“天国から地獄へ”11年前に錦織圭を襲った悪夢は成長へのステップだった【海外テニス】

“天国から地獄へ”11年前に錦織圭を襲った悪夢は成長へのステップだった【海外テニス】

ツアー再開に合わせいよいよ戦列へ復帰する錦織。離脱期間は1年近く続いたが、焦ることなく準備を整えられたのは、11年前の試練があったからかもしれない。(C)GettyImages

過酷なテニス界で存在感を放ち続ける一流選手たち。そんな彼らが発する言葉には、テニスの上達はもちろんだが、仕事やプライベートでも役立つヒントが数多く隠されている。

 ここでは錦織圭がATPツアーで初優勝を飾った2008年から、負傷長期離脱を余儀なくされた2009年、そして戦線復帰を遂げた2010年当時に発せられた言葉を集めてみた。

 デルレイビーチ大会の予選出場から見事頂点にたどり着いた錦織は、その後も着々と結果を残していった。全米オープンではグランドスラム(世界四大大会)初勝利を挙げると、3回戦では当時世界4位のダビド・フェレールをフルセットで下す金星獲得。日本人男子として同大会オープン化以来初めてとなるベスト16進出を果たした。

 当時世界ランキング2位だったラファエル・ナダルは、この年の6月に錦織と対戦した際に「彼は数年後にトップ10、いや、トップ5に食い込んでくるだろう。100%間違いない」と、そのポテンシャルを高く評価した。そして錦織はこの年、選手が投票して決める『ATPツアー最優秀新人』に選出された。

 こうした活躍から錦織には大きな期待が寄せられたが、翌2009年には大きな試練が待ち構えていた。3月に開催されたインディアンウェルズで初戦敗退を喫した後、右ヒジを傷めたことがわかりツアー欠場を余儀なくされたのである。
  絶望の淵に立たされた錦織は、「悔しい気持ちはありますが、これだけ悔しい思いをすれば、またテニスができるようになった時の楽しみもあります」と前を向いた。だが、その後リハビリとトレーニングを続ける中で、軟骨損傷が検査で見つかり手術をすることになる。

 全身麻酔から覚めて間もない頃、錦織は知人に「1ミリも動かないこの手を見ていたら、24時間テニスコートでの振り回し(練習)の方が、まだましだ」とさすがに弱音を口にしたという。

 彼にとって長い間テニスができないということは初めてだったので、落ち込みは大きかったが、周囲の手厚いサポートもあり徐々に立ち直っていった。

「何より手術を経験したことで、今まで見えなかったことも見えてきました。この経験は自分にプラスになると思います。いや、プラスにしていきます」。起きてしまった試練を前向きに捉えることができるのが、錦織の強さである。
  リハビリは左手でスポンジボールを打つところからスタートした。コーチから「これまでの打ち方をしていたら、またヒジを壊す。打ち方を変えよう」と提案されると、素直にそれに従った。

 このレベルの選手だと幼い頃からのフォームを変えるには大きな抵抗があるのが普通だが、彼にはアドバイスを聞く謙虚さと、それを取り入れて自分のものにできる肉体の柔軟性もあった。

 2010年2月、思い出のデルレイビーチで念願の戦線復帰を果たす。だが、ケガをする前のようにプレーはできなかった。「自分のしたいテニスをするのか、それとも勝つテニスをするのか? 今の自分の中ではこの2つがマッチしていないんです…」と悩みを口にする錦織。それでも彼は、この難問に答えを出す。
  理想のテニスを目指し、楽しんでプレーをする方を優先したのである。ミスの多さが原因で負けてしまう試合もあったが、すぐに調子を取り戻し、その後はチャレンジャー(下部大会)で4勝するなど、グランドスラムに出場できるまでランキングを戻した。

 ツアー優勝を飾った翌年をケガでほとんど棒に振ってしまった錦織は、それまでのポイントを失ってゼロからのスタートとなった。しかし、この経験から得たものは大きかった。

「今いる自分は決して自分の力だけではないことを忘れず、テニスができることに感謝しつつ、これからも上を目指して頑張ります」

 負傷による長期離脱を経て、テニスができる喜びを改めて知ることになった、2010年に語られた錦織の言葉である。

文●中山和義

※月刊スマッシュ2019年12月号から抜粋・再編集

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