらなる偉業を成し遂げていただろう…。(C)GettyImages

今から27年前の1993年4月30日、女子テニス界のみならず全スポーツ界に大きな衝撃を与える事件が、大観衆の視線の集まるテニスコートで起きた。当時19歳のモニカ・セレスが、ライバルであるステフィ・グラフの熱狂的なファンに背後からナイフで刺されたのだ。当時を知る多くの関係者が、この出来事は女子テニス史の流れを大きく変えてしまったと認めるほどの大事件だった。海外のテニスメディア「TENNIS.COM」が当時を以下のように振り返る。

 15歳でプロへ転向した直後から世界で活躍を続けていたセレスは、女子テニスの歴史書を引き裂かんばかりの勢いで記録を塗り替えていた。それまでの女子テニス界はグラフが支配していたが、セレスは、1991年3月に史上最年少の「17歳3カ月」で世界ランク1位へと上り詰め、186週連続世界1位にあったグラフを女王の座から引きずり下ろした。

 セレスを応援する人はテニス界の新しい女王の登場に胸を踊らせていたことだろう。しかしグラフを愛した人々はそうではなかった。事件の犯人、ドイツ人のギュンター・パルシェは、グラフの熱狂的なファンだった。パルシェは、グラフがトップに戻ることしか望んでいなかったのだ。 そして迎えた1993年4月30日、ハンブルグでの「シチズン・カップ」シングルス準々決勝でそれは起きた。
  セレスは、マグダレナ・マリーバから第1セットを6−4で奪った後、第2セットでは4−3とリードしていた。 セレスがベンチに座ると、犯人のパルチェは通路側から彼女の背後に歩み寄り、両手で持った9インチのナイフを振りかざした。客席から大きな悲鳴が上がった。後ろを振り返ろうと身体をひねったセレスの背中を、パルチェは斜めに切りつけた。セレスは叫び、背中を押さえながら苦悶の表情を浮かべた。パルシェはすぐそばにいた他の観客と、駆け付けた2人の警備員に抑え込まれた。

 左肩甲骨から背骨の間に深い傷を負ったセレスはすぐに緊急手術を受けた。襲われる瞬間、彼女が前かがみにならなければ、半身不随になっていた可能性も高いという。手術は無事に終わり、医師たちはセレスがその年の全米オープンにはコートに再び立つことができると確信していた。
  しかし、外傷よりもセレスの心理的な傷の方がはるかに深かった。襲撃された記憶は彼女をひどく動揺させ、長らく不安と睡眠障害に苦しむ日々を強いられた。さらに、犯人のパルチェは、セレスへの殺意はなく、グラフをトップに戻すのに必要な期間だけ彼女を傷つけたかったと供述し、彼に下された判決は、2年の執行猶予付きの実刑だったことも彼女を苦しめた。

 プレーできなくなってしまった当時世界ランク1位のセレスに対し、1位の座を凍結するべきかの決議が行なわれたが、これを棄権したガブリエラ・サバチーニを除いて、他のトップ選手たち全員が反対票を投じた。そして事件からわずか5週間後、グラフは世界ランキング1位に返り咲いた。まさに犯人の思惑通りとなってしまったのだ。セレスがツアーから離れている間に開催された10のグランドスラムのうち、グラフは6大会で優勝を飾った。
  時間から2年以上の歳月を経た1995年8月、セレスはいよいよツアーに復帰した。 WTAはセレスのランキングを、グラフと共に1位タイとする特別措置を実施し、復帰戦のカナダオープンでは、1セットも落とさない見事な勝ち上がりで優勝を決めた。翌月の全米オープンでも、決勝まで素晴らしいプレーを見せたが、グラフとの世界ランク1位同士の決勝戦には、善戦及ばず6-7、6-0、3-6で敗れた。

 翌1996年の全豪オープンでは、復帰後初の、そして最後のグランドスラムトロフィーを掲げた。復帰後の彼女のプレーが素晴らしかったことに間違いはないが、以前のような圧倒的な強さは見られなくなった。

 この事件が、選手としての彼女の未来にどれだけ影響したかを判断することは決して容易ではないが、この悲劇がなければ、テニスの歴史はもっと違ったものになっていただろう。

構成●東真奈美

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